「第2章 「障害児の親」に関する社会学的分析」
中根 成寿 20010131 「『障害がある子の親』の自己変容作業――ダウン症の子をもつ親からのナラティブ・データから」,立命館大学大学院社会学研究科,修士論文
last update:20151223
第2章 「障害児の親」に関する社会学的分析
第1節 「障害児の親」を社会学はどう捉えてきたか
第2節 障害学モデルの可能性
第3節 障害観マトリクス
第4節 先行研究のまとめと仮説の提示
第1節 「障害児の親」の社会学的分析
「障害児の親」による子どもの障害の受容過程についての古典的理論としては、マーシャル・クラウス(Klaus,M.H.)の「悲嘆の過程」がある。クラウスらは「悲嘆の過程」を1、ショックの段階、2、否認の段階、3、悲しみと怒りの段階、4、適応の段階、5、再起の段階の5段階に分けている1)。親はこの過程を通して子どもの障害を受容していくと主張している。またフォーティアとウォンラス(Fortier,L.M.&R.L.Wanlas)も同じように「悲嘆の過程」を5段階に分けて記述している。すなわち第一はショックの段階、第二に否認の段階、第三に悲しみの段階、第四に外に目が向く段階、第五に終結の段階が来るというものである2)。それに対して要田洋江はクラウスらの「悲嘆の過程」の問題点を以下のように指摘している。
まず第一に、これらの研究においては、親たちの悲しみが「正常な反応」として位置づけられ、ほとんどすべての親は一様に悲しみにくれるものだ、とされている。しかしながら、この悲しみの反応は統計的にみて多数を占めるということにすぎず、障害児の誕生が親の悲しみを引き起こすのが即「正常」だと捉えるのは、問題がある。(中略)また、「悲嘆の過程」の研究では、親たちの悲しみの反応が、なぜ引き起こされるのかが問われていない。さらに、「悲嘆の過程」の最終段階が「再起」もしくは「希望」と表現されているが、親にとっての「再起」「希望」が障害児にとってはどのような状況なのかが不明のままである。これらの研究が暗黙裡に言おうとしているのは、障害児の誕生に対してショックを受けたとしても、「慣れる」ことによって悲しみは癒える、ということにすぎない。3)
「障害は悲劇の対象であり、親たちは障害への価値を変更することなく次第に慣れてゆくものである」としたクラウスらの研究内容を、要田は「医学的な価値にとらわれすぎている」と批判する。クラウスらの指摘では「障害が不幸なものである」という認識から親たちは自由になることはできないままであり、親たちが障害に対する認識や価値観を変更できなければ、それは単に障害に対しての後ろ向きな「あきらめ」でしかないことになる。それでは子どもの環境が変わるとき(小学校入学、引っ越し、いずれは来る親自身の死)に親たちは、再び新たな悲劇と向き合わなければならないことになる。
要田は以上のような批判を展開し、クラウスらの「感情の変化過程」の分析を進めて要田式の「障害児受容過程」のモデルを構築した。
要田は第1段階を葛藤と位置づけて、母親の状況を「自己憐憫」と「本児の拒否」と表現した。これは母親の中にある否定的障害観がその原因であると考えている。さらに「母親は『障害児は価値が低い』という考え方だけにとらわれてしまうのではなく、親として人として、その考え方に服従してしまう自分を受け入れてしまうことの情けなさ4)」という分析をしている。ここで必要になるのは、「『子のほほえみ』や『人見知り』といった、母親の<子どもらしさの発見>による母子のきずなの確認」であるとしている。
第2段階は「受容」である。この時の親はまだ子どもの「障害」に否定的な立場から逃れられていないけれども、我が子の「子どもらしさの発見」をすることにより、子どもを受け入れ始める段階であるとしている。ただこの時点では子ども自身は「受容」できているが、「子どもの障害」または「障害のある子ども」という部分ではまだ否定的であるので、「障害=価値が低い」という認識から逃れられてはいない。よってこの時期の母親は「より健常児へ近づくこと」が母親の願いとなる。療育に熱中するのもこの段階にある母親である。しかしこの段階での受容は、健常児との発達段階の比較により簡単に崩れ去るものである。
第3段階を要田は「変革」とおいている。この段階では親は「障害児のあるがままの姿を受け入れ、開かれた世界へ向かう段階となる5)」。この開かれた世界というのは、子どもの成長とともにその活動の範囲が広がることも意味している。この段階まで到達できた母(父)親は社会との壁にも臆することなく、子どもが持つあたりまえの権利を追求する存在となる。その時初めて親は「障害児の立場に立つ」ことが可能になるとしている。
