「男性助産士導入問題について」
刀根 卓代 20000522
last update:20111004
はじめに
1958年3月30日生まれの女性。1986年6月26日生まれの男の子(現在中学2年生)の母親です。一人の母親、特に極度のアレルギー児を育てた母親として、また、在野の女性民俗学研究者として、今回の助産婦導入問題について反対意見を述べたいと存じます。
?T.ミルクアレルギー児の子育てと助産婦による母乳指導の重要性
[個人的体験から]
私は、子どもを産んだ後、乳腺炎を起こし、熱が出て、震えながらも、大学病院の小児外科に入院している子ども(当時生後1ヶ月、ミルク嘔吐による胃食道逆流現象、胃食道接合部潰瘍による出血、貧血状態)に病院の医師から指示を受けた通り「ガラス哺乳ビンに60cc母乳を絞り、冷凍して、冷凍バッグに入れ病院に運びつづけた」ことがあります。その時、山西みな子さんという助産婦さんに乳房の手当てをして頂きました。その方は、大学病院に入院中の子どもの病気(ミルクアレルギー)も見つけてくださり、子どもに合った食事をすることで乳房もいたわってあげることが出来、「お乳はおっ乳(血)=母乳は血液」であることを教えてくれました。母乳を手技で手当てしてくださることで、その日のおっぱいの具合(母親が貧血を起こしていないか、脂肪分の多いもの、糖分の多いものを取りすぎていないか)まで見てくださいました。お蔭で3歳半まで、子どもにおっぱいを飲ませつづけることができました。もし、あの時、産婦人科病院で乳腺炎を見てもらい、抗生物質で治療し、授乳できないまま、母乳を止めてしまう処置を受けていたとしたら、多くの食物アレルギーを持ち、アレルギー用のミルクさえ吐きつづけた子どもを大きくすることはできなかったかもしれません。あの手技が、男の人によるものとしたら、やはり生理的に受けつけることができなかったと思います。
あの時(1986年)、伊豆大島で噴火があり、残された乳牛が乳腺炎を起こしているのを見て、自分の痛みと震えの出るほどの熱のある体を重ね合わせ、同じ「哺乳類」であることを思ったものです。そして、今、有珠山の噴火でお乳を絞ってもらえず、乳腺炎を起こしかねない乳牛の様子をテレビで見る度に、ちくちくと痛む思いがします。
きちんと、女がこどもを産み、こどもと母親が納得するまで母乳を上げることができたなら、後年、乳ガンのような問題を起こすことも子宮の中に残留したもので悩むこともなくなるかもしれないというのに、女の体を全体でとらえていない今のやり方、考え方を大変淋しく思っています。
女の体、子どもの体、人間の体全体を見る社会であってほしいと思います。
(以上、"お産&子育てを支える会"に投稿)
以上の個人的体験から言えることは、
1. ミルクアレルギーの子が増えている。厚生省の統計では、6歳未満の3人に1人が何らかの食べ物に対するアレルギーを持っている今日、ミルクアレルギーを悪化、又は増やさないためにも、母乳栄養は必要。
2. 母乳栄養をやめてしまうトラブルのひとつに乳腺炎がある。母親の乳腺炎を抗生物質投与の西洋医学主義(経済効率優先の一番安直な方法)で、とめるようなことだけはしないでほしい。何より子どもにとっての唯一の栄養方法であったのだから。
3. 完全に一人で食物が食べられるようになるまで母乳育児を実践するためには、助産婦さんの食事や母体の管理に対する助言やこまやかな手技による治療は不可欠。
※(注記) 助産婦さんによる乳房ケアは、必ず女性にお願いしたい!!
?U.日本民俗社会における「男産室に入らず」のタブーはどこからきたものなのか
古くから日本の民俗社会では「男は産室に入らない」ものとされてきました。産婆が間に合わなかったときは夫が取り上げると言うこともありましたが、時間と余裕がある場合「男は産室には入ってはならない」とされていました。「血のケガレ」があるからという民俗学流の説明はなされますが、なぜそのようなタブーが作られていったのかの解明は未だなされていません。人間が知性よりも動物としての本能で生きていた時代のことを考えています(まだ、証明できていません)。サルの子殺しのように「移動するためには生まれたばかりの子は邪魔になると子殺しをする例」「産婦の苦しむ様子に興奮する男の本能としての性」、いろいろなことを人間世界についても考えてしまいます。お産というのは、唯一「動物としてのメス」に戻る場、時間だと考えると、その場に子の父親以外の参加は相応しいものなのでしょうか?
