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原泰介氏インタビュー


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◇原 泰介 i2023 インタビュー 2023年06月23日 聞き手:伊東香純 於:原さん職場

×ばつ社会アーカイブの構築

◇書き起こし:一般社団法人精神障害当事者会ポルケ・相良真央



伊東:最初に、発病されたのが10代の時とおっしゃってましたっけ。

原:はい,

伊東:その辺りからお伺いしても良いですか。

原:はい。私は、1978年、昭和53年生まれです。当時5歳の頃に、ナルコレプシーを発症していたのではと思います。

伊東:診断がついたのが9歳の時っていうことですか。

原:そうです。その前に、母から聞いた話ですが、当時5歳の幼稚園の頃、姉の誕生日会で寝ていたり、車に乗るとすぐに寝たり。小学1年生の授業参観で寝てたりしていたとの事です。昭和60年8月に近くの関東労災病院を受診しました。そこでは、脳波検査して、へそてんかんですので、18歳までには治りますとの話でした。当時1年生でしたがその後も改善は見られずにいました。その後にこの病院の先生じゃあちょっと微妙だなっていう事で昭和62年7月 当時3年生の時に、世田谷にある国立の小児病院に行きました。その病院でも脳波の検査を受けて、初めてナルコレプシーだと言う事が、診断されました。

そして、昭和64年1月に、世田谷の病院は小児だからと言う事で、本多裕先生の晴和病院に行くことになりました。当時11歳、5年生でした。晴和病院に行ってからは、リタリンとベタナミンという薬、これは日中の眠気を覚ます、覚醒する薬を処方してもらい、服用し始めました。そこから、病院はまったく変わらずでしたが、何歳の頃からか忘れましたが、代々木睡眠クリニックという新しい病院が出来て、今度はそちらの病院にお世話になりました。その頃多くのナルコレプシーの患者さんも、代々木に移動をしていました。又先生は引き続き、本多先生にお世話になったってと言う感じです。

4:10

伊東:今、5歳ぐらいの時に何かおかしいなとかってっておっしゃってたと思うんですけど、それはどういうきっかけなんですか。

原:母からよく聞く話なんですが、姉の誕生会に私が参加してましたが、その時に昼間から寝てたんですね。何故昼間から寝てるんだろうと言う話になって、疲れたからみたいな、それがきっかけの初めではありました。そして、近くのスイミングスクールに送迎をしている時も、3分ぐらいで到着しますが、その間に寝てました。なんか色々と、そういう、寝ちゃう寝ちゃうみたいな事ありました。そして、当時母は、音楽の教員でしたので、普通の人よりは気付くのは、早かったと思っています。普通だったらほったらかしにするところですが、やっぱりおかしいみたいな感じで思っていたようです。

そういう時に、ある新聞記事がありました。その記事は母の友人が探してくれた記事です。

伊東:そうなんですか。

5:55

原:当時の記事を見て、本多裕先生の晴和病気があることが分かり、これは間違いない、怠けているわけでもないんだっていうのを確信して、晴和病院に行こうと思ったんじゃないかなとは思います。

伊東:何となくおかしいと思って、労災病院に行き、その後、こう記事とかを。

原:労災病院に行ったときには、記事はありませんでした。労災病院に行ってましたが、おかしいと思って、世田谷の病院に行きました。その後この記事に出会い晴和病院に行くきっかけになったと思います。

伊東:新聞を見て。

原:はい、当時はインターネットがないので、新聞記事などを見て、自分の症状にあっているかななどで、医療機関を探す人が大半だったと思います。そして本多裕先生はこの会の発起人の先生なので、この本多裕先生に出会える人は、本当にラッキーと思います。先生は、若い頃からナルコレプシーの研究された方で生涯ナルコレプシーの研究や活動にご尽力していただいた先生です。

伊東:めちゃくちゃ稀な方ですね。

7:35

原:はい。そういう本多裕先生みたいな先生はあまりいなくて、そしてその周りには、多くの患者がいました。

伊東:そこに本多裕先生出てきましたっけ。

原:ここにたぶん書いてあります。

伊東:小学生のときとかは、ご自身では困ったなみたいなことってありましたか。

原:はい、1、2年生の時の事はよく覚えてませんが、眠かったら寝たらいいやと思ってました。しかし4、5年生と高学年になってくると、やっぱり授業中に寝てはいけないと思ってましたが、寝ていて、書いてる字がみみずの字で何が書いてあるか分からないノートになってました。そして、学校では、先生から眠たかったらに寝ててもいいよと言われてました。

伊東:そうなんですか。

原:1時間とか2時間とか寝ますので、授業の終わりのチャイムで起きるみたいな感じの日もあって、何も勉強していない、その時間何を勉強したのかみたいな感じで、テストを受けなければならないから大変でした。その為復習とか、勉強は頑張りました。そして、周りの友達へは先生から寝てても、起こしちゃだめだよなどの指導があったとの事です。その他は、プールで泳ぎなから寝たり、自転車を運転中に寝てしまう事もあり電信柱に衝突する事もありました。私は一回だけで、そんなにスピード出してなかったから良かったけど、自転車の前の籠は少し破損してしまいました。

伊東:じゃあ、机でやる勉強とかじゃなくっても。

原:そうです。そういう風に、日常生活で急に寝てしまうから、何が起こるか分からないっていう、そんな感じです。

伊東:その学校の先生が起こさなかったって言うのは、お母様とかが。

原:何か説明はしてたんだと思います。内容までは知らないです。むやみやたらに起こさないでみたいな感じだったので、自然と起きる分にはいいけどなどと生徒に説明してたのかな、その先生も別に病気の事はそんなに詳しくは分かっていないので、親と先生の話でそうなったのだと思います。その当時も診断されていて、主治医の先生もいたので、いろいろ病気の情報は主治医の先生から聞けば、学校の先生も分かると思いますので、学校側が柔軟に対応してくれたと思います。