要田は自らの提示した3段階モデルを「単に感情の変化として捉えるのではなく、当然ながら感情の変化もそれに伴っているが、『人間の価値とは何か』、それをどうのように考えるかという、価値観の変化に力点をおいて、母親の心の変化を捉えた6」」としている。すなわち親が自らの持つ否定的な障害観から自由になれるとき初めて、子どもの積極的な「受容」が進むということになる。要田はこれまでの障害児の受容過程では「受容」と「変革」過程を区別されていなかったと指摘し、安定した「変革期」を得るためには段階を踏んで受容過程を進んでいく必要があると指摘する。
モデル
感情の変化過程
「クラウスらの5段階モデル」
障害児受容過程
「要田の3段階モデル」
変化の焦点
感情の変化に焦点をあて、親の感情の変化を捉える
親の障害児に対する価値観の変化に焦点をあて、親の変化を捉える
過程
(1)ショック→(2)否認→(3)悲しみ
「第1段階」葛藤
健常者をモデルとした障害者観
(3)悲しみ→(4)適応→(5)再起
「第2段階」受容
「第3段階」変革
「障害」を劣等と捉えない障害者観
図1 7)
要田は以上のような批判を行い、障害がある子どもを出産した親への聞き取りを行った上で、親は二つの立場を激しく往復するものであるというという結論に達している。
障害をもつ子の親は「"差別される対象"であると同時に"差別する主体"であるという、両義的な存在であること8)」と要田はいう。すなわち医師や親の親族(両親、親戚)たちから障害児への「不幸な存在」「まわりを不幸にさせる存在」「あってはならない存在9)」という言説を投げかけられる被差別者としての親である。これは直接的な差別の言説に傷ついてゆく存在である。そしてもう一方では差別言説を受け入れてしまい、自らも我が子を差別の言説で語ってしまう差別者としての存在である。親は「障害児の親」となってはじめてこの両方の立場を手に入れることになる。要田はこれを「とまどい」の段階としている。
しかし、親はいつまでもこうした差別者と被差別者の両方の立場を背負ったまま生きていくわけではなく、段階を経て差別の言説の不当性を告発しはじめるようになる。要田はこれを「抗議」の段階と位置づけている。それはまず身近な肉親にむかってなされるものであり、そしていずれは社会全体に抗議を昇華させていくことになる。しかしその抗議を支えるのは「健全者の論理」にとらわれがちな自分への嫌悪であると、要田は「抗議」の段階をまとめている10)。
要田が「<健全者の論理>に立つ価値観は、社会的相互作用のプロセスを通して再構築されている11)」と言うように、人は事実としての障害をもつ子の親になったからではなく、他者から「障害児の親」として扱われること、またはそうした役割を与えられることで社会的に「障害児の親」としてその地位を変容させられる。
しかし、人は一方的に役割を押しつけられ続ける存在ではない。人は自己の望ましいアイデンティティを求めて他者に自己を提示する存在である12)。ゆえに人はその自己提示やアイデンティティ管理、自らの社会的立場の維持のためにさまざまな戦略をとる。その戦略は時に些細なものであったり、時には他者のアイデンティティを揺さぶるほど激しいものもある。戦略は自然となされるものではなく、自己と他者、社会との関係を再構築していくために意図的になされるものである。
石川准は、このような親たちのとるアイデンティティ管理を「存在証明」という概念をつかって説明し、「障害児の親」という揺れ動く立場を表現している。「価値あるアイデンティティを失うとき、否定的なアイデンティティを得てしまった時、人はアイデンティティ問題に直面する。直面した人は、さまざまな方法を駆使してアイデンティティを管理する13)。」
障害をもつ子の親は最初は自らに向けられる「障害児の親」というラベルを拒否しようとして子どもの障害を否定する。しかしその「障害児の親」というラベルは事実として存在するものであるので、単純に否定すること、隠蔽することは困難になってゆく。やがては「障害児の親」というラベルを自らの最も中心的なアイデンティティとして引き受けるようになってゆく。「障害児の親」を拒否することをやめて、「障害児の親」として適切に振舞うことによって自らのアイデンティティを確保しようとするのである。
では、「障害児の親」としての適切な役割とはなんだろうか。要田は「日本社会が期待する障害児の役割、すなわち『子どもが社会の迷惑にならないように子どもの監視を怠らない』親となること」であると述べ14)、石川はその役割を「近代社会が親、とりわけ母親に要求する一般的な役割を増幅・拡大させたものである15)」としている。自らの子どもを守るために、自己犠牲を払い必死になっている母親ということになる。以下のエピソードからもこうした分析の妥当性をみることができる。
