last update:20210609
■しかく目次
<1>控訴審第2回期日を取り組む
去る5月21日、東京控訴審第2回期日は、気象記録史始まって以来の早期梅雨前線の曇り空の下、東京高裁前にて14時15分、原告・弁護団・市民の入庁行動デモンストレーションをもって開始されました。
その後、市民への傍聴券配布、抽選。この日は高校生一団の姿が注目されます。
15時に裁判期日が開始されました。
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続いて旧優生保護法東京弁護団の意見陳述が開始されました。同時に会場にはパワーポイントによる公開が続く。
(
※(注記)以下はPDFファイルで掲載しております。)
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フレーム]
意見陳述要旨
2021年5月21日
旧優生保護法東京弁護団
1 はじめに
今日の
裁判では、
前回の
裁判で
私たちが
主張したことについて、
国からの
反論がありましたので、もう
一度、
私たちの
主張を
伝え、
反論しています。
これまでもお
伝えしてきたように、
私たちは、
北さんに
対して
優生手術を
行っても
良いとしていた
法律、その
法律によって
作り
出された
障害者に
対する
差別、そしてその
差別を
放置してきた
国会議員や
大臣たちが、
憲法のもとで
責任をとることを
求めています。
2
私たちが
国に
対して
求めていること
(1)
違法確認の
訴えについて
まず、
前回の
裁判で、
私たちは、
国が
北さんに
対してきちんと
補償をしないことは
違法であることも
確認して
欲しいと
求めています。
国は、このような
主張は
認められないとしています。しかし、
私たちは、
補償をしないことが
違法であるということを
確認することは、これまで
私たちが
求めてきたことと
共通する
内容が
多く、そして、
北さんの
被害の
回復のために
裁判所に
判断してもらうことが
必要だと
反論しています。
(2)
大臣・
国会議員の
不作為による
損害について
次に、
大臣・
国会議員の
不作為によって
北さんが
受けた
損害、つまり、
北さんが
優生手術を
受けさせられる
原因となった
優生政策に
対して
必要なことをしなかったことを
問題としています。しかし
国は、
今回の
裁判では、
優生手術を
行なったことが
問題とされており、
北さんの
損害の
議論はそのことを
中心に
考えれば
十分であると
主張しています。
しかし、
今回の
裁判で
問題とすべきなのは、
優生手術だけではありません。
優生保護法を
作ったこと、
手術をしたこと、その
後、
被害回復のために
何もしてこなかったこと。
北さんの
被害については、
優生手術の
時だけ、つまり「
点」として
考えるのではなく、「
線」として
考える
必要があります。なぜなら、
手術によって
北さんが
受けたのは「
人生被害」、つまり、
人生の
中でずっと
続いている
痛み、
苦しみだからです。
(3)
大臣・
国会議員の
偏見・
差別をなくす
義務と
被害の
回復について
また、
私たちは、
国が
優生政策を
作り
出し、
北さんをはじめ、
多くの
人たちに
苦しみを
与えてきたからこそ、そのような
偏見や
差別をなくすために
必要なことをすべきであったのにしなかったことが
違法であると
主張しています。しかし、
国は、
金銭での
賠償が
原則であること、
私たちが
主張するような
義務の
根拠はないなどと
主張しています。
これに
対して
私たちは、
法律は、
金銭ではない
形で
賠償してはいけないとは
書いていないこと、
今回は、
現実に
沿った
結論を
出すために「
条理」という
考えを
使うことを
説明しています。
北さんがそうだったように、
優生手術は、そもそも
本人に
知らせずに
行われ、
本人が
手術のことを
知るまでには
時間がかかることが
多いです。だから、
私たちは、
国が
手術を
受けさせられた
人に
対して
積極的に
賠償するために
特別な
法律を
作り、しっかり
謝罪したうえで、
優生政策が
広めてきた
障害者に
対する
差別をなくすための
取組みをするべきであったと
主張しています。しかし、
国は
何もしてきませんでした。
私たちは、このような
行為全体が
違法であると
強調しています。
そして、
偏見や
差別をなくす
義務があるという
私たちの
主張に
