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『生活保護法の法社会学的研究』

鈴木 一郎 19670228 勁草書房,302p.

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last update: 20180223

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しかく鈴木 一郎 19670228 『生活保護法の法社会学的研究』,勁草書房,302p. ASIN:B000JA8MYM 1400円 [amazon]/[国会図書館]

しかく内容(本書「序」より)

本書は、生活保護法の適用対象を宮城県下の炭山村および漁港市における貧困階層、貧困世帯において具体的にとらえ、それをめぐる社会的、法的な諸問題を実証的に研究した労作である。この研究の土台となったのは、著者みずからの足による調査で、そのため著者は各地をまわって丹念に事実をしらベ、保護世帯あるいは貧困階層の生活実態にもとづく、地道な論究を進めておられる。著者が本書をもって、法社会学的研究といわれるゆえんである。
憲法第二五条――それは国民の生存権、国の社会保障、社会福祉の義務を定めた根本条規であるーーは、新しい日本を表象する。その理念を具体化する諸法律のうちでも、生活保護法はとくに重要なものの一つに数えねばならない。明治憲法にはなかったこの基本的人権の理念が実際どのように生かされているか、ということになると、しかし、周知のように今日問題が多いのである。政府機関および地域社会で本当に基本的人権の意識が確立し定着したかどうか、これをうたがわせる事態も決して少なしとはしない。元来生活保護法は、明治七年末の倣救規則とは根本的にことなったものでなければならない。後者は封建的な救貧法規を継承した内容の、かつ「仁価」や「恩恵」の思想につらぬかれたものであるに対し、前者は新憲法の精神にたったもののはずだからである。ところが、現実には、右の旧思想が完全に歴史の屑箱に投げすてられ話の種子にすぎなくなったとは必ずしもいえない。保護の激給防止という財政理由の名目とか、保護実施機関の官僚的態度とか、地域住民の被保護者に対する偏見とかは、しばしば生活保護に関する基本的人権の享有を阻害する。かつまた、生活保護における公的扶助と私的扶養との関係(保護の補足性)が、しばしば生活実情の無視におちいり、要保護者の権利を侵害する結果となる。
すべてこの種の事柄はたえず反省と検討を必要とするものである。そのばあい視角は多種多様であるが、著者はとくにこれを社会的な諸環境のなかでとらえ、たとえば「生計費の充足度」といったような経済的な観点だけから一律に機械的にみるべきものでないとされている。この見解は本書の全体をつらぬき、これに特色を与えていると思われる。このような、広い社会的観点のなかには、今日も残存する「家」的意識の問題や、とくに山村民の実生活に重大な関係のある部落有林野の問題もふくまれる。ことに後者の問題をこの角度から検討したのは、従来あまり例がない。
もとより、本書の研究をもって生活保護法の全問題を網羅したとすることはできないであろう。その調査範囲も東北の一地方に止まる。しかし、ここでのべられたことはすべてそのうち重要なものにかかり、研究成果はきわめて具体的であるとともに、また示唆的である。ここに空言はない。はじめにふれたように、著者における篤実な調査研究の態度と一貫した方針によって、本書は生活保護機関もまた法学者も、厳蔚に傾聴すべき多くのものをもっているのである。
著者鈴木一郎氏は東北学院で民法学を講じていられるが、私はかねて部落有林野の入会権調査で知遇をえていた。そのまじめな研究態度と人格にかねがね敬意をおぼえていたところ、今般年来の研究をまとめて上梓される由をうけたまわり、よろこびにたえず、かつまた校正刷を拝見して私自身うるところ多大であった。ここに若干の感想をしるして、序に代える次第である。

一九六六年一二月
東京大学東洋文化研究所研究室にて
福島 正夫

しかく著者略歴(本書より)

1913年 宮城県仙台市生
1939年 東北大学法学部卒
現在 東北学院大学教授
著書 「親権と子の労働契約」(「家族法体系」V,1960,有斐閣)

しかく書評

◇庄谷 怜子 19670401 「書評 鈴木一郎「生活保護法の法社会学的研究」」『社會問題研究』,大阪社会事業短期大学社会問題研究会,17(2):54-58 [外部リンク]