「先生が今度、障害児の子を持つ母親に話をしてもらいます。といった時、私のイメージでは、右手にハンカチをもち、目には涙を溜めていそうな人だとおもったのだけれども、私の想像とはほど遠く、あっけらかんとしていたのに驚きました。」「私は、お母さんが教室に入って来られた時、びっくりしました。なぜなら、自分が想像していた人とは異なっていたからです。私は、年齢のわりにふけて見え、また、ファッション面でも、あまり気をつかっていないという風な想像を勝手にもっていました。だから
○しろまる○しろまるさんが来られた時はびっくりしたのです。」16)
必死に子どものことを思えば「年齢のわりにふけて見え、また、ファッション面でも、あまり気をつか」うこともできるはずもないし、そして世間のつらさとの戦いに疲れ果てて涙が止まらず「右手にハンカチをも」っていなければならないことになる。このイメージは単純に障害をもつ子の親という存在を知らないことからわき起こっているものと思われる。確かに要田の研究にもあるように、自らを積極的に「障害児の親」として自己提示する親は少ないであろう。差別をおそれて親戚や近所と関わりを持とうとしない親は確かに想像しやすい。
「障害児のいる家族」を「障害児のいる家族」らしく扱い、「障害児の親」もまた、常識の鋳型に押し込めてしまうという思考は強く残っている。社会にとっての「障害児の親」は子どものために尽くす献身的な存在でなければならない。そして「障害という悲劇」を「受容」し、子どもを守る存在で「なければならない」のだ。
しかし筆者は、こうしたいささか「わかりやすすぎる」親の姿が果たして実在するのかどうか疑問である。第1章でみてきたいくつかの先行研究が「障害児の親」という個別の存在を明確に捉えてこなかったように、要田の分析もまた「障害児の親」という立場の劇的さのみをみて、個別の親の存在を子どもとは距離を置いたところでみる作業がまだ十分ではないのではないか。
次節では、要田の分析も含めた先行研究批判のために「障害学」の分析視角を紹介する。遠回りをするようではあるが、「障害を持った子の親」の理解のためには必要な分析視角である。
第2節 障害学モデルの可能性
障害学は、日本ではまだ比較的新しい試みである。1999年に「障害学」という言葉をタイトルに付けた石川准・長瀬修らによる『障害学への招待』が出版された。長瀬によれば「障害学、ディスアビリティスタディーズとは、障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、『障害者すなわち障害者福祉の対象』という枠組みからの脱却を目指す試みである。そして障害独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に注目する」17)と定義されている。
イギリスでは障害学の一定の理論化も進んでいる。従来の社会観、歴史観全てが非障害者から見たものであるという指摘は、フェミニズムの主張にも酷似しており、障害をもつ者自身の研究者が障害学の発展に大きな影響を与えている。
障害学は「障害(disability)」の問題は個人の身体にあるのではなく、それを排除しようとする社会や非障害者の中にあるということ、そして障害をもつ者個人の問題ではなく社会的政治的な問題であるということを前提としている。その上で障害をもつ者独自の視点や文化の確立を目指すことになる。ここには「障害」をネガティブなものととらえる見方は存在しない。「障害」を「健常」に対する文化の違いと位置づけ、序列化を否定する。
この意味では障害学とは、第1章で見た自立生活運動モデルの延長線上にあるものとしてとらえても差し支えないだろう。いや、1970年代の障害がある人々の自立生活運動こそが、障害学という学問的射程こそなかったとはいえ、日本における障害学的実践の始まりであった。医療や療育による健常者への同化ではなく、「誇りを持って障害者として生きる」ということが障害学の生み出した障害観である。
イギリスの障害学者のオリバー(Michael Oliver)は『障害の政治学(Politics of Disablement)』で、医学的な価値観により自らの社会的立場を決定される視点を「医学モデルもしくは個人モデル」と呼び批判し、「障害(disability)」とは自分の身体にあるのではなく、障害者を排除する社会にあることを示し、これを「社会モデル」として位置づけた。現在の障害学はこの「社会モデル」を巡る議論が続けられている。