対して、
国は、
何をすべきであったのか、その
義務の
内容がはっきりしないといった
反論をしています。
しかし、それぞれの
大臣や
国会議員は、
優生手術の
被害者に
対して
謝罪をすること、
障害者などへの
偏見や
差別は
許されないものであることを
人々が
知って、
偏見や
差別がなくなるように、
人権を
広めるための
活動を
行うこと、
偏見や
差別が
行われないように
教育を
通じて
広めることなど、
優生政策の
影響をなくすためにすべきことは
明らかでした。
自分たちが
作った
法律によって、その
人が
生きていることすら
否定する
酷い
差別が
行われ、それは
今なお
続いているのに、その
状況を
変えるために
何をしたら
良いか
分からなかったというのは、あまりにも
無責任ではないでしょうか。ハンセン
病に
関する
裁判でも、
国は、ハンセン
病患者への
偏見差別をなくす
義務を、
本人だけではなくその
家族にも
負うことが
認められています。
(4)20
年という
時間の
制限が
過ぎてしまっていることについて
国はさらに、これまでと
同じように、
北さんが
裁判で
請求できる
期限が
過ぎてしまっていることを
主張しています。
しかし、
今回のように、
国が
政策によって
酷い
人権侵害をしていた
場合に、
国の
主張である「
法律関係を
早く
安定させること」が、
北さんの
訴えを
認めない
理由になるのでしょうか。
北さんは、
手術を
受けた
後も、
子どもをもてないということ、そしてそれを
周りの
人に
打ち
明けることもなかなかできないことによる
苦しみをずっと
感じていました。
北さんが、このような
悲しみや
痛みの
原因が
国だったことを
知ったのは、
仙台で
裁判を
起こしましたという
報道に
触れた
時でした。
実際に、
仙台の
裁判は
国を
訴える
初めての
例だったのですから、
北さんがそれまで
知らなかったのも
当然です。この
時、ようやく
北さんは
自分の
権利と、それをどのように
使うことができるのか
知ることができたのです。
国は
自分の
政策として
酷い
人権侵害である
優生手術を
行ったばかりでなく、
被害回復のために
特に
何もしませんでした。
北さんには
何も
落ち
度もなく、
仙台の
裁判を
知った
後は、すぐに
声を
上げました。
このような
状況なのですから、
私たちは、
今回、
北さんに
対して20
年という
時間の
制限は
認めるべきではない、
信義や
誠実、
正義と
公平という
理由から
間違っていると
主張しています。そもそも、
国自身が
行なってきた
人権侵害について、
自分が
作った
法律を
理由として
責任をとらなくてもいいという
主張は、
国民の
権利を
守るという
国の
義務を、
自分で
放棄するものです。
(5)
国際的な
人権の
条約によっても
時間の
制限は
認めるべきでないことについて
北さんに
対して
時間の
制限を
認めることは、
日本が
国際社会に
対して
守ることを
約束している
条約にも
反しています。
北さんへの
優生手術は、
拷問等禁止条約の「
拷問」に
当たるほど、
北さんの
人としての
大切なものを
奪っています。そして、このこと
自体は
国も
争っていません。
国は、
拷問に
対する
補償を
求めるために、
時間の
制限をつけるべきではないという
考え
方は、
国際社会でまだ
一般的に
認められていないと
反論しています。しかし、
条約の
解釈をする
専門家やガイドラインが、
拷問について
時間の
制限をつけてはいけないと
言っていることは、
既に
国際的なルールであり、
国も
尊重しなければなりません。
さらに、
拷問である
以上、その
苦しみは
長期間続くのですから、たとえ
優生手術は
条約ができる
前の
出来事だとしても、
国は
賠償や
謝罪などの
救済する
義務があります。この
義務は、
時間的な
制約も
及ばないというのが
国際的な
法律の
理論で、このことは、
世界各地の
裁判所でも
認められています。
日本の
裁判所は、これまでも
重要な
判断をする
時に、
条約が
決めていること、
日本政府に
対して
言われたことを
参照してきました。
今回も、
国際人権に
関する
専門機関は、
優生手術が
人権条約に
違反すること、その
賠償に
対して
時間の
制限をするべきではないことをはっきりと
認めているのに、
国がこれを
無視することは
国際社会に
対しても
説明がつきません。
(6)
憲法17
条を