伊東:じゃあお友達とかも、そんな感じで。

原:原は寝てる人だっていう。寝てても怒られなくてよい人て思ってたかも知れません。そんな感じです。

伊東:5年生の時から薬は飲み続けている感じなんですね。

原:そうです。

伊東:中学に行かれて、先生とかもぜんぜん変わると思うんですけれども、変わったことってあります。

原:やっぱね、いじめにあいました。

伊東:そうなんですか。

原:寝てるから。いじめられる対象になったのか分からないですが、それ以外にも原因があったのかもしれないけど、授業中普通に寝てるから、なんだこいつはみたいに思っていたかも知れません。その分勉強出来なかったので、家に帰ってきて勉強しないと、何も勉強しなかったっていうか、その授業は眠くて集中してないから、書いてても何書いてるか分かんないとかありました。頑張って勉強しないと大変だと、逆に思う感じでした。その日に、その時間帯は寝てるので勉強出来てないからです。

伊東:それは自分で勉強されたんですか。

原:地元の塾に通ってましたので、復習とか予習とか全部してくれました。試験勉強とかも全部教えてくれました。そのお陰で、テストすごく悪く点数でどうしようもないという事はありませんでした。寝ちゃってても。

伊東:そうなんですね。

原:学力的な問題は別に。そんなに落ち込むような事ではなかった。普通ぐらいだった。そんなに良くもないけど。

伊東:テスト中は眠くなったりとか。

12:35

原:テスト中も眠い事もありましたが、その時はやっぱり、薬を飲んでテストを受ける事はしてました。特に中学生の時は、必ずしてました。それでも眠い時は多少ありました。

伊東:それに対して寝たから時間延ばすとかそういうのは。

原:そういうテストの寝た分の配慮などは全くないです。普通にみんなと一緒です。

13:10

伊東:いじめは3年間ずっとですか。

原:はい、3年間ずっと。

伊東:そうなんですか。

原:今のいじめはどういういじめか分かりませんが、当時は、「ナルコナルコ」って言われてました、あだ名がナルコ。

伊東:ということはじゃあその、いじめてた側というのもナルコレプシーは。

原:知ってます。しかし病名位なので、寝る病気っていう事ぐらいしか知らなかったと思います。詳しいことは多分知らないです、勝手に寝る人と思ってたと思います。

伊東:その後高校に。

原:高校も、東京の私立の高校行って、そのまま大学まで進学しました。その頃も薬飲んでましたので、そんなに授業中毎日寝てる事もなく、普通に皆と同じ様に、学校生活は出来たと思うけど、これは僕の主観ですが、やはり普段皆さんが覚醒度っていうのは継続されると思うけど、ナルコの人は基本的に覚醒度が低い。覚醒度っていうのは脳がパフォーマンスできるかどうか、百パーセントの力を出せる時が、みんな普通に出せるんだとしたら、アクセル踏んでも、最大60パーセント位しか常に出ない。自分の能力があっても、それを覚醒出来ないから、ちょっと半分眠いから、ぼけっとした感じで生活をしてる感じがあるのかなって思います。その事に対して、自分は何で出来ないのだろうって多少思った時もありました。しかし、それで社会生活を送れないわけでもなかったから、友達と普通に遊んでましたし、そして高校からは、吹奏楽部に入りました。中学はサッカー部でしたが、両親も音楽してましたのでヤマハでフルートを習う事になり高校大学とずっとフルートやってました。眠い時もあるけど、特に大きな問題は高校以降はなかったです。特に大学では、授業中にみんな寝てるから、どちらが病人か先生も分かんないですよ。

伊東:60パーセントっていうのは、本多先生とかが言ってたんですか。

16:12

原:違います。最近、他の理事の人が、人に覚醒度の話をする時の事から知りました。自分はこういうイメージなんだよって、人に伝える時に、覚醒度で今何パーセントなんです。という説明の仕方をしてました。私にはそれはすごく分かりやすく、人に説明する時にもその理事が「ボケっとしてる感じがやっぱり常にあったりとかして、あるんじゃないかなって」言うから、とても共感できる感じでしたので、説明の時に使わしてもらいました。眠気っていうよりは、睡眠と覚醒っていう風なのを、オレキシン欠落してますので、やはりその辺でちょっと調整ができないから、脳がとても覚醒している状態でも、シャットダウンしている状態でもなく、中間をさまよってるイメージなのかなと思うと、常に覚醒しているわけでもなく。でもそれは、あくまでも主観的な問題だから、自分が他人になったわけでもなく、分からないから、あくまでもそういうイメージとか、そうなんだろうなとかと思います。そして今後開発中の新薬などもありますので、それを服用すれば、普通の人と同じように、オリキシンが欠落しない状態なので、どこまで違いがあかが知りたいです。こんなに覚醒度が違うんだって思うのか、普通の人がこれ位なのかって思うなどとても、興味があります。

17:48

伊東:なんとなく、ぼーっとしてる状態から、自転車乗ってても意識失っちゃうみたいなところに行くのって、一瞬。

原:一瞬です。

伊東:そうなんだ。

原:一瞬なので、起きた時はもう終わってるから。記憶がないから。そもそも、なる瞬間とか。

伊東:貧血で倒れるみたいなやつ。

原:貧血になったことないから分からないですが、たぶん意識が飛ぶのとはちょっと違うと思います。簡単に説明すると、一瞬で爆眠できる人がいたとして、すごく何日も徹夜して、ころって寝たという時の状態っていうのが一番分かりやすいと思います。だんだんと、自分が眠いな、やばいなっていうのは感じられる様になると思います。ご飯食べた後に、ああなんかもう、眠いな、もうこれ以上何もやっても、能率上がらないな、そういう気持ちになってくる。そういう時に仕事してるとミスをしたりすると思います。そういうのが分かってくれば、もうこれ眠いから寝ないと危険だと思ったりとか、目が重いとか、自分の中で、眠気のサインを悟れ分かれるようになると、いろいろな工夫をしたりとかが出来るようになる。しかし、ナルコは病気なのでどんな危険な状況であっても。例えば、銃を向けられて、普通だったら恐怖とかなるけど、そんな状態でも寝ると思う。と本多裕先生の書物にありました。