障害学的理解の一つの例に「ろう文化」がある。ろう者は自らを「言語的マイノリティ」と位置づけている。日本言語ではなく、日本手話という言語をはなす言語的マイノリティであると自らを規定する。アメリカ人が英語を母国語とするようにろう者は日本手話を母国語とする。聴者、ろう者が存在するのみで、「障害者」という自己規定は行わない。ろう者たちはこうした自己規定により、「ろう者=聴覚に障害がある者」とする見方を批判する。聞こえる・聞こえないことに正常・異常という判断をする必要はないと捉えているのである18)。
Disability models(障害学のモデル)
The individual model(個人モデル) The social model(社会モデル)
Personal tragedy theory(個人の悲劇理論) Social oppression theory(社会の抑圧理論)
Personal problem(個人的問題) Social problem(社会的問題)
Individual treatment(個人的処置) Social action(社会的方策)
Medicalisation(医療化) Self-help(自助)
Professional(専門化) Individual and collective responsibility(個人や集団的責任)
Expertise(専門性) Experience(経験)
Adjustment(適応) Affirmation(肯定)
Individual identity(個人的な自我) Collective identity(集団的に共有する自我)
Prejudice(偏見) Discrimination(差別)
Attitudes(態度) Behavior(ふるまい)
Care(介護) Rights(権利)
Control(管理) Choice(選択)
Policy(政策) Politics(政治)
Individual adaptation(個人的適応) Social change(社会の変革)
図2 19)
第3節 障害観マトリクス
前章でみた医療モデルと療育活動モデル、そして自立生活運動が語ってきた障害観には明確な違いが見られた。これにこの章で述べてきた要田洋江の差別論の見地からみた障害観と、「障害学」が提唱する障害観を加え、整理してみることにする。
医療モデルがはっきりと述べてきたのは、障害は「異常、直すべきもの、否定すべきもの、個人に属するもの」という捉え方である。また療育活動モデルでは医学では回復しきらない障害を科学的に理解し援助するという意味で、自然科学的な障害理解の範疇にはいる。
これに対して自立生活運動の中で生まれてきた障害観は、「障害学」という言葉こそ持たなかったが、「あるがままでよいもの、社会的不利は社会により構築されたもの」という捉え方をしており、障害学の社会モデルの主張を運動の中で行っている。今から30年以上も前に彼らが過激な運動の中で主張し実践したことを、障害学はこれから理論化していくことになる。また、要田洋江は差別論という見地から女性(母親)と障害者が構造的に差別される立場をとっている。また親の価値の変革まで明確に射程に入っているという点が評価できる。要田の分析も障害学で言う社会モデルの分析に近いと言うことができる。
図3(筆者作成)
以上のそれぞれのアプローチを図で表現すると図3のようになる。横軸が左から右に行くに従って「障害」を個人に属するものから社会的に構築されるものととらえるものとなる。縦軸が下から上に行くに従って「障害」を「異常」ととらえるものから「正常」としてとらえるものとなる。そしてこの上下の軸には「異化20)」と「同化21)」という項目も補足として付け加えることができる。同化の思想の中には「あるべき理想のモデル」が明確に存在している。その理想から逸脱した人は「異常」な状態であり、理想的な状態に近づくために、何らかの手だてが施されることになる。健康な身体を提示できるのは医療であり、逸脱は治療の対象になる。
これに対して「異化」とは、状態が異なるものを異なったまま残しておき、さらにその状態に対して「正常」や「異常」という価値の相対化もおこなう。
そして重要なのは、こうした障害観は個々人の内面にもしっかりとへばりついているということである。障害がある者、ない者の区別なく人々は障害に対する態度を保持している。こうした障害観は、障害をもつ者であっても否定的な障害観を持っているものや障害がない者であっても肯定的障害観を持っているものも存在する。さらに加えるならばその障害観は普遍的なものはなく、その時に置かれた状況により変化するものである。その変化は障害に近いところにいれば肯定的になるという単純なものでもない。親と言えども例外ではなく、いや、親こそが障害との距離を、一番劇的に変化させる可能性をもっているとも言える。親は、子どもという重要な他者が自らと異なる属性をもって存在していた場合、さまざま価値観を激しく往復することになる。またその変化は上記の図表のごとく整然とまとめられないほど、複雑で変動的なものである。
