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水俣病・2000

水俣病 2001 2006 2007


しかくつるたさんより(25 Nov 2000)

Subject: [jsds:4953] チッソ水俣病関西訴訟・控訴審判決への要請署名へのお願い

以下の署名すでに終わっている人にはごめんなさい。

私は最近この署名について知ったので、友人・知人と障害学ML
PP研MLに送ります。

この署名は aah07310@pop02.odn.ne.jp 宛にメールで送ることも
出来ます。

詳しくは
チッソ水俣病関西訴訟を支える会のHPを見てください。
http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/

署名の第二次集約は2001年1月15日になっています。

==以下署名==

チッソ水俣病関西訴訟・控訴審判決への要請署名

要請主文

一、原告患者すべてを水俣病と認め、原告すべてへの賠償を加害者に命じて
ください。

一、国行政と熊本県も、チッソと並ぶ水俣病の加害者であることを判示して下
さい。

要請理由

戦後の高度成長期、水俣湾と不知火海は化学工場チッソの廃液による水銀汚染
で未曾有の被害を受けました。漁場や生活を喪った沿岸住民は、職を求めて全国
の大都市へと出郷。移住者が一番多かったのが京阪神地区です。

「体の具合のおかしかばってん誰にも相談できん」「水俣出身ち言うたら差別
される」・・・・そんな県外患者ならではの不安とも闘いつつ、関西在住の未認
定患者・家族がチッソ・国・熊本県を相手に損害賠償請求訴訟を起こしてから、
既に一八年の歳月が経ちました。一九九四年の一審判決は患者の一部への賠償を
否定し行政責任も認めない理不尽なものでしたが、原告はこれに服さず控訴し、
一九九五年の和解にも参加せず、九五名で訴訟を継続してきました。控訴審の結
審を経た現在、私たちは、孤立も辞さずに志を貫いた原告への敬意と、訴訟中に
他界された二しろまる名の故人への哀悼の念を新たにしています。

さて、水俣病問題は、一九七三年の一次訴訟判決でチッソの賠償責任が確定し
たものの、その適用をうけない未認定患者の問題は以後四半世紀にわたって未解
決でありました。ですから、水俣現地や各地訴訟の多くの被害者たちが、一九九
五〜九六年の「政府解決策」による和解救済を選んだのも、やむを得なかったこ
とと思われます。

しかし、工場排水に有機水銀(中毒の病因物質)が含まれると知りつつ規制指
導をしなかった国の責任は不問に付されたままです。水俣湾産魚介類(中毒の原
因食品)の採取販売を禁止する食品衛生法を発動しなかった厚生省と熊本県、水
質二法の指定を怠り続けた経済企画庁と通産省。せめて一九六しろまる年前後に、これ
らの対策がひとつでもとられていたら、被害がかくも広く長きにわたらずに済ん
だことは明白です。

また、どのような症状を水俣病と診るか?という認定基準においては、「厳格
に過ぎる」と繰り返し指弾された環境庁の水俣病判断条件が見直されないままで
した。歴史的に水俣病加害の一端を担い、今も患者認定の絞り込みを任とする行
政が「解決策」の中で自らを反省否定するには、限度があったのです。

かくなるうえは、やはり、三権の一角を独立して担う、裁判所の判決に期待す
る以外にありません。「曝露歴と感覚障害があれば水俣病と診断できる」という
以前からの司法判断は、本控訴審で日本精神神経学会の裏付けをも加えました。
また一審以来の累々たる証言や書証は、「国と県も水俣病の加害者」との明確な
判示をもってしか、歴史に位置づき得ません。

チッソ創業者が化学工業を始めたのは二しろまる世紀の初頭です。戦前戦後を通じ、
この国の重化学工業推進の最大の受難・被害が水俣病であることは、誰の目にも
明らかです。産業経済を優先するあまり、人命・人権や環境に重大な毀損を与え
続けた水俣の百年を総括するに、これまでの諸判決と「政府解決・首相談話・チ

ソ救援国庫投入」のみでは画竜点睛を欠きます。二一世紀に悔いと恨みを残しま
す。ゆえに、貴裁判所の控訴審判決に当たり標記二点を心から要請する次第で
す。

今世紀水俣病の「最後の審判」を、私たちは緊張と期待のもとで凝視していま
す。

大阪高等裁判所 民事第三部裁判長 岡部崇明 殿


UP:2000
水俣病環境/環境倫理学/環境思想
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