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一歩踏み出す 障害教師論を研究

点字毎日 2020 点字毎日第4988号(2020年4月26日/5.3合併号 pp.17-19).


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last update:20210430


しかく一歩踏み出す「障害教師論を研究」

視力の低下で、逃げるように教師を辞めた。天職だと思っていたのに。そのわだかまりは、障害のある教師を切り口に既存の教育を問い直す「障害教師論」という新しい学問の研究につながった。中村雅也さん(55、全盲)は、東京大学先端科学技術研究センターの研究員として新たな生活を始めた。【山縣章子】

―視力低下と仕事の困難―

弱視で1992年から四国地方の盲学校などで教えていた。中堅として幼稚部の主任を務め、子どもたちの個別の支援は見える先生にお願いし、授業の組み立てや進行、授業計画の作成など役割分担してきた。「周りから頼りにされ、充実していた」。家庭の事情で近畿圏の教員採用試験を受け直し、2003年から当時の病弱養護学校に赴任。急激に視力が低下し、高校3年の担任時は、使命感でうつ病治療を受けながら生徒を送り出した。

1年休職し、パソコン操作や点字の訓練を受け、盲学校に転勤。「視覚障害の専門性もあり、力を発揮できる」と思ったが、そうは進まなかった。専門は国語だが、点字もスラスラと読めず、担当できなかった。サポート役にまわると、子どもの様子が見えず着替えの介助などがスムーズにできない。任せられないという雰囲気の中で落ち込んだ。抑うつがひどく、休職を経て退職した。42歳だった。今振り返ると、自らの困難は目が見えなくなった身体機能によるものではなかった。「職場全体で障害のある教師が働くことを受け入れる素地がなかった。社会モデルからみた困難さだった」と話す。

―続けた先の道―

母を在宅で介護しながら、視覚障害のある教師のインタビューを続けた。障害教師の会もあるが、個々の取り組みやノウハウが今困っている人にうまく伝わっていないと感じたからだ。2009年に立命館大学大学院に入学。20人の教育実践や働く上での労働環境の支援を尋ねてまわった。

視覚障害のある教師にサポートがついても、障害特性や障害者の支援を理解しておらず「自分でできるんじゃないの」と言われることに、「同じだ」と胸が痛んだ。一方で、見えない先生に授業ができるのかと思っていた晴眼の生徒が、教師と人間関係を育むうちに障害には注目しなくなる、そんな話も聞いた。いまある教育の仕組みや課題を障害のある教師を通じて見つめ直すと、違った視点があるようにも思えた。研究の成果を論文にまとめ、今年3月に博士号が授与された。博士論文の出版も決まった。

東大先端研では3年計画で研究する。「まず、障害のある教師の教育実践を広く知らせたい。そして、実践を保障するために、合理的配慮を含めた支援が保証される状況を作り出したい」と話す。障害のある教師のサポート方法が分からない管理職など、関係者や当事者を交えながら課題解決に向かう「アクションリサーチ」を行っていくつもりだ。

新生活はガイドヘルパー探しなどに時間を取られる。「本質的なことをやる前に、多くの労力がかかる。全然一歩踏み出せていない」と苦笑する。とは言え、一つのことをやっていると、次の課題が見えてくる。「せっかく研究のチャンスが与えられた。気が重いことも多いが、続く可能性のある道が存在するなら進んでいきたい」。遅咲きの研究者は静かに話した。





*作成:安田 智博
UP: 20210430 REV:
障害学生支援(障害者と高等教育・大学)障害者と教育全文掲載

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