伊東:そうなんですね。

原:昔は、太平洋戦争などあったので。戦争中も昔から、そういう患者がいたのですね、銃声がバンバンと鳴り響く中でも、寝てしまうという事です。

伊東:なるほど。

原:本多裕先生の書物に記載してました。

20:05

伊東:そうなんですね。

原:そのぐらいすっと日中の眠気は、寝てしまうのです。だから、一瞬で寝てるから、何かに衝突したら、衝突していたっていう感じ。

伊東:眠りの深さは、夜寝る時とそんな変わらず。

原:個人差があると感じます。同じナルコレプシーでも、1型2型とかあります。昔はあまりそんなこと言っていませんでした。小学生から同じ1型の友人がいまして、夜どうなのって聞いたところ夜はとても寝れるよ、との事でとても羨ましかったです。

私はどっちかっていうと寝れなく睡眠のその深さを、検査したら4段階中、4が一番深い眠りですが、その4はゼロ。3も数パーセントしかない。常に夢見てるっていう状態でした。

21:27

夢見て、起きて、夢見て起きてっていうのをしょっちゅう繰り返してる。

伊東:夜にっていうことですか。

原:夜です。だから熟睡してるのって言われたらしていないです。

伊東:そうなんですね。

原:だけどそれが数十年続いているから、それが私にとっては普通になりました。

伊東:一瞬で寝ちゃった時とかって普通に目覚まし時計なるとか起きてって言われるとかしたら起きるんですか。

原:一瞬寝た時には、たぶん気付くのは意外と早い。あって起きちゃうみたいな感じ。だから、朝起きる時の置き方と全然違う。授業中に寝ている時に肩をコンコンってたたくとすぐ起きる。すごい熟睡だからって、全然すぐ起きないって訳ではないです。意外とそういう周りの声とか刺激とか、何かあればぱっと起きれるぐらいの睡眠なんです。だけど、すごい寝てるっていう。例えば、パソコンを、使ってない時のスリープ状態押すとすぐ起動すると思います。そんな感じです。イメージ的には、とても寝てる、すごい熟睡してると思います。その数分か数十秒か起きるまで1分か2分か知らないけど。起こされるまでは、

23:23

伊東:それは、だいたいみんなそんな感じなんですか。

原:たぶんそうだと思う。基本的にはそんなに変わらないと思う。日中寝てしまう人は、

伊東:なるこ会に関わり始めたのはもっと後ですか。

原:当時初診は本多裕先生でした。まだ小学生でしたので、高校生ぐらいからな。その時も興味あるなら、やらないみたいな感じでした。その時も晴和病院に、決まった曜日で行くので、待ち時間に患者さんとコミュニケーションをしましょう。

なるこ会の始まりも、本多裕先生の最初の活動待ち時間を利用しての交流からでした。東京大学の病院の時から患者が集まってきて。そういう交流の場所がある、だから、みんなで交流しましょうになり、次第に参加者が増えていったのではないかと思います。

理事になったのは、確か大学生ぐらいだと思います。又高校生の時には、何人かいた青年さんと何か青年部の活動をして欲しいと言われ活動していた時もありました。活動といっても、交流会(飲み会の企画)程度の活動でした。

25:27

伊東:青年部っていうことは、割と若い人たちも。

原:多少いました。飲み会の企画の時も、すぐに集まれる人は殆どいませんでした。会員は基本的に高齢者の方しかいないので。青年は3、4人ぐらい、なるこ会の20周年や30周年の時の集合写真を見ても、だいたい目上の人ばっかりで。こんなメンバーでやってるぐらいだからそんなにいない。

伊東:それは病院にいた時に、会って話すみたいな感じですか。

原:基本そうです。それ以外は会わないので、同じ待ち時間を利用してです。晴和病院も全員ナルコレプシー患者ではないので、誰だかかわかんない方もいます。ですから、先生はなるこ専用の部屋を設けてくれました。そして、先生から部屋行ってみたらみたいな感じで話してくれていました。

26:42

伊東:病院ってどれぐらいの頻度で行くものなんですか。

原:毎月でしたが、大学生の時は、2カ月に1回とかしてもらったかな、薬出してもらって。

伊東:薬を飲むのはなんか今日はテストだとか寝ちゃいけないみたいな時に飲むものなんですか。それとも毎日。

原:私は基本毎日飲む。

伊東:大学卒業されてから、どんなとこに就職されたんですか。

原:不動産の投資関係、なんかワンルームマンション販売など

伊東:不動産を紹介するようなとこっていうことですか。

原:紹介っていうか投資用のマンションの営業です。電話営業でした。東京まで毎日行って、終電で帰ってきて、全然寝る時間がない会社だった。そん時代は、就職が氷河期でしたので、2000年に大学を卒業し就職できただけでも良かったっていう時期だったから、今と全然違う。就職すること自体がなかなか大変だった。。

伊東:不動産ってすごく花形ですよね。就職先として。就職する時って、ナルコレプシーっていうのは言って就職したんですか。

28:38

原:最後、内定をもらってから人事の人に、実はちょっと持病を持ってるんですけど、自分では薬飲んでたし、別によっぽど何か迷惑なことはないと思うんですけどと説明して就職しました。それを理由に内定取り消しにはならなかった。中小企業でしたので人事のかたからも仕事頑張って下さい。言ってもらえました。そして、実際の仕事では、寝てはいなかったし、移動中は上司の方が寝てました。

伊東:移動っていうのは電車。

原:基本電車です。

伊東:じゃあまあ寝ても。お仕事されてて困ったこととかはそんなに。

原:睡眠時間が短いから、電車の中で寝るしかないから、会社の行き帰りの車中で寝て、睡眠時間を増やしていました。

伊東:それは働き方的に。早く出て。

原:朝は5時ぐらいに家出発してました。

伊東:めちゃくちゃハードですね。

原:ハードでした。

伊東:それはナルコレプシーとは関係なくめちゃくちゃハードですね。そのときは、めちゃくちゃお忙しかったと思うんですけど、会の方とかは行かれたりしてたんですか。

原:就職してからは、薬取りに行く事自体が大変でしたので、両親に代わりに取りにいって貰っていたぐらいなので、会の活動どころではありませんでした。

伊東:それぐらいの忙しさ。

原:病院なんか行く暇がないから、休みも週2ではなかった、週1だった、休みが日曜日しかない状態。

伊東:病院も日曜休みのところ多いですよね。

原:はい、なので訳を話して薬を貰ってきてもらったりとかしてました。ナルコレプシーは、飲む薬がそんなに変わらなければ。いつも通りですって言って診察も終わりなので先生もすぐ処方箋書いてくれるから、診断時間はあまり必要ないですが、日常生活どうかなとか聞かれたりとかすると長引く事があります。