先行研究でそれぞれの立場がどのように「障害」や「障害児の親」を語ってきたかを見てきた。その上で言えることは「障害」の捉え方の違いにより、障害がある人自身へのまなざし、また親に対して期待される役割までも変わってくるということである。医療モデルをはじめとする自然科学的な認識のもとでは、障害は本人の不幸の原因として治療すべきものとして語られ、親へは障害がある子どもに対して献身的に援助することを要求する。これが障害を個人的な問題から解き放ち、相互作用的な立場に移行するにしたがって、本人へは「障害」は社会的な構築物であることを主張し、親に対しては、障害がある人との関係において、無条件の愛情や献身的な援助だけではない、独立した人格として障害がある人を扱うことが要求される。こうした様々な障害理解の仕方の違いは、「障害児の親」の社会学的分析の枠組みとしても有効である。
第4節 先行研究批判と仮説の提示
これまで見てきた先行研究から、「障害児の親」がどのように語られてきたかを見てきた。医療モデル、療育活動モデル、自立生活運動モデルと要田洋江の分析から見えてきた「障害児の親」はどのような存在であったか。これらの「障害児の親」の捉え方から筆者自身の作業仮説を改めて提示することにする。
医療モデルや療育活動モデルという自然科学的な対象把握を基礎とする分析視角は、「障害児」と「障害児の親」に対して、障害は個人に属するものであり、その親も障害児に従属する存在であるというアプローチを採る。医療モデルでは「障害児の親」は「慢性的な悲哀」にさいなまれ続ける存在であるとさえ捉えていた。しかし、要田や石川の分析から「障害児の親」はいつまでも悲しみに暮れる存在ではないことも指摘されている。
これまでの先行研究批判から提示できる仮説は、「障害児の親」という捉え方では、親を一人の独立した人間として捉えることに失敗するのではないかということである。親を障害児に付随した存在として捉えてしまう対象把握では、親個人を独立した存在として正しく捉えることはできない。親と子は全く別々の存在であり、時として利害関係にあることを「障害児の親」という捉え方は見過ごしてきたことになるのではないか。
それを運動という実践の中で主張してきたのは、自立生活運動に携わった障害の当事者たちである。彼らは自身と親とは別の存在であることを「親を否定すること」で主張してきた。効果の薄い治療や無理な療育、濃密すぎる愛情を拒否することで当事者と親は別の存在であることを訴えてきた。しかし当事者運動という性格上、「親を把握すること」には重点は置かれなかった。
そして要田の研究につながる。要田は初めて「障害児の親」という視座を明確に対象の中心に据えた点で評価することができる。彼女は「『障害児の親』という視座は、差別問題と社会問題の交錯する交点というもので、さまざま問題の解明を必要とする。22)」と述べている。彼女はいくつかの差別が「障害児の親」に集約されて現れるとした上で、対象を分析している。しかしいくつかの差別が複合的に「障害児の親」に現れると言ってしまうことで、「障害児」や「障害児の親」を被害者としてみてしまう構図が浮き彫りになってしまう。「差別」や「悲劇」というカテゴリから親を語ることで漏れてしまう、親の微妙な心のゆれや変化への道筋が見えにくくなってしまうこともあるはずである。
障害学が今までの研究と決定的に異なるのは、障害を個人の悲劇と捉えないことを明確に挙げたことである。要田の研究にはこうした障害理解の視点の弱さを感じる。そして要田の研究においても、障害がある子とその親を全く別の人格として捉えることという試みを貫徹できていないのではないか。
本稿ではこの「親と子を分離してとらえること」という点を強く意識して分析を進めたいと思う。そのためにはまず対象を示す言葉を明確にする。先行研究が「障害児の親」という捉え方をしてきたのに対して、筆者は「障害がある子の親」という言葉を使うことにする。これは世界保健機構(WHO:World Health Organization)が「障害者 disabled person」という呼び方を「障害がある人 person with disability」という呼び方に変更したことに依拠しつつも、親を障害がある子とは独立した存在として対象に据えるという試みをより鮮明にするためである。
