『ほんとうは 僕 殺したんじゃねえもの――野田事件・青山正の真実』
浜田 寿美男 19910130 筑摩書房,357p.
■しかく浜田 寿美男 19910130 『ほんとうは 僕 殺したんじゃねえもの――野田事件・青山正の真実』,筑摩書房,357p. ISBN-10: 4480855718 ISBN-13: 978-4480855718 3251円
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[kinokuniya] ※(注記)i01,c0111
■しかく内容(「BOOK」データベースより)
検察側が提出した18本の取調べテープの徹底的な分析をすすめて、見えてきたものは...。法廷はなぜ青山正の言葉を理解できないのか。
■しかく目次
プロローグ
第一部 第一の物語
第一章 捜査
第二章 自白
幕間(インターミッション)――二つの物語のあいだに
第二部 第二の物語
第一章 取調べ
第二章 法廷
第三章 幕を下ろすまえに――布片の怪
エピローグ
あとがき
■しかく引用
◇「精神薄弱」ということ
「知能テストによって「精神薄弱」とか「精神遅滞」とか、あるいは「知恵遅れ」とか、どのようなラベルが貼られるにせよ、いったんラベルが与えられると、そのラベルで一括される人びとのなかには、他の人びとにはない何か特異な性質が備わっているかのように、人は思い込んでしまう。もとより「背の低い」人たちをひとくくりにして「低身長者」というラベルを貼ればそこに平均に比べて背の低いという特徴を見ることができるように、「精神薄弱」と呼ばれる人たちは知能テストで測定するような機能の側面において一般平均より低いという特徴をもつ。それはそのとおりである。しかし、これらは明らかにトートロジー以上のものではない。このトートロジカルな特徴以外に「精神薄弱者だから」と言えるような特異点を見いだすことができるだろうか。よしんばそうした特異点を多少見いだすことができたとして、ではこの「精神薄弱」の人びとと「健常」と呼ばれる人びととの間には、何らの共通性もないのであろうか。」(p.343)
「人はラベルを貼ることで、そのものと他のものとを区別する。ラベルをはずしてよくよく見てみれば、背が低いとか知能が低いとかいったごく部分的な相違しか見ることができないのに、ラベルはそこのところを截然と分けてしまう。そうして「精神薄弱者」は、通常の人とはまったく異なる言動を行なう人種であるかのように見なす。そこにはとんでもない誤解、曲解が生まれ、多くの人びとはラベルの前で判断を停止させてしまう。」(p.343)
「荒唐無稽な供述があれば、その供述がなぜなされなければならなかったのかを理解しようとする以前に「精神薄弱者だから」と考え、奇妙な供述の変遷や変動、あるいは不合理な矛盾に出会っても、その問題の文脈を洗い出して見ようとする以前に、やはり「精神薄弱者だから」<343<ですませてしまう|こうなるとこのラベルは人間理解のための手立てなどではなく‖逆に人間理解を殆げる壁でしかない|」(pp.343-344)
「それは洗練された知能テストなどによらず、人びとがときに声高に、ときに声をひそめて「あいつは馬鹿だから」というときの「馬鹿」というラベルとほとんど変わるところはない。この言葉を文字通り使うとき、それは決して人を理解するためではない。むしろそれは人を自分とは違う異界に押し出すためのものである。そして「精神薄弱」という言葉は、いかほど科学的体裁をほどこしても、その意味するところはこの「馬鹿」以上のものではない。いや、「馬鹿」ならばまだしも、私たち自身の日常のなかに組み込まれている。よかれあしかれ、私たちは「馬鹿なことをした」とか「馬鹿な話だ」と、自分たちのふるまいを形容する。「馬鹿なやつ」と言うときですら、そこには憎めなさを表現している。ところが「精神薄弱」という用語はそうした日常的比喩さえ許さない。言わば純粋に非日常的な異界を表すものとなっているのである。」(p.344)
■しかく書評・紹介
■しかく言及
*作成:
長谷川 唯