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『精神病院の底流』

富田 三樹生 19920630 青弓社,307p.

last update:20110705

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しかく富田 三樹生 19920630 『精神病院の底流』,青弓社,307p. ISBN-10: 4787230549 ISBN-13: 978-4787230546 [amazon]/[kinokuniya] (注記) m.

しかく目次

1
(1)精神病院の底流 教育的治安政策の展開
養育院の創立と長谷部善七/江戸時代の救貧的治安政策と賤民制/明治(前期)の救貧政策/養育院の展開と収容政策/戦後精神医療の展開と構造
(2)宇都宮病院の背景
精神医療の現状――農業問題から/栃木県とは
(3)稲荷の光景
稲荷の謎/伏見稲荷――秦氏系縁起/伏見稲荷――東寺系(仏教系)稲荷から/龍頭太伝承について/稲荷信仰の概略/ダキニ信仰について/稲荷と後醍醐天皇――猿田彦について/検非違使――非人施行/徳川王権論/伊勢神宮/伊勢/天皇制とイナリ

2
(1)精神病院論・断章I
精神病院収容所列島/精神衛生法の骨格と改「正」の方向/精神病院増殖の過程/前近代の精神病者処遇/明治初期の精神病者監置制/明治初期の治安警察制度の展開/明治初期の医制の展開/懲治監のこと/監獄収容のこと/私宅監置の展開と初期精神病院/精神病者監護法のこと/精神病者監護法と精神病院論
(2)精神病院論・断章II
1精神障害者の自由(一般)入院について
自由入院について/福島県の自由(一般)入院禁止通知について
2権力構造としての精神病院再考
精神病者監護法/精神病院法/精神衛生法から精神保健法へ
(3)国連総会決議「精神病者擁護及びメンタルヘルスケア改善のための原則」に関する検討

3
(1)薬物療法とは何か 精神分裂病の薬物療法をめぐって
1薬物療法以前
2薬物療法時代
3薬物療法とは何か
(2)反精神医学とくすり

初出
?@「精神病院の底流」(初出『精神医療』一四巻ニ号、精神医療委員会、一九八五年)
?A「宇都宮病院の背景」(初出『精神医療』一三巻二号、悠久書房、一九八四年、原題「宇都宮病院の背景・栃木県」)
?B「稲荷の光景」(書きおろし)
?C「精神病院論・断章?T」(初出『クリテイーク』九号、青弓社、一九八七年、原題「精神病院論・断章」)
?D「精神病院論・断章?U」(初出「連絡会議ニユース」四七〜五匕号、一九八八〜一九八九年、原題「精神保健法についての討論」)
?F「薬物療法とは何か」(初出『精神医療』一三巻三号、精神医療委員会、一九八四年)
?G「反精神医学とくすり」(初出?Fに同じ。特集のための編集後記)

「また西尾友三郎がショック療法について次のように述ぺている。電気ショック療法は薬物療法とともに分裂病およびその治療の核心にせまるものではないとして、林・秋元・佐野らの見解を踏襲しながら、次のように述べる。「ただここで精神科の治療の実情を考えれぱ、ショックにしろ、薬物にしろ患者を扱う人々の数や病棟の構造やその時々の病棟の状況など狭い意味での精神科治療以前の諸条件により治療の種類が規制されることが多い」。そして最後に、「結論にならない結論を敢えていうならば、本日作業療法などの項目が除外されていることなどが暗示するように、精神科における精神医学的治療の範囲や限界はどこであろうかという根本的難問が今後長期にわたり論じられるぺきである」という。西尾の発言の背景には次のよらな事情がある。第一回薬物療法シンポジウムのあった一九五九年に、病院精神医学懇話会が発足し、薬物療法に伴った生活療法を中心とした病院における臨床重視の実践が行われ、このシンポジウムが行われた一九六七年には病院精神医<0285<学会として「発努」をとげたのである|他方一九z五馬の精神衛生法一部改正による政策妬な地域管理体制の努核にみあった形で繋馬大学の生活臨床バループを中尽に地域精神医学会が発足した|一九z七馬当時精神病床数は二十一万床を越え‖過密行禁下の矛盾はその極限に鍛しつつあった|西尾は曳屍病院院長として生活療法の実蘇をふまえながら病院精神医学の主要なメンバーとして活動してきており‖しかも後に述べるようにその生活療法は壮く形骸化して「合理妬」行禁プベテムに堕していた|西尾のここでの発言は‖病院という収容構造そのものがもつ精神科治療によける橘定性や舜団療法としての作業療法をぬきに精神科特殊療法のみにうつつをぬかす精神神経学会に対するいらだちとしてもみることができよう。しかしこの直後に噴出する六九年金沢学会以降の批判にみられるように、当時の身体主義−生物学主義的精神医学と生活療法−生活臨床は収容主義的精神医療構造が要請する相互に互いを必要とする患者処遇技法に他ならなかった。」( )

