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『障害者の宗教民俗学』

広瀬浩二郎 19971125 明石書店 190p. ISBN 4750309850 2310

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作成:文学研究科日本文学専修博士前期課程一回生 鈴木耕太郎

だいやまーく広瀬浩二郎 19971125 『障害者の宗教民俗学』明石書店 190p. ISBN 4750309850 2310 [kinokuniya]/[amazon]


《本書構成》

序章 障害者・福祉観の分析による日本民族文化論
第一部 新宗教と障害者文化
はじめに
第一章 救済の風景
第一節 救いと癒しの現在――山岸会の場合
第二節 新宗教に見る救いの論理
救済の向こう側へ――結びにかえて
第二章 土着から普遍へ
第一節 沖縄へのこだわり
第二節 大本教に見る人類愛善の論理
結語
第三章 「もの」と「こころ」のコスモロジー
第一節 アメリカの「もの」と「こころ」
第二節 日本の近代化とマイノリティ文化
第二部 日本文化史を彩る盲人宗教者たち
はじめに
第一章 シャーマニズム文化の中の盲人

第一節 盲人シャーマン・イタコの実態
第二節 大和宗の現状と歴史
第三節 盲女の系譜
第二章 祈りと琵琶の宇宙
第一節 地神盲僧の宗教世界
第二節 中世盲僧座の状況
第三章 中世盲僧と吉野・熊野
第一節 中世盲僧と吉野
第二節 中世盲僧と熊野
終章 近代化の行方
あとがき ――ある視覚障害日本史学徒の呟き