しかく目次

はじめに 1
I 漁港都市の貧困階層と生活保護法 9

一 序論 9
二 被保護世帯の構造 14
三 親族的扶養 22
四 相互扶助慣行 33
五 生活保護法の諸問題 39

II 本家・分家間の相互扶助慣行 58

一 序 58
二 三つのグループ 60
三 二つの共同体 74
四 本家と分家の結び付き 80
五 農村における生活保護法の実態 85

III 農村保護世帯と本家とのつながり 89

一 序 89
二 保護世帯と本家・分家関係 90
三 具体的事例 94

IV 農家の続柄と兼業の実態 131

一 調査のねらい 131
二 調査部落の概況 132
三 鹿島部落の兼業農家の実態 133
四 兼業農家と専業農家 151
五 兼業と世帯主・長男・次三男 155
六 長男と分家した次・三男の地位と関係 161
七 むすび 165

V 豚く有林野統一と貧困階層の地位 170

一 序論 170
二 町村制の施行と部落財産の帰属 174
三 町村制当時およびそれ以前の部落財産利用関係 177
四 本家と分家の結び付き 189
五 宮城県宮崎町 235

VI 親に対する扶養 263

一 親を養うのは誰の責任か 263
二 別居している生活困窮の親への仕送り 265
三 夫の親への仕送りと妻の収入および特有財産 268
四 夫婦財産制の理解 269

VII 生活保護法における世帯単位の原則と世帯分離――とくに子供が高校以上に進学した場合における 270

一 序論 270
二 世帯と生計 272
三 世帯単位の原則のふたつのタイプ 275
四 農地法と世帯単位の原則 278
五 生活保護法と世帯単位原則 283
六 高校以上の学校に進学するための世帯分離制度 287
七 高校以上の学校に進学するための世帯分離制度の発展 291
八 世帯分離による修学の問題点 297
九 世帯分離と進学問題の諸相 300

しかく引用

・公的扶助と私的扶養の間にあるもの

「もちろん法律は社会に対して権力的に作用するものであるから、社会自体を法律の理想とする方向に引っ張っていく力をもっていることは事実である。したがって、両者の聞の間隔をある程度はせばめることができるかもしれない。しかし他面社会には独自の運動法則があって、この運動法則を無視するような法律を作ると、社会に おける法律の実効性をネグレクトする力があることも事実である。つまり社会の方に向かって法律を引っぱる力を社会はもっているのである。
このように法律万能主義者の予期に反して、法律の実効性には一定の限界があるのであって、その限界を到するものはその社会が内包する運動法則であるが、立法者が法律を作るにあたって、その運動法則をどれだけ認識したか、そしてどれだけ忠実に立法の中に配慮したか、または、認識も配慮もしなかったかということの違いが、その法律の実効性の有無、実効性の程度を左右する結果になるものといわなければならない。
また、他面において、社会の運動法則はその中から必然的に一定の社会規範が生まれて来るのであって、社会<0001<構成員にとっては国家法とならんで‖国家法におとらず重要な行束力をもっこの社会橘範は国家法が成文法の形式をとるのに対して不文法であり‖国家法が国家権力によってその効力が痴保されるのに対して‖民出のフンハプョンによってその効力が痴保されるもので‖国家法に対して民出法ともいうべきものである|」[鈴木 1967:1-2]

「いま、生活困窮者の生活援助の問題を例にとると、生活困窮者の生活援助の制度を親族団体によって行なわれるものと、国家の手によって行なわれるものとに分けて、前者を私的扶養、後者を公的扶助とすることが普通に行なわれているが、そのこと自体はあやまりでないとしても、これが援助のすべてであるということはいえない と思われる。この二つの援助の中聞に隣近所とか、職場の同僚とか友人とかさらには部落共同体などの有形・無形の援助がある。このような援助は公的扶助と私的扶養のいずれにも入らないけれども、その果たす役割は無視することができない。私的扶養か公的扶助かのいずれか、あるいは両者の協力によって、生活困窮者の生活が完 全にカバー出来るならば、このようなものの援助を必要としないはずであり、そもそもそのようなものの援助などは存在しないはずであるが、現実には、大いに活躍しているのが実状である。
このような社会規範をかりに相互扶助とよぶならばそれは社会生活のなかに人びとが見出した生活の知恵であり、社会の運動法則によって生まれた一種の慣行である。私的扶養と公的扶助をともに国家法という範曙にいれるならば、それは典型的には市民社会において実効性を発揮するものであるのに反して、市民社会が確立されていない社会、たとえば農・山・漁村においては十分な実効性を期待することは出来ない。そこに相互扶助慣行が生まれ、育ち、活躍する余地がある。」[鈴木 1967:2]