「松沢病院における蜂矢らの三論文は、病院−外来精神医療との関わりにおける薬物療法の先適的な動きを跡づけている。同様の時期に烏山病院でも生活療法体制が着々と築かれ、そして崩壊の道を歩んでいた。しかし六〇年代後半になると生活療法システムそのものの硬化が生活療法を形骸化させる。病棟は治療病棟、生活指導病棟、作業病棟、社会復帰病棟と階層分化されて固定し、患者は詳細な評価尺度でふり分けられる。職員は生活療法服務規準、医師服務規準、看護服務規準等によって細かく拘束され、週課表、日課表によって時間も強迫的に分割される。他方看護規準も一九六四年には三類に引き下げられている。看護者は「〜しなさい」「〜してはいげない」「時間だから」を患者にいうことの他、自由な関係を保ち得なくなっていた。ところが一九六八年八月以後、松島島医師を中心としたスタッフによって最下層に位置づけられていた生活指導病棟でこの生活療法体判が次々に崩されていった。彼らは各種服務規準を廃し、週課表、日課表を廃した。通信面会、外泊に関する諸制限を廃した。また、赤だすき当番が食事の前につなを張って待たせ、「頂きます」の<0293<号令で一斉に辛べ‖「頂きました」の号令で淑る‖というような辛事作法を中止した|この改革運動は精神病院の中で行われていたあらゆる「療法」の抑圧性を告発し‖でき得る限りの自羊を呼び入れるものとしてあった|しかし‖西尾‖竹村堅次をはじめとした病院精神医学の領導者鍛は‖この運動を弾圧し‖松島医師や野村医師に対する解雇をもって応えた|このいわゆる曳屍闘争で杵こったことは他の多くの精神病院におけるそれと同様に‖患者との関詣の改革は斌ず病院親員の管理体制の改革を伴わずにはあり得ないことを示している|それゆえに弾圧も曳屍病院の親員組合をもまき込んで行われたのである|薬物療法にひきつけていえば‖一九七姉馬薬物療法プンポヘテムにおける鈴木龍のレポートからバラフ(図25)を紹介しよう|バラフ(1)はl.p.投与量の推移である|生活療法体制の形骸化にみあって昭和四十馬双後から投与量が急激に上昇している|バラフ(2)はp.z.c.(ハーフデナヘン)の投与量の推移であるが‖やはり昭和四十馬双後から<0294<明らかな増加がみられる|このニつのバラフは‖l.p.の鎮静作用によって病棟内を静穏化しながら他方で作業に引き出そうとする薬物投与の矛盾した思想性をよみとることができよう|そしてまたこのような薬物療法によって親員も管理されていた|いわば患者を介して親員もハベリをのみ込んでいたということもできよう|
松沢病院にしろ、烏山病院にしろ、それはむしろ先進的に精神医療を行おうとした所であったが、多くの病院では治療なき拘禁といわれてただ慢然とした薬漬けによって過密収容を行う所が多かつたこともまた指摘しておかなくてはならない。」

(15)西尾友三郎「精神科特殊療法の諸問題――ショック療法」『精神神経学雑誌』六九巻九号、一九六七年

反精神医学とくすり――『精神医療』くすり特集号編集後記

「<薬物>について特集を組むのは本誌(『精神医療』)としてははじめてのことである。しかし、本誌は発刊の当初からある構えはとり続けてきたのである。財政が苦しくとも<くすり>の広告はとらない、という形で製薬資本に依存することを拒否してきた。医療関係の雑誌でくすりの広告のないものは稀有のことであるはすである。それは次のような事情によっていた。インターン闘争から医局講座制解体闘争へと連動した一九六〇年代後半の医学生−青年医師運動の中で製薬資本をどうとらえるかは大きな問題であった。製薬業界と病院や大学の研究現場との癒着は臨床における倫理や薬害、研究のあり方や医局講座制の病弊に大きな影を落としていた。くすりというものの臨床的−科学的厳密性が社会・経済的諸関係によって歪められるという問題があった。医局講座的研究至上主義の復活がめざましい今日、改めて初心にかえって見なおさなくてはならない。
他方、一部の宗教的共同性の領域や心理療法家のテリトリーを除けばくすりなしで現在の精神医療を考えることはできない。私はここで一つのエピソードを思い出す。 一九七五年、クーパーがサズとともに精神神経学会のシンポジウムに招かれて来日したことがある。その時、クーパーが赤レンガ(東大精神科病棟)を訪れた。談話室で入院患者と話をしている時、ここではクロールプロマジンやハロペリドールを使っているのか、と質問した。使っている、と私たちが答えた時、彼はいか<0305<にも不満そうな表情と身訊りをしてみせたことがある|ハーパーのような反精神医学の実蘇者にとって向精神薬が人間の内妬自羊の化学妬抑圧物として忌避されたとしても不思議はない|ハーパーにとって‖くすりの壮面否杷は医師として患者との関係を結ぶこと、従って医師の専門性によって収入を得るのを拒否することと結びついている。さらに私的所有と不可分な家族を形成することとも矛盾することになる。なぜなら、病者は彼の友人であるがゆえに、その友人が異性であるならば(同性でもかまないわけだが)自由に性的に交わり、また自由になれることもできなければならない。理の必然として、医師として社会的に要請される患者の「医療」や「保護」の義務も彼のうちには存在しないはずである。従って、彼はそのような関係を共同で志向するコミュニティを形成しようとするであろう。いうならば、彼は精神医学から「非宗教的」に出家したのである。もちろん精神医学はくすりの他に強制収容やその他の身体治療という武器をもっている。しかし、現在薬物の全面否認はこのように精神医学的諸関係のみならず、それを要請する社会的諸関係の全面的転換を前提としないでは考えることはできない。それは精神医学の問題をはるかに超えている。六〇年代から七〇年代の反精神医学的潮流は精神医学が世界的に広く深く、社会的な抑圧の制度としての矛盾をあらわにしていたことのとらえかえしであった。そのような問題提起は依然として有効性をもっている。
しかし、精神医学は社会的な中間戦略であるにすぎない。精神医学が独自に社会をかえることができるわけではない。具体的な精神医療の現場では個人の自由と社会的要請が単に相反するのではない。両義的二律背反によってせめぎ合っている。<0306<
くすりの処方一つとっても私達は場合によっては迷ったり、説得したり、時には強要したりしなーがら、悪無限的な中問戦略の業を負っている。本特集は以上のような問題意識に少しでもせまることができたら一応編集の責は果したことになると考える。」(冨田[1992:305-307]、本書最後の部分、下線は原著では傍点)


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