伊東:その不動産屋さんは何年ぐらいいらっしゃったんですか。

原:そんなにいなかった、最初は。半年ぐらい、そして、賃貸に転職してそこで3年間ぐらいして、実家の仕事もあったので、そちらに戻り自社の不動産の仕事をやるようにまりました。

32:09

伊東:ここはご家族で経営していらっしゃる。

原:はい、そうです。

伊東:不動産屋さんの後にいらっしゃった賃貸のところもそんな激しい働き方。

原:もうちょっと緩かった、賃貸だから。

伊東:そのときは何か寝て困ったこととかってあります?

原:ディスクワークが多かった、店舗の中に居ることが多く、案内以外は出ませんでした。だから、基本室内でパソコン作業と電話応対とかでした。眠い時が少しありましたが、基本薬飲んでいたのでそんなに眠くなる事はありませんでした。

伊東:その後、こちらに戻ってこられるっていうか就職されたのは、何かきっかけみたいなのってあったんですか。

原:そろそろ実家の仕事に戻って来て欲しい事があったから。

伊東:ご両親から。

原:はい

伊東:ここはお父さんお母さんが立ち上げたところなんですか。

原:はい。

伊東:グループホームが主なんですかね。

33:54

原:会社は不動産業ですが、仲介業ではなく、貸付業ですので、普通の不動産屋みたいに、売買をしたりとか、賃貸する事はありません。貸付業なんで、不動産知識がないと駄目ですが、自社で物件を所有してますので、その物件を、仲介業の不動産業者に依頼してます。

この物件は、高齢者関係の物件で、グループリビングと言い、高齢者の人が一緒にマンションに住んで、共同で生活するスタイルです。母はその理事長をしています。

伊東:なるほど。その貸したりとかのお手続きとかを、普段はやってらっしゃる。

原:はい。あとその建物のメンテナンス、全部自社でやってるので、どちらかと言うとメンテナンスの仕事の方が忙しいです。

35:47

伊東:そういうお仕事って、ご家族経営だと思うんですけど。何時に出社するとか。

原:特にないです。

伊東:そうなんですね。

原:逆に365日24時間みたいな感じです。自営なので、入居者から何かトラブルがあると電話かかってきたら、駆け付けて対処しますので、サラリーマンとは違います。自分で仕事の内容や時期なども計画しないといけないので、伊東さんも自分で計画すると思いますが、いつ何をするかは、誰も決めてくれる訳ではないので、そうゆう意味で少し仮眠をしたいと思ったら寝れるので大変助かってます。

伊東:ご家庭を持たれたのはいつごろなんですか。

原:平成26年

伊東:じゃあ、賃貸の時?

原:実家の会社勤めの時です。

伊東:ここに勤められた、というかご家族のお仕事をされるようになってから今の、パートナーの方とか、お子さんとか。

原:はい。そうですね。実家に戻ってきてから数年後ですね

伊東:そうなんですね。お付き合いをするとかって、病気があって大変みたいなのってあります。

原:そうはなかったです。相手の人も、特にこだわりはなかったし、すごい寝たきりでもないので、薬飲んでたら普通の人変わらず。ただ、眠そうだねって言ったら、ちょっと寝ないと運転やばいんじゃないなどの会話は多いです。

伊東:免許取られたのはいつなんですか。

原:免許取ったのは意外と遅いく。30代後半になってから

伊東:そうなんですか。

原:最近老眼でもう見えない事が多いです。免許証に書いてないですか?

伊東:平成28年ですね。

原:普通なら高校生とか大学生ぐらいに皆さん取得する人が多いですが、ここは交通の便が良いから、電車とバスで大学へも行けるし、車がなくても別に日常生活に支障がありませんでしたので、あえて取得をしていませんでした。特に母は持病の人は免許取得して欲しくないといつも話してましたので、最後まで反対でしたが、結婚を機に千葉の方に住むこととなり、それで田舎なので、車持ってないととても不便ですし、嫁は運転出来ますが迷惑ばかりかけてはいられませんでしたので、それで教習所に通いで行って取得しました。

伊東:千葉でとられたんですか。

原:そうです。

伊東:なるほど。じゃあ千葉に住んでらっしゃったときもある。

原:はい、。

伊東:そうなんですか。

原:長女が現在小学2年生ですが、その子が幼稚園の時には同居して実家に戻る予定でしたので

伊東:原さんのご両親と、お子さんたちと皆、同居。

原:同居してます。

伊東:そうなんですね。お仕事で運転されてるっておっしゃってたかと思うんですけど、それはどういうふうに車使ってらっしゃるんですか。お仕事では。

40:56

原:仕事では現場に行く時や仕事の買い出し、現場への荷物の運搬など作業するためのトラックにも乗っています。

伊東:トラックも乗る。

原:トラックも乗ります。中型も最近取得しました。大きなトラックも仕事で必要になったので、

伊東:なるほど。お仕事がすごく忙しくなってなるこ会は離れてらっしゃったと思うんですけど、戻ってきたのは。

原:あまり記憶にないのですが、平成22年ぐらいから入会業務をしてたと手帳に書いてありました。ちょうど自分の実家の会社に戻ってきた頃から、多少時間の余裕が出来たので、その辺から多少、会の活動に関わる事が多くなったと思います。年に一度の総会にも参加ようになり、その頃からです。昔の事は何となくしか覚えていないです。会の活動写真を見てこれいつの写真だとか、いろいろ記憶は沢山ありますが、いつ頃かなみたいな記憶はずいぶん曖昧です。