《評》
「障害学」という学問領域の成立、またそれと前後して起こった理論構築及びその実践が世界的に確立したのは1970年代に入ってからである。いわゆる 「当事者」であるところの障害者からの発信として、イギリスの「UPIAS」(1)による活動、アメリカの自立生活運動などによるものがあげられよう。日 本では「青い芝の会」(2)の理論と実践が草分け的な役割を負ったと言える。
当然のことではあるが、それ以前つまり20世紀以前にも「障害」という身体的、もしくは精神的な症状を持つ当事者は存在していた。しかし、彼らの置かれ た状況は「障害学」が曲がりなりにも発展してきた現在とは異なっていたことは言うまでもない。同じ――という言葉を使用することに若干の暴力性を感じるが ――「当事者」でありながら、社会的な状況如何によってその存在の捉え方には差異が出る、その背景には何があり、何がなかったのか。
上記の様な障害者史研究とも言える分野に、視覚障害の当事者である筆者が、自らの専門領域からの視点で取り組んだ成果が本書となっている。視覚障害者と して初めて京都大学に入学した(3)といわれている筆者は、歴史学を掘り起こす作業の中で自らの「当事者」体験を織り交ぜ、過去と現在の障害者を結ぶ作業 を本書で行っているといえよう。
前置きが長くなってしまったが、本書の構成を述べる。本書は二部構成となっており、第一部は新宗教と障害者文化、第二部は日本文化史を彩る盲人宗教者た ち、と題されている。
第一部は明治維新後に我が国で成立した新宗教について、三章構成でまとめられている。ここでは、障害者を含めた社会的弱者とされる人々がどのように新宗 教に取り込まれていったのか、またそれら新宗教の教義において社会的弱者はどう位置付けられるのか、更に新宗教的な弱者の取り込みを利用して起きた「オウ ム真理教」を始めとする宗教の名を借りたカルト的犯罪の背景についても分析している。
殊に第三章における、一連の「オウム真理教」に対する視座には、単なる批判に留まらない鋭さがある。
まず筆者はオウムが発展していく過程を次のように考察する。まず数多くの信者はどこからやって来たのか。それは近代化がもたらした物質中心主義において、 脱物質化・近代化したユートピアを追い求める人々が少なくない人数出てきたこと、その結果として、彼らの行き着いた先がオウム教団であったことに他ならな い。しかし一方で、彼らを指揮した教祖は、誰よりも強い物欲を抱えていた。その埋めようもない乖離、教祖の真意を最後まで見抜けなかった信者・教団が、結 果的には利用される形で悲劇をもたらしたのである。ここで、従来言われてきたようなオウム批評から、筆者の視点はオウムからオウムを見つめる我々へと向け られる。
筆者はまず、教祖・麻原成立の背景を障害者であることに絞り、センセーショナルに報道するマスコミの在り方は、中世以来我が国で唱えられてきた障害者は生 まれながらにして不幸であり、それは前世の報いを受けているものだ、とする通俗的因縁論、更に近代的な優性思想の両側面を反映していると指摘する(4)。 そしてまた、逮捕後に「障害者」であることを隠れ蓑にして、自らの起こした犯罪を否認しようとする麻原の態度(5)もまた、結局は因縁や非論理的なそれら の思想に飲み込まれ、社会的に切り捨てられた障害者の負の要素を結集させた姿に他ならないと語る。ここに筆者ならではの、オウム批判、ひいては社会批判が あると言える。
ただし、第一章における筆者の語りは、ややもすると短絡的とも受け取られかねず、若干の違和感を覚える。例を挙げれば、第二章第一節結語における沖縄新宗 教の本土進出と普遍化について、沖縄文化の多様性が本土の日本文化を豊かにするという意義を持つ一貫であると捉えているだけで、肝心の土着性やそれに伴う 救済対象者に対する視座がいささか欠けているように思えてならない。勿論、新宗教に限らず宗教全般は、マイノリティからマジョリティへと普遍化志向にある ことは言うまでもない。そしてまた、次章で筆者が述べる琵琶法師などに代表されるように、宗教が担う文化的役割もまた大きいところがある。しかし、一方で 着実に発展していく情報化・物質化社会においては、宗教の受容が何をもたらすのか、一概にプラスの側面を照射することは出来ないのではないだろうか。
さて、第二部は前章と比較して、社会的弱者の中でもより障害者――殊に視覚障害者――に焦点が当てられた内容となっている。中世以降の宗教・文化的な側 面における障害者の役割を歴史学・民俗学的観点から捉えることが目的であるが、ここで着目すべきは琵琶法師や盲僧・盲巫女の役割についての考察であろう。
筆者はまず、第一章でイタコや盲巫女の実態を調査すると共に、「盲」の持つ別世界について言及し、第二章ではその世界観、即ち「見えない」世界を見る、 或は見えないからこそ「見える」世界における「盲」の役割を神の寄り代ではなかったかと指摘している。そして、第三章及び終章において、吉野・熊野という 聖地における盲僧の役割と彼らを支えた「別世界」観念について考察している。つまり、近世に至るまでの間、一方では不具者(障害者)を笑い者にする一方 (6)で、彼らの持つ――そして、被不具者にはない――世界観を肯定していたと言える。勿論、それは先にも述べた中世的な因縁論の枠組みの中に嵌め込まれ ていたものの、しかし宗教世界においては救済者としての立場も確立していたことも歴然たる事実である。つまり、前世の業を背負う障害者は被救済者的立場に ありながら、逆の役割を担っていたとも言えるのである。
あとがきで筆者自身が語るように、正統的な実証史学然とした語り口ではなく、そういった意味では客観性と実証性に若干の物足りなさを感じるかもしれな い。しかし、古文書を読み込むだけでもかなりの労力が割かれる筆者にとっては、言い訳には出来ないにせよそれは仕方のないこととも言える。寧ろ、近年にお ける網野善彦の研究(7)や柳田国男の民俗学的研究を発展させ、かつ障害者である自己と結びつけながら考察する手法は他の誰でもなく、筆者にだからこそ出 来る、という点において本書の価値がある。
語り口が比較的軽妙であるため、歴史学、宗教学、民俗学に触れたことのない人でも読み込むことの出来る作品であり、そのような意味ではどのような視座か らも切り込むことの出来る書物といえるであろう。過去と現在を繋ぐ役割を筆者自身が負っていることにも着目したい。

《註》
(1) 「隔離に反対する身体障害者同盟」のこと。
(2) 「青い芝の会」発足は1957年11月であるが、60年代から行政に対する要求運動が本格化し、70年に起きた横浜市・障害児殺しの母親に対する減刑活動 反対や72年の優性保護法改定反対運動などで広く認知されるようになる。
(3) 筆者は1987年に筑波大学付属盲学校高等部から京都大学文学部に入学し、当時のマスコミにもセンセーショナルに報道された。
(4) 障害者は生まれながら不幸である、という通俗的概念に対する当事者側からの反論としては、横田弘『障害者殺しの思想』(JCA出版 1979年1月20 日)などに見られる。
(5)麻原は逮捕時、「目の見えない私に、こんな事件をやれるでしょうか?」と述べている。
(6)中世においては、 障害者を笑いの対象とするような狂言や説話は多く、笑い話における一つのパターンであったと推測される。
(7) 網野は、障害者は当初「聖」なる者として捉えられてきたが、南北朝期頃から次第に「賤」なる者へと転化していったと唱えている。これは網野『異形の王権』 (平凡社 1986年8月18日)に詳しい。この網野の主張を受けて、筆者は「盲」人に限っては、その転化は南北朝期ではなく近世・江戸期を境とするので はないか、と説いている。


UP:20070714 REV:
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