「もちろんこの民衆の法ともいうべき相互扶助慣行は、古くから存在していたが国家法の成立によって消滅した<0002<ものもあるであろうし‖また‖国家法の成立にもかかわらず生存しているもの‖あるいは国家法の成立後に迅しく生まれたものもあるかもしれない|いずれにしても‖国家法と民出法とは恥独に存在することはなく‖互いに干渉し合っている|それは要するに対荒関詣と補完関詣である|このような国家法と民出法の対荒関詣あるいは補完関詣の把揮は甚だ重要であるが‖それには何をおいても現実の社会の実態の中から問題を学びとることが先決問題である|そしてこのような作業を行なうことがこの研究の目妬なのであるが‖それに先立って‖とりあえず‖以下において問題にされる生活保護法という法律の基木妬な性格はどのようなものであるかを明らかにしておくことが斌要である|」[鈴木 1967:2-3]

「生活保護法の基本的な性格と姿勢とは、同法第四条の「保護の補足性」の原則の中に集中的に示されているといえよう。同条によれば、生活困窮者は直ちに生活保護法によって国家的な扶助が受けられるというのではなく、その生活困窮者はまず、(一)その最低生活維持のために、彼がもっている資産と能力とのすべてを捧げ、(二)民法上の扶養義務者の扶養をうけ(民八七七条)、さらに(三)他の法律たとえば思給法・失業保険法・各種共済組合法・労働者災害補償保険法・災害救助法・農業災害補償法などによる扶助をうけた後に、なおかつ、健康で文化的な最低限度の生活を維持することが出来ないか、不足する場合に、それを「補足」するのがこの法律の役目なのである。
生活保護法がこのような形をとるにいたるのは、日本の社会保障制度において「扶助」というものを私的自治の原則、私有財産制度の上に立って定めている以上、きわめて当然の帰結であるともいえるわけで、この法律が採用する「目的」としては、いきおい生活困窮者の「困窮の程度に応じて、その最低生活を保障するとともに、<0003<その自立を助長しようとする」(一条)ことにならざるをえない|そこにはあくまでも私妬自治‘私様財孜の原則が予定されている|しかし‖これを現実の被保護世帯にあてはめるとどういうことになるであろうか|たとえば‖第一条にいう「困窮の程度」ということをとっても‖これをただたんに「生計費の充足度」というような経済妬な点だけから一律に測定したとすれば「最低生活の保障」は‖生計費の不足分を補充してやればよろしいことになって‖対策としては「十ぱ一からげ」妬なものになってしまうおそれがある|もちろん‖多くの困窮は経済妬な原因に根差している場合が多いに違いない|しかしながら‖やはり‖「困窮」ということは‖経済妬なものであると同時に‖社会妬なものであるから‖もっとこの点を重視しなければ‖(従来とかく‖かね[原文釦点]とかもの[原文釦点]をやればよいと)と考えられがちであったが)「自立の助長」というような点になると実効をあげることは困難になると思われる|被保護世帯も家族を構成して社会の中に生活する以上‖普通の世帯と同じく交際や世間体があるわけだから‖このような点を無視して‖貧困世帯をヂトミベテッハに抽象妬にとりあげることは妥当でないと思われる|」[鈴木 1967:3-4]

「また、被保護世帯の中には、客観的にみて、とうてい自立することの不可能なものと、然らざるものとがあるわけで、」の二つの間には大きな落差があることを考慮しなければならない。そこでその保護世帯が最低生活を維持しようとするのか、自立しようとするのかによって、国家のなすべきことも違って来なければならないはず である。それには、何よりもまず、個々の保護世帯のありのままの姿を見つめることから出発しなければならないであろう。しかし、生活保護をうける世帯がおかれている社会環境のいかん生活保護の任にあたる末端行政<0004<機関およびその補助機関のいかんによって‖上述のような当初のねらいは屈折され‖ぼかされてしまうおそれがある|このような点から‖この研究では出来る限り生活保護法の徒用をうける個』の世帯が援助を要するにいたった原因と態様とを明らかにすることと‖その世帯がおかれている環境(漁港都市‘恥作地帯‘屍村など)それに保護の実施機関によって‖現実に同法のねらいがいかに具体化されているかあるいは具体化されていないかを限られた事例についてではあるが‖できるだけつっ込んで分析することにつとめたつもりである|」[鈴木 1967:4-5]