伊東:復帰されるよりも前に、出会われた、例えば青年会の方とかって、もうそこから離れちゃったら全然お付き合いとかは。

原:なかったです。年に1回の総会がありますので、その時に参加していれば会える程度です。2人ぐらいは仲良くしてる人がいました。もうずっと会ってない人なんかが多いです。皆さん各人生を歩んでるので、そんなに頻繁に会えないし、総会に行ったときに来てれば会えるけど、結局忙しくてみんな来てない人が多いし。結婚して子育て忙しいとかで来れないとかっていうのはあったのかもしれない。

伊東:総会って、何人ぐらい大体集まるんですか。

原:70人ぐらい。スタッフや先生も含めて

伊東:その睡眠外来系の医者。

原:そうです。毎年本多真先生も来て下さります。コロナ前は大体70人ぐらいだったかなと思います。

伊東:東京ですか、大体。

44:27

原:いいえ、コロナ前は、千葉の浦安市でした。浦安市は、前の理事長さんが近くに住んでて、そこの自治会館があり、スペースも広く設備も揃っていて、小部屋も何室かあるので、当会の総会をするのには、とても充実した施設でした。総会の日は、講演会・交流会など総会以外の事もしますので、そうしないと中々集まらないので、

伊東:それが年1回の集まりみたいな。

原:そうです。全国から来ます。総会は、基本的に午前中先生の講演会です。先生は研究者でもありますので、研究を発表します。私達には分からない内容が多く眠くなるような内容です。基本医学ベースなので、そして午後から総会その後交流会みたいな流れです。

伊東:都内にいる人とかは本多先生を経由してなるこ会に来るみたいなのがあると思うんですけど、他の地域の人たちはどうやって知るものなんでしょうか?

原:ホームページ作ってからは、ホームページを見て入会したり、新聞とかマスメディアで、の啓発ですかね。当会は電話相談も以前から長年してますので、そのからの入会もあります。

伊東:そういうところで、話したときって、ナルコレプシーって何個か種類があると思うんですけど、そういう種類が違っても、こうあるあるみたいなのをわかり合えたりするものなんですか。

48:40

原:現在分類的には。1型2型、特発性になります。以前は、患者は一緒みたいな感じで。した。しかし、同じ睡眠障害でも、実際違います。特発性過眠症とナルコレプシーは全然違うので、同じ眠くなるとかっていうのはありますが、生活の流れが違うのと困ってる事は眠いっていうことは一緒ですが、あるあるとかが共感できない人も多かったりします。交流会では、そういう当事者とお互い喋るのはあんまりないので、同じグループにします。そして、家族や支援者の方は、当事者とは一緒にしないで、別グループにします。

伊東:総会とかで話すときにわかれてるってことですか。

原:総会の時は一緒です。その交流会で別れます。

伊東:交流会のときに家族の。

原:家族は家族の方とか。当事者が家族の中にいても、家族の方しか会員でない方もいます。特にお母さんが多いです。お母さんたちが多いとかっていうのがあるからそういうときは、あの患者さんの中でも当事者とは一緒にせずに、グループで集まったときもあった。

伊東:そうなんですね。原さんのご両親は、そういう。

原:全然総会には絡んでない、私が活動しているだけです。

伊東:なるほど。なんかあの会報を拝見したときに、自己紹介で、どういうナルコレプシーですとか、病名をご紹介してる感じだったので。理事長になられたのは。

原:2020年。

伊東:理事っていうのは、選挙みたいなので選ぶんですか。

原:違います。推薦などです。

伊東:なるほど。

原:2020年に理事長になったんだけど、確か大学生かな。もう名前は理事だった。

51:35

伊東;そうなんですね。

原:なるこ会はNPO法人に平成16年になりました。その前迄は任意団体でした。あまり覚えてませんが、故本多裕先生から理事やってくれる?みたいな感じでお願いされました。初めは、理事と言っても総会のときに手伝いをするとか、そんなぐらいです。数年後には、入会業務をしました。申し込みがあったら、書類を投函する業務とか、そのぐらいの程度から始まりました。書類を郵送したりとか、パソコンもあるので、そんなに時間をかけないでやりました。その後は、毎月の理事会にも参加して下さいと言われて、毎月理事会に参加、出れない時もありました。理事会にはなるべく参加して、その時の活動のいろんな話聞いたり、年間の活動を検討したり、総会の時には会場設営でスクリーンの設置などしました。

伊東:なるこ会は、その他の障害者団体とか、あるいは、医療者団体との交流ってどんな感じなんですか。

原:最近、他の患者会では、R&Sってリズム障害の団体、

伊東:リズム障害。

原:リズム障害の患者会があります。睡眠のリズムが乱れる障害、睡眠障害です。そのR&Sっていう団体との交流をしています。コロナ前から多少交流してます。又おひさまの家という団体もあります。コロナ以前もそうでしたが、理事会メンバーが若返り、交流が増えました。以前は、基本的に他の障害者団体とのコラボっていうのはまず無かったと思います。一つだけ、海外の同じナルコレプシーの患者会との交流はありました。

55:04

伊東:先日の会誌にも、アメリカでしたけど、交流のことの。

原:それは最近、また海外との交流が再開しました。大昔の理事さんがしていた活動とは、相手も違います。現在の海外の患者団体は、プロジェクトスリープと言います。何かのきっかけで代表のジュリーさんと知り合い交流が始まりました。製薬会社の方にも、通訳でお世話になりました。同時通訳を製薬会社がしてくださったので、実現出来た活動です。同時通訳はとてもありがたいです。

伊東:同時通訳だったんですね。お金もめちゃくちゃかかるんじゃないですか。

原:製薬会社が全部段取りして下さいました。

伊東:なるほど。そういう会社さんとかとのお付き合いっていうのは、ずっとある感じなんですか。

原:私が理事になる以前から製薬会社との付き合いは、本多真先生や故本多裕先生が、薬と患者は離れられないからと言うことで製薬会社には、支援をお願いしています。昔から先生が主導で働きかけてくれています。現在は、理事会の方でその辺は活動してます。そして、理事前の時代は、資金不足になるので、足りないときにどうやってお金を工面するか、会員さんからの寄付もありますが、そんなに多くないので、財団への申請など該当する事業で支援をしてもらえるなら申請をしないとなど故本多裕先生がそういう活動しなきゃ駄目だよと理事会で話していた事が昔はありました。

