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「要約」

中根 成寿 20010131 「『障害がある子の親』の自己変容作業――ダウン症の子をもつ親からのナラティブ・データから」,立命館大学大学院社会学研究科,修士論文

last update:20130718

要約

世界保健機構(WHO)の国際障害分類(Inter national Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps)が、2001年に改訂される。これは障害に対する理解を自然科学的な個別的アプローチから、社会科学的な相互作用アプローチへと移行させていこうとする流れによるものである。
しかし、障害に対する理解はあくまでも日常の関係の中で行われるものである。WHOの定義が変わっても、実際の生活世界での障害理解は個別的に進んでいく。
本稿の目的は障害がある子の親がどのように子どもの障害を理解していくかを探ることである。そのために障害がある子の親がどのような存在かを正しく捉える必要がある。
これまでの「障害児の親」に関する研究は「障害をうけいれること」に重点を置いてきたため、「障害児の親」を「障害児」の付属的な存在として捉えてきた。そこには障害を否定的なものとして捉える障害観があること、また「障害児の親」を被差別者という切り口で捉えられてきたことを指摘することができる。本稿では「障害児の親」を「障害がある子の親」として表現することで、親が決して子どもに付随する存在ではないことを明確に書き分けている。
現在の社会福祉システムが家族の援助力を親、とりわけ母親の子どもへの無償の援助をもとめているため、障害がある子どもとその親はより強い関係を求められている。しかし、障害がある子とその親は決して一体ではない。、場合によっては、利害的対立にあることもある。また障害は、本人にとっても周りにとっても悲劇と捉えられていれば、親はその悲劇を「受け入れる」存在として期待される。だが、それは一面的な理解である。
本稿では以上の二点を強調し、一般に言われる「障害の受容」が親から見れば一面的な作業であることを指摘し、子どもを認め受け入れていく作業の後に、親が子へ距離をとる作業に注目する。この作業をみることで社会が障害を理解することへの手がかりがつかめるのではないかと思う。
本稿では以上の試みを、障害をもつ子の親から聞き取り調査をもとにおこなっている。第1章では、医療モデルと療育活動と、市民運動である自立生活運動が「障害」や「障害児の親」をどのように捉えてきたかを見ていく。本稿では、医療モデルと療育活動には「障害児の親」という存在への明確な射程はないという仮説の基に議論を進めていく。
第2章では社会学の先行研究の批判を、要田洋江の業績をもとに行う。彼女は「障害児の親」という存在を明確に対象に据えて議論を進めている。そこへ障害学の理論的枠組みと第1章で見た他分野からの分析視角を整理し、本稿の対象把握の枠組みとする。さらにここで仮説の修正を行い、データの分析につなげることにする。
第3章では、筆者が実際に親たちから聞き取ったデータを元に、それをグランディッド・セオリーという手法を使って分析した。このインタビュー調査は障害がある子どもと、その親の日常生活の中での関係を、親たちの日常の言葉の中から見ることを目的としている。最後に結論として仮説とデータとの関係を考察して、本稿のまとめとする。

キーワード
障害理解、「障害児の親」、「障害児」、自己変容、ナラティブ・データ、グランディッド・セオリー、障害学、親子関係、聞き取り調査、国際障害分類(IDIDH)、国際障害分類第2版(IDIDH-2)



*更新:小川 浩史
REV: 20091016, 20130718
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