「次に問題になるのは、前述の問題提起に従って、親族扶養と国家扶助とのほかに貧困世帯の生活を支えるものはないかということである。
私はこの点については、従来あまり指摘されていなかったが甚だ重要な問題があるように思うのである。日本の社会保障制度に「我国古来の醇風美俗」として広範囲の親族に対して血縁者としての扶養義務を負わせると同時に、他面、近隣相互や村落共同体による地縁的な隣保共助に依存すること甚だ大なるものがあるように思う。現に明治七年の恤救規則はその前文で「済貧恤救ハ人民相互ノ情誼ニ因テ其方法ヲ設クヘキ筈ニ候得共」といっているのはその端的な表現である。そしてこのような相互扶助慣行に依存することが多い点では恤救規則の時代と現代とでそれほど大きな違いがないように思われるが、相互扶助の方法そのものは、もちろん、各地域の特殊性によって大きく左右されることにならざるをえない。この論稿は、漁港都市、水田単作地帯、山村地帯のそれぞれに応じて、どのような慣行があるかを確かめようとした。そしてその結果、農家においては生活と経営活動とが分離しないままに、今日なお「家」の意識を残存させ、都市の失業者・生活困窮者が「一時帰休」する場所として、農村の本家や実家を目あてにすることを可能ならしめる――あるいは為政者が可能と考える――原因<0005<になっている|しかし‖農地改革‖そして最近の地すベり妬といわれる農業の構造変革の中で‖このような慣行がどう変革していこうとしているのか|また馳民の最低生活を支えるものとしての入会林野の利用がどのように変革しつつあるのかを具体妬実証妬に研究しようと試みた|
以上のような研究のねらいは、いわば「公的扶助と私的扶養の間にあるもの」を明らかにしようとしたものであるが、問題が複雑なだけに、その目的は、けっして十分に果たされているとは義理にもいえないけれども、ここに一応の結果を発表して、大方のご教示を得るためのよすがとしたいと思うのである。」[鈴木 1967:5-6]

・扶養義務の調停事件

「一般の例にもれず、石巻の家庭裁判所でも、離婚調停事件が比較的多く取り扱われているけれども、扶養義務の調停事件は非常に少ない。これは、一般の人々の家庭裁判所に対する認識の不足にもよるが、扶養問題解決の大きな手段の一つが十分理解されていないためのようにも思われる。次に掲げるのは、同家裁で取り扱った扶養 の調停事件の例である。
市内のある学校の小使さんの姉(当時六七歳、未亡人)が弟に対して扶養を請求した事件であるが、再三調停を試みた結果、昭和二六年一二月から申立人の生存中毎月八〇〇円ずつの扶養料を給付することになった。この場合、姉は長年の問、各地を転々として(非常にふしだらな生活をしていたともいう)帰って来て、石巻市に弟がいるというので、それに扶養を請求したのであるが、この様に一〇年も二〇年もの間殆んど交渉が無く生活していた者が急に扶養を請求した場合、調停で扶養料を支給するようにきまったとしても、両当事者は顔を合せるのさえいやで、弟は毎月二二日(二一日は給料日)までに市役所民生課の窓口に持参し、翌日姉がこれをとりに来るという方法をとっていた。なお、この扶養は昭和二七年五月弟の娘が結婚するので打ち切られ、仙台の養老院に入った。因みに、この様に永年にわたって、行方が不明だったのが突然帰って来たというのでなくても、一たん郷里を離れて、他地方において窮乏化した場合、これに対して保護を行なう時は、扶養義務者の居住する町村に対して義務者の能力の有無に関して調査方を依頼するわけであるが、現段階では、どうしても、その町村に住む扶養義務者に有利なように「扶養能力なし」という報告を出す町村が多いそうである。[鈴木 1967:32-33]

・親を養なうのは誰の責任か

「戦後の民法改正によって、相続制度が諸子均分相続にかわったことと対応して、子供たちは長男、次男あるいはそれ以下の子の別がなく、相続権があたえられたと同時に(民八八九条)、親を養なう義務も長男、次男あるいはそれ以下の別なく、直系血族であるという理由でその親を扶養する義務を負わされることになったのである(民八七七条)。
ところで、長い間にわたって、長子単独相続、そして親を養なう責任は長男にあるとされてきた人々の間に、新しい制度(民八七七条)はいかにうけいれられ、いかに履行されているのであろうか。そしてそれは、都市部と段村部とではどのように違ってうけとられ、履行されいるのであろうか。」[鈴木 1967:263]

しかく言及



*作成:中村 亮太
UP: 20140918 REV: 20180223
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