伊東:今、薬やめてるっておっしゃってたじゃないですか。それはどれぐらいなんですかやめてからは。

原:結婚するときには完全に断薬しました。

58:28

伊東:そうなんですか。

原:最初は昼中の薬、賃貸業の会社に行ったぐらいから、昼中の薬はいろいろ飲み方を試しました。断薬したらどうなるかなど、その結果そんなに大きな問題も発生しなかったので徐々に減らしていきました。基本的には薬の量です。

伊東:昼間というのは、朝昼晩と飲んでたのの、昼をやめたってことですか。

原:一応覚醒する薬は、昼間のみ飲んでましたので昼薬のみ飲まなくなりました。夜、安眠する薬は夜飲みます。ナルコレプシーは朝と昼に覚醒しないといけないから。この薬を飲んで、夜寝るときには覚醒しちゃ困るから、安定剤のような薬を飲んでました。

伊東:じゃあその、覚醒させる昼のやつからまずやめてみる。

原:はい、そうです。昼間の薬の影響は特に大丈夫でした。

伊東:特に何も。

原:はい。

伊東:そうなんですね。

原:だんだんと良くなったのか、症状の頻度が減ってきたとか、飲まなくてもいいやと思う様になり、それを段々と断薬して、結婚した時には、夜の薬も断薬しました。薬を飲んでも、熟睡は出来ないから、飲まなくても死亡する事でもないので、本当に安定剤みたいな感じでしたので、だから別に飲まなくてもいいやと思い現在に至ります。

伊東:やめようと思ったのは自分で決めてやめようと思ったんですか、なんかそういう人がいたから真似したとか。

原:いや、いなかったと思います。

01:01:43

薬は、最終的には何と言うか薬が全部治してくれる訳ではないので、ナルコレプシーは完治しない病気なんですが、基本的には薬を頼るのはやめたいと思う様になりました。実家の会社をするようになってから、信仰の関係のお寺や神社に行ったりとかして、規則正しい生活リズムをするようになり、その関係でさらに良くなった。要はリズム、夜9時には消灯だから、寝なきゃいけない。9時5時は必ず寝る。昼休みもあるので、同じ時間に起きて同じ時間に寝るっていうのが強いられるような、そういうところに行くことになったりとかして、それでさらにリズムが安定しました。今はもう朝5時に起きるの何の苦でもないです。リズムが整いだしたところから余計に薬は飲まなくていいと、思うようになりました。そして、薬って結局頼りすぎると、最近などの災害の時も困らないし、だからいつかは、薬を克服したいと思っていました。だから体の調子をみながら、少しづつ断薬をしていきました。しかし、その様になるには、環境が多少フォローしてくれないとそれは出来ないと思います。初めの就職した会社は、ブラックの企業みたいなとこで働いてましたので、普通の人でも睡眠時間短いんだから厳しい労働環境でした。そして、現在病気が最終的に良くなってるかどうか検査をしてないので分かりませんが内心的には別に、そういう精神状態を作れたからそれはそれで良かったと思ってます。

01:04:52

伊東:朝5時に起きるような生活の、お寺とかですかね、っていうのは、期間的にはどれぐらい、1回行ったらどれぐらいの期間その生活なんですか。

原:特に決まってません、1日でもいいし、何日でも、自分が行きたいときに何日間だけ行って、ちょうど私はその頃20代後半ぐらいでそこに行くようになりました。信仰の活動も忙しかったし家の仕事も融通が利くことが多かったので意外と行ってました。月の中でも、10日位行ってた時もありました。それが何年も続いたりしましたので、それが体に染みついた感じになりました。

伊東:それは無料でいけるんですか。

原:はい。普通に信仰の活動だから特にお金取られるわけでもなく行ってました。

伊東:薬をやめたときって、お医者さんからは何か言われました。

原:主治医には辞めますって言う前に、病院に行ってませんでした。だから、もう知らない間に原さんは来なくなったねって思われてたと思います。主治医の先生に、次回からも薬やめたいんで行きませんと話しても、多分そんなことないよ、飲まなきゃ駄目だよと言って延々と言われても、堂々巡りだからもう別に、行かなかった。その時は会の活動をそんなにしてなかったので、先生に会う事もなく、原さんなんか大丈夫みたいになったのかな?と逆に心配してくれたから、とても申し訳ないです。本当は、何か言ったらよかったけど、医師としてはそんな完治してない人に通院しなくていいよと言う医師はいないと思ったので、通院するのを辞めました。ちょっと良くなったからもう病院行かない事や、それはそれで別にいろんな選択肢があると思います。それぞれに環境と要因が違うから、別に絶対薬を飲みなさいっていう事でもないですし、薬の飲み方もすごく千差万別なので、考えないといけないし、先生から言われたことを全てやってれば何でも良いて訳でもないので、薬の飲み方すごい重要で大切ですが、その方法は先生は教えてくれないです。。