理由として、
特別な
法律による
被害回復が
認められることについて
国は、
被害回復のための
特別な
法律は
必要なかったと
主張しています。しかし、
私たちは、
国家が
人権侵害をしたときの
賠償について
決めた
憲法17
条でも、
今回のような
事案では、
北さんのように
被害を
受けた
人たちのために
新しい
法律を
作ることはできると
主張しています。
3
裁判所に
伝えたいこと
裁判所に
対しては、
次の3
点を
特に
強調して
伝えたいと
思います。
まず、
仙台でも、
大阪でも、そして
札幌でも、
優生保護法や
優生手術は、
私たちが
自分らしく
生きるためにとても
重要な
権利を
侵害し、
憲法に
違反すると
認める
判決が
出ていること、そして、
国が
優生手術を
始めてから
一時金支給法をつくるまで、71
年間も
経っていること、
最後に、
北さんが
自分の
受けた
被害の
意味に
気がついたのは、
仙台で
裁判が
起こされた
時である、ということです。
今回、
北さんの
訴えについて
考える
時には、この3つの
点を
必ず
忘れずに
考えてもらうよう
裁判所に
対して
改めて
求めます。
<2>(16時〜16時50分)期日報告集会
同時に全国へオンラインにて報告される。
とくに、この日、衆議院第一議員会館第二会議室をお借りし、Zoomによる集会が開催されました。
内容は先ず、北三郎原告(仮名)の以下のようなアピールがなされました。
原告・北三郎さん(仮名)のアピール
こんにちは、優生被害者の北三郎です。14才の時、何の説明もないまま、手術を受けました。
この裁判を起こすまで、親を今まで恨んできました。
姉さんは、あなたを恨んで手術したのじゃないと私に説得してくれました。半信半疑でした。
自分が受けた手術は国がした優生手術だったことを知り、驚きました。
多重の苦しみ悲しみこみあげてしまい、なみだが出てどうにもならなかった。
なぜ国が私の体に勝手にメスを入れなければならないのか、国に怒りがたちます。
幸福追求権に違反する行為です。国に目を向けるようになりました。
今も妻の声が聞こえてきます。子どもがいなくて寂しいの、この言葉がとても辛かった。
子どもが欲しくてもできない体にされて、どれほど苦しんできたか、この苦しみ、
国に謝ってもらいたい、国が勝手にした不妊手術、私の人生を返して欲しい、
昨年六月三十日に判決がありました。私の願いはまったく届きませんでした。判決には納得できません。
二十年たったら権利が消えてしまうというのは納得できません。
それに判決では優生保護法が平成八年の母体保護法に改正になったときには裁判ができたと言っていました。
仙台の裁判の報道まで、まさか国が手術をしたとは思っていませんでした。
国は私に何も知らせず、謝ってもくれませんでした。
私の住所は分かったはずです。謝ろうと思えば、いつでも謝れたはずです。
手術のことを知らせることぐらいはできたはずです。
国から何も知らせがないのに裁判なんかできるはずがありません。
私はずっと親が手術を受けさせたんだと思っていたんです。
平成八年には裁判ができたはずと言われたことは納得ができません。
裁判所には同じ判決はしてほしくありません。
二十年たったから請求できないと言われると、裁判所は血も涙もないのかと思ってしまいます。
妻のためにも被害者の人達にも私はこの不当な判決に泣き寝入りできません。国に謝ってもらうまで裁判を続けます。
命のある限り、闘っていきます。
全国にいる二万五千人もの方が、人生被害をう受けました。
そのうち誰一人として満足のいく被害回復をしてもらっていません。
ようやっと全国で二十五名裁判に名乗り出てくれました。
私はもっと名乗り出てほしいという気持ちでテレビや新聞に顔を出しました。
優生被害者がどれほど辛く悲しい日々を送ってきたか、一人ひとり苦しみが違うかも知れないけれど、
国にこの苦しみを訴えていきたい。
私たちは高齢者ばかりです。原告の中では裁判中に亡くなられた方もいらっしゃいます。
一日も早く解決をして親の墓の前に立たせて下さい。
裁判所には被害者としっかりと向き合い公平に裁判をしてほしいです。
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次に、全国優生保護法被害弁護団新里共同代表のご発言、再度、優生保護法東京弁護団による意見陳述がなされました。
<3>終わりに
東京の第3回期日は 10月4日(月)15:00 からと決定されました。
*作成:
安田 智博