子どもに障害があるとわかった時から、「障害がある子の親」は社会の価値や自らの価値観を問い直し、日常生活においても障害をもつ子と自分との関係を構築していく。そこで親が経験する過程は決して直線的な営みではない。望ましいアイデンティティや価値観が自給自足できない以上、自己と他者との葛藤や衝突を経て、行きつ迷いつ自らの存在を子との関係とともに構築し続けてなければならない。その自己構築の道のりは直線的で平坦なものではないはずだ。同時にその過程は障害を理解すること、そして他者を受け入れていくことについての示唆を与えてくれる。
次の章では、筆者自身が親からの聞き取りで得たデータをもとに、「障害がある子の親」という立場を「子ども」や「社会」との相互作用に照らして見ていく。「障害がある子の親と障害がある子」の相互作用は「障害がある人と、ない人」の相互作用の最前線として執り行われる。そこに「障害児の親の悲劇」や「社会からの差別」とそれを乗り越える「障害児の親」という構図を当てはめるのではなく、日常の中で自らの価値を構築していく独立した人格としての「障害がある子の親」を、聞き取りから得られたデータを基に積み上げていくことにする。
1) Marshall H.Klaus and John H.Kennel, 1982,Parent-infant Bonding: The C. V. Mosby Company(=竹内徹他訳,1985,『親と子のきずな』,医学書院,p334.
2) Fortier,L.M.&R.L,Wanlas,1984,"Family Crisis Following the Diagnosis of a Handicapped Child," Family Relations 33:1,p13-24.
3) 要田洋江、1986「親たちの『とまどい』と『抗議』」、1999『障害者差別の社会学』、岩波書店、p19-20
4) 要田、1989「親の障害児受容過程」1989藤田弘子編著『ダウン症児の育児学』、同朋舎出版、p41
5) 要田、前掲書、p42
6) 要田、前掲書、p46
7) 要田、前掲書、p45
8) 要田、1986「親たちの『とまどい』と『抗議』」、1999『障害者差別の社会学』、岩波書店、p27.
9) 要田、前掲書、p25.
10) 要田、前掲書、p30.
11) 要田、前掲書、p36.
12) これはE.ゴフマンの「印象操作」の概念による。人は日常場面においてパフォーマーであり、他者(パフォーマー)に向かってより自分にとって望ましい自己イメージを提供するために、演技する存在である。もちろんその中には自分にとって不利な情報は隠蔽するという「passing(通過作業)」も含まれることになる。これは印象操作の技法の一つでありまだ顕在化していない逸脱に対して潜在的逸脱者が採りうる可能性がある。
13) 石川准、「障害児の親と新しい『親性』の誕生」、井上真理子・大村英昭編、1995、『ファミリズムの再発見』世界思想社、p31.
14) 要田、1996、「『家族の愛』の再検討」、1999、『障害者差別の社会学』、岩波書店、p77
15) 石川、前掲書、p36.
16) この文書は筆者が聞き取りをしたインフォーマントが看護専門学校にゲストとして招かれた時の様子を文字にしたものからの引用である。
17) 長瀬修、1999、「障害学に向けて」石川准・長瀬修編著『障害学への招待』、明石書店
18) 木村晴美・長谷川洋、1996、「ろう者とは誰か/手話は誰のものか」『現代思想 総特集ろう文化』1996、vol.24-05
19) Michael Oliver 1996『Understading Disability−From theory to practice』MACMILLAN PRESS LTD、p34、翻訳は長瀬の訳(長瀬、前掲書、p17)を参考に筆者による修正を加えた。
20) 「ある人物や出来事から、当然と思われているもの、既知のもの、明白なものを取り除くことで、それに対する驚きや好奇心を作り出すこと。...異化は、慣習=既知なるものへと常に同化させようとする日常的な認識構造にひびを入れることで、人間が、自己を含む自然や社会と批判的に向き合う契機を生み出す。」伊藤公雄、『新社会学辞典』、有斐閣
21) 「外部から来たものが自分達の文化を放棄して主流は社会の文化を選ぶ互恵的なものと考えられている。その人種集団の特質によっては、異民族間結婚、市民権への参加、社会への受け入れなどが促進されたり、あるいは排除されたりする。」『社会学中辞典』、ミネルヴァ書房
22) 要田、1999、『障害者差別の社会学』、岩波書店、p2.
*更新:
小川 浩史