01:08:10

伊東:じゃあ、そういうのを会で教え合うというか、共有。

原:そういうのはお互いの情報交換などで、こう飲んでたらこうなったとかありますが、やはりみんな違うので、一番勘違いしやすいのは、症状は大体は一緒ですが、環境要因は全然違うので、同じ事をやっても当てはまる人と当てはまらない人がいると言う事です。まだナルコレプシー単体の症状だけなら良いですが、他の疾患との合併をしていたり、精神的に鬱になったり、大人の発達障害の人も多いので、元々要素あったと思いますが、何が原因で眠いっていう症状になるのかは、とてもわかりずらい事だと思います。ただ先生の言うことだけ聞いてるっていう考え方はそもそもやめよう、薬を飲んで、自分でこれがいいかなとか、効いてるかなとか、効いてないのかななどは、本人しかわかんないから、それは別にこの疾患だけでなく他の疾患も一緒です、患者として先生に頼らない考え方、自分が主になって、飲むか飲まないか決めたらいいと思います。又、ナルコレプシーは慢性疾患だから、生涯薬を飲む事にもなりますので、ずっと飲んでいれば良いではなく、いろいろ考えた方が良いです。又、薬も変更する時も先生に相談しなければいけないと思いますが、そんな時も患者としての意見をしっかり言えた方が良いと思います。先生と患者のコミュニケーションがどこまで親密に出来るかなみたいな。忙しい先生だと特に変わった事ないよねと言って処方箋書いて終わりという医者も中にはいます。医者は本来もっと実生活を聞いていろいろな背景があって今こうなってんだなっていうのを聞いてあげたり、生活のアドバイスをしたり、そういう事をすごく突っ込んでくれる方が患者としては、本当はいいのかなと思います。そう言うのをやっぱり主治医はよく聞いてくれるというか、どちらかと言うとそちらがメイン、薬の事よりも今学校で困ってる事、今どんな感じで仕事しているのか、そんな感じで聞いてもらえる、そういう医者との関係は、すごくこの病気の中で、良くしていこうと思うなら、努力しないといけない事です。

伊東:精神障害の関係の活動とかを聞いてると、お薬をやめたいんだけどうまくやめれなくて困ってる人が結構いて、そういう人たちがやめ方を教え合うとかみたいなことをやってる地域とかもあるんですけれども。原さんはやめられたじゃないですか。何か教えてほしいみたいなのってきたりしますか。

原:ない。

伊東:そうなんですね。

原:そういうきっかけがないから。多分私がこの薬をやめたっていう話も、そもそも誰も知らない、知っているのは現理事くらいです。私薬をやめましたって言って、何でやめたんですかとか言う機会がありません。コロナ禍と言うこともあり、こういう話もするのも基本的にそんなにないからです。

伊東:そうですよね、すいませんありがとうございます。

原:はい

伊東:薬以外の、対応の仕方ってありますか。

原:どういうことですが?。

伊東:というのは何か、話を聞くもそうだと思うんですけれども。何だろう例えば、なんか眠気覚ましだったらコーヒーを飲むとか、エナジードリンクを飲むとか、そういうのって意味ありますか。

01:13:13

原:なくはないと思いますが、一時的なものだと思います。ナルコレプシーの根本的な原因としてが、オレキシンの欠落の話に戻るますが、覚醒度がそもそも低い、ボケっとしてるようなイメージとかっていうのがあったりとかするから、気休めぐらいとは思います。ないよりはいいかもしれないし。逆に抗体ができると、効かなくなる事もあります。運転してる時も、私は最近2時間ぐらい運転することもあります。運転中にトイレ行きたくなったりしますので、基本はコーヒーとかお茶は飲みません。もう飲むなら水です。あとは、最近、炭酸のビタミン剤を少し飲むと、ちょっと気持ち覚醒してるかなっていうのはあります。それが結局、眠気を治すわけではないので、睡魔が来る時はきますのでその恐怖との戦いです。でも、そもそも運転する前に、眠かったら、運転しないし、やばいと思ったら停車して寝る、当たり前の事です。運転中は、眠そうでしたら、とりあえずスケジュールがどうであれ5分でも10分でも寝て、ちょっとすっきりしたなと思ったら、出発するとかの対策をしてからではないと車は乗れないです。

01:16:02

伊東:なるほど、今も、やばいなと思ったら寝るとかっていうふうに対応されてるんですか。

原:はい。近場だったらすぐ帰ってこれるからいいでけど、基本眠いときには乗らないと決めてるし、昼休みは昼寝の時間を作ってます。必ず15分以上寝たいなと思っているので、とても忙しい時以外昼寝します。

伊東:薬っていうのは、覚醒をする薬だと思うんですけど、それって寝なくてもよくなるっていうわけではないってことですかね。つまり、寝る時間を夜に持っていけるようになるのか、寝る時間が普通だったら8時間寝ないと無理なとこ、7とか6とかに減らせるようなものなんですか。

原:何でしょうね、基本的に多分、夜寝れない人も睡眠がとれないから、朝と日中に眠気の、睡魔が襲ってくるっていうのもあるし、そもそもナルコレプシーは睡眠と覚醒が不安定だから、例えるとスイッチがぶらぶらしてるみたいな。スイッチが切れて寝てしまう。いつ切れるかわからないスイッチみたいな、何かの拍子で突然に切れてしまう事があります。根本的には、オレキシンの欠落の為にそのような症状が常に続いてるから、夜も昼もない。夜でも多分もしかしたら起きてしまう人は頻繁に起きています。だから、薬で寝るときに寝る、起きるときに起きるっていうようにしている。

伊東:会の今の活動としては毎月の理事会が。

原:はい

01:18:39

伊東:理事会って、どんなことをお話されるんですか。

原:お知らせや、活動報告、審議事項、今後検討事項などの案を出して、理事会で審議をします。2時間しかないので意外とすぐ時間が経過してしまいます。又議題が多い時もあります、内容も濃ければすぐ1時間経過しますので、審議その時間の中で進めて決めていく感じです。

伊東:理事の方は皆さん、関東の方なんですか。

原:いや、全然、遠い人は静岡の方とかいます。なので基本的にリモートで実施してます。結局移動時間もあるし、毎回Zoomでしてます。

伊東:そうなんですか。会の方向性っていうんですかね、として、病気として認定されるとか、社会保障をとれるようにするとか、そういうのって何となく合意があるものなんですか。

原:先程話しましたが、今後新薬が発売されて時の薬代が今の患者には払えない価格になる事、どうにかして社会支援をもらわないと厳しい事になってしまいます。自立支援を要望してます。自立支援っていう枠に、ナルコレプシーが入れるようにしてもらいたいと言う活動をコロナ期間中にいろんな人に話したり、そのロビー活動、議員さんとの面談など、そういう活動はまだ継続中ですが、その問題はまだ解決には至ってないです。又ナルコレプシーは、難病にも認定されていないので、難病認定されるっていうのにもハードルがいろいろあるので、難病認定については、睡眠学会の先生方にもいろいろとお世話になっています。認定には、どれぐらい患者がいるのか?有症率は一応あるけど、実際どうなってるのとかなど、その辺の整理整頓を全部していかないと認定されないし、認定基準があるので、難病になるにはその一つ一つの課題の問題があるので最後認定されるんだけど、簡単にはいかないです、なので現在それをやってる最中です。