?V.なぜ、哺乳類のメスとして当然の子産みの生理を医療の下においてしまったのか?
子育てのできない親を作り出したのはなぜ?
戦後のGHQの方針として、自宅分娩から医療施設での分娩へ変わっていき、現在、出産に臨む若いお母さんはそれから3世代目に当たっている。医療施設への分娩に変わり、出産もひとつの生理であったものが、「医療の現場」に取りこまれて行き、そのことに対して何の疑問も持たない人が大部分になってしまった。
また、ファーストフードや軽薄短小がもてはやされる中、子育ても紙オムツにベビーフードでなければならないと、ステレオタイプのマニュアル化された母親達が増えてきてしまった。
ミルクを出してくれる牛は、生まれるや否や歩き始めますが、人間は歩けるようになるまで1年かけてゆっくりと育つものです。人間の促成栽培をするかのように、「早く大きくなれ」と体だけミルクとベビーフードで作り上げ、心を入れることを忘れたのが今日の育児のように思われて仕方ありません。経済効率優先ではない、本当の子育てを考えるためにも「産みの原点」をおろそかにしてはならないと思います。
?W.少子化時代の子育てを考える――「子産み」の原点を女の手に戻して――
子どもが大学病院に入院中、母乳マッサージに通っているとき私のたまった母乳を、母乳が出なくて困っているお母さんの赤ちゃんがそれはそれは元気良く飲んでくれたことがあります。吸いつきの強さに感激し、近所にこう言うお子さんがいらっしゃったら、病院から退院してきたら、うちの子と一緒に子育てできるのに、と思ったものです。
また、子どもが1歳半の頃に出かけた食物アレルギーの子を持つ親の会の講演会の休憩時間、授乳している私のところに、知らない子がトコトコやってきて、反対側のおっぱいから飲み始めました。子どものアレルギーのため、食事制限があり、雑穀と青菜、塩の食事しかしていない私の母乳をおいしそうに元気にのむ子に、わが子はびっくり。お互いを押しのけるようにして飲んでいましたが、そのうち二人しておっぱいから離れ、遊び始めました。何か不思議な光景でした。
昔、日本には「もらい乳」とか「乳母」とか「乳替え」とか、「乳兄弟」と言うような言葉がありました。現代の衛生観念からすると それはどこの誰かわからない、不衛生極まりないものかもしれません。しかし、それは人と人、母親と母親、地域社会を結びつける役割もしていました。
去年の秋、悲しい音羽の事件がありました。7、8年くらい前から使われ出した「公園デビュー」という言葉があります。子ども社会のイジメ、母親同士の争い、そのようなことを考えたとき、「乳兄弟」でもそのようなことがあるかしら、と思いました。
母親同士の結びつきの場所として、これから「助産所」がサロンのような場所になっていけばどんなに良いことかと思います。
少子化の子育て支援は、小額の補助金を出すことではなく、地域社会のネットワーク作り、見えないソフト面の強化がなされるべきであると考えています。
終わりに
?V.現在の日本における産婦の出産に関する意識の希薄さと情報の少なさ
――お医者様のすること、言うことには口をはさめない状況のなかで――
普通に子どもを産んで、何とも問題のない産婦は、自分の出産に付き添ってくれたのが、看護婦なのか助産婦なのか、その違いを知らないのが現状です。
また、多くの経産婦が「"陣痛促進剤"を飲んだ」、「点滴を受けた(何の薬が入っていたのか知らない)」「会陰切開を受けた」とは口にするものの「なぜ、そのような処置をするのかの説明はなかった」「お医者様のすることに注文などつけられない」「自分と子どもの命がかかっていると思うとひたすら「お願いします」としか言えない」と答えます。
結局、日本の現在の女性は「本当のお産」を知らない、医者にお任せにしなければならないと思いこんでいる風潮があります。
このような中において、男性助産婦が導入されたとして、産婦たちはその時、「No」という声をあげられるでしょうか?
女たちがこの問題に関して、語ってこなかったし、伝わっている情報も極めて少ない有り様です。男性、女性の産婦を問う前の段階の「女にとって出産とは何か」を考える部分が欠如している今日、男助産婦を導入することは性急過ぎるとしか思えません。
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