01:21:48

伊東:なるほど、難病認定。

原:今ICD11のカテゴリーになり、睡眠が独立したので、社会支援が余計宙ぶらりんに。

伊東:なるほど。ICD。

原:ICD11、精神でも神経でもなくなって、睡眠が独立しました。そうなると今の法律ではどこにも引っかからない。新規に法律を作らないとならない、だけどそんな新規の法律なんか誰も作ってくれないので、既存の法律に一緒に入れるところを探した結果たどり着いたのが自立支援法っていう法律です。そして、何故かてんかんの団体はそこに入ってるとても不思議と会では、話しています。それは多分、何か団体の圧力でそこに入れて、自己負担が1割になっているのかな、まあ患者数も多いし、そういうような活動を多分されたりとかしてたから、そういうことが、可能になったのかなと。そして、当会自体は、そんなに対外的にアピールをしてる訳でもなく、交流を主とした活動で長年やってましたので、活動も細々とやっていたっていう歴史があるので、別にそこを望んでいてもなかったし、薬価はそんなに高くない薬を長年飲んでいるので、それがあるから、製造中止になれば、陳情などの活動はありますが、薬があるから、別に政府に対して陳情したりとか、何とかしてくれっていうこともなかった。だけど最近になって新しい薬が出来ると、薬代の問題が表面化して、騒ぎ始めたので陳情などの活動をしないと、どうしようもならないと思い、今はそういう段階に入ってきたと思います。

伊東:治験とかも参加したりする。

原:私はもう薬飲んでないので参加してないです。他の理事はしてました。

伊東:そうなんですか。

原:治験は、今だからいろいろと新しい新薬が開発中なので、やっぱそういうのを情報共有する活動もしてる。そして、このように治験に参加する事などは、会の定款にも、医療への貢献などが書いてます。しかし、実際治験参加者は意外と少ないようです。又参加者を募集している製薬企業も集めるのには、すごく苦労しています。そして、治験自体が大変な事なので、それに参加する人はなかり大変ですね。

伊東:治験を。

原:実施するのには、いろいろ制限があります。そもそも他の持病を持ってたら無理です。こうしてくださいああしてください。それに、普通に働いてる人が、治験なんかまず無理です。それは、会社休まないといけないので、そういう保証はありませんし、1ヶ月では終わらないので、もても長いです。最近はそういうのを考慮して自宅で飲んでるだけでいいとか、でも通院は何回かしなきゃいけないとか、でも同じ主治医ではないので、多分治験に関しては、製薬会社のこだわりはあると思うし、なかなか敷居は高い。でも、治験の人が集まらなかったらそういう薬は最終的に完成しない。治験は製薬会社が主体なので、患者の意見はなかなか聞かないです。そして、そういうことを考えてくれないと、集めれる人も集めれないし、でもそれは製薬会社が安全上の問題があるので駄目って言われますので難しいと思う。

伊東:製薬会社からなるこ会に対して、患者さん紹介してくださいみたいな。

原:紹介してくださいとか、ホームページへに治験のお知らせをして欲しいとの依頼や又LINEなど会員さん繋がってるツールもあるので、そういうお知らせをするとかしてます。基本的にはそんな程度です。個人的な患者の紹介まではしてません、結局個人情報もあるので、会としては誰が治験を受けてるなどの情報はありません。

伊東:他、なんかこれこそはっていうことあります。

01:27:29

原:これこそはっていうのは、特にないけど、やっぱりこういう患者会のマイナーな活動してるところの歴史があるから、全部読んだら大変かもしれないけれど、その時代背景がかなり今違うので、あくまでも昔は昔今は今、で未来は未来だから、患者会の活動は、その時代時代に合ったものにしていかなきゃいけないのかなと思いますし、患者会に求めれるものは刻々と変化していくものと思います。そして、それに対応していくだけのものがないと、継続していかないものだと思いますし、そういう事は今後の当分の課題としては、あるのかなとは思います。当会はこれだけ長い歴史があり続いたという事については、故本多裕先生が、その最初当会の発起人みたいなね感じで、患者さんを見て、自主的な会を設立していこうって言う事からスタートして、長年続き今現在は、息子の真先生が後を継いで、主治医もやってくださっています。そういう主になる人材がいないと継続しないです。そういうやっぱり思いのある人がいないとこういう患者会はは続かないのかなと思います。

01:29:27

伊東:本多真先生は、毎月の理事会とかにも出てこられる。

原:理事ではないので参加しないです。しかし、会のことをすごく気にしてくれています。何か聞けばすぐ答えてくれます。総会にも参加して下さり。研究の講演もしてくれます。基本的にそういう会の活動を外から見守ってくれている存在です。

伊東:なるほど。

原:そういう存在がすごく大きい。

伊東:お父様が、その発起人をされてそれから息子さんがずっと継いで、昔のなるこ会の昔の会員の方も、本多先生と繋がって、ずっとやってこられた。

原:はい、すごい熱い思いがあった先生でしたので、又昔もそんなに専門医の先生もいなかった時代ですし、自分の事をここまで身近に親切に診てくれる先生いなかったから、この先生しかいないと思い多くの患者がついていると思うし、そういう会だから長年会員になってくれている高齢者も多いと思います。

伊東:本多裕先生は、ご家族とかご本人とかがナルコレプシーではなくて、

原:患者ではないです。どういうきっかけでナルコレプシーの研究を始めたのかは、詳しくは分かりませんが、東京大学の先生なんです。東京大学の時からそういう様なことを、研究されようと思い始まっています。若い頃からされてるんで。

伊東:そうなんですね。それは珍しいんですかね。じゃあインタビューはこんな感じで終わりにさせていただきます。ありがとうございました。

(了)

UP:20240415 REV:20240419(中井)
なるこ会声の記録(インタビュー記録他)×ばつ社会アーカイブの構築病者障害者運動史研究伊東香純
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