第2回 ウィーン講演会(Zoom)開催♪ R6.12.9. 19:00〜
「ウィーンの公共住宅施策の伝統と今」
〜カールマルクスホフ・フンデルトヴァッサーハウス他〜
Zoomで、ウィーンと高崎を繋いだ講演会を行いました。
講師は第1回(R4.10.6.)と同じく、ウィーン在住34年の建築家、筒井ナイルツ美矢子氏です。
↓講演会フライヤー
第2回ウィーン講演会4
年末のお忙しい時期で参加人数は少なく、他団体様にも声掛けしての開催でしたが、内容の濃いものでした。
ウィーン市では公営の賃貸住宅に70パーセントの人々が住んでいるそうです。安価で良質な公営住宅の施策が、ウィーンの歴史上、いかにして出来上がったのか?クリスマスで賑わう街や歴史的建築の様子をご紹介いただきながら、ご講義頂きました。
第2回ウィーン講演会1
Photo: Miyako Nairz Architects
カールマルクスホフは約100年前に建設。設計はカール・エーン(オットーワーグナーの弟子)。
Well-beingな公営住宅としてのウィーン市の一大ミッション。
内部にはオフィス、プール、歯医者、洗濯場、幼稚園なども入っている。
歴史的な街並みの中、人々は新しいデザインも斬新な建物を受け入れ、街に融合し進化し続けていくウィーン市。
ウィーンは「歴史と共に暮らしていく街」と、美矢子氏は表現します。
また、「世界一住みやすい街」と評されるウィーン。そう呼ばれる理由はどこにあるのでしょうか?
第2回ウィーン講演会2
Photo: Miyako Nairz Architects
観光名所でもあるフンデルトヴァッサーハウス。フンデルトヴァッサーは建築家ではなく画家である。
戦後復興で工業規格が広まった。この建築はそれに対してのプロテスト(異議)である。「人間は直線でできていないのだから街や建築も曲線で構成されるべきである」と、建物の中に森を作り、木々の間を縫うように曲線で構成された動線を歩くとまるで街路を散策しているかのような錯覚を覚える。また、独特のカラーリングも愛着を沸かせる要因である。
ウィーンだけでなくヨーロッパには世界遺産に認定されている集合住宅が多数あります。
それに比して、日本で同年代に建てられた同潤会アパート(1923)などは、当時の最先端の技術をして造られたRC造であり斬新な間取りであったにも関わらず、取り壊されました。
今、建築費が高騰化し、地球環境も危ぶまれる中、ヨーロッパの建物が時代を超えて残され続けた理由を私たちはもっと知り、学ぶ必要があると思っています。
美矢子氏は、「ウィーンの人々は、自分の暮らしの空間、街に対しての意識が高い。」「自分が住んでいる地域に対しての誇りがあり愛している。」「愛着心や興味が高く、自分で自分の居心地よい空間を作っている。」と言います。
そこに、サイクルの短い「木の文化」で育った私たち日本人が、「石の文化」のヨーロッパのように建築物や街を愛着をもって長期に使い続けていくためのヒントがあるのではないでしょうか?
この時代に必要な、多くの事を考えさせられ、会員一人一人の胸に深く刻まれた講演会でした。
第2回ウィーン講演会3
美矢子氏、参加者の皆さま、ありがとうございました。(右上がウィーンの美矢子氏)
(by AK)
〜カールマルクスホフ・フンデルトヴァッサーハウス他〜
Zoomで、ウィーンと高崎を繋いだ講演会を行いました。
講師は第1回(R4.10.6.)と同じく、ウィーン在住34年の建築家、筒井ナイルツ美矢子氏です。
↓講演会フライヤー
第2回ウィーン講演会4
年末のお忙しい時期で参加人数は少なく、他団体様にも声掛けしての開催でしたが、内容の濃いものでした。
ウィーン市では公営の賃貸住宅に70パーセントの人々が住んでいるそうです。安価で良質な公営住宅の施策が、ウィーンの歴史上、いかにして出来上がったのか?クリスマスで賑わう街や歴史的建築の様子をご紹介いただきながら、ご講義頂きました。
第2回ウィーン講演会1
Photo: Miyako Nairz Architects
カールマルクスホフは約100年前に建設。設計はカール・エーン(オットーワーグナーの弟子)。
Well-beingな公営住宅としてのウィーン市の一大ミッション。
内部にはオフィス、プール、歯医者、洗濯場、幼稚園なども入っている。
歴史的な街並みの中、人々は新しいデザインも斬新な建物を受け入れ、街に融合し進化し続けていくウィーン市。
ウィーンは「歴史と共に暮らしていく街」と、美矢子氏は表現します。
また、「世界一住みやすい街」と評されるウィーン。そう呼ばれる理由はどこにあるのでしょうか?
第2回ウィーン講演会2
Photo: Miyako Nairz Architects
観光名所でもあるフンデルトヴァッサーハウス。フンデルトヴァッサーは建築家ではなく画家である。
戦後復興で工業規格が広まった。この建築はそれに対してのプロテスト(異議)である。「人間は直線でできていないのだから街や建築も曲線で構成されるべきである」と、建物の中に森を作り、木々の間を縫うように曲線で構成された動線を歩くとまるで街路を散策しているかのような錯覚を覚える。また、独特のカラーリングも愛着を沸かせる要因である。
ウィーンだけでなくヨーロッパには世界遺産に認定されている集合住宅が多数あります。
それに比して、日本で同年代に建てられた同潤会アパート(1923)などは、当時の最先端の技術をして造られたRC造であり斬新な間取りであったにも関わらず、取り壊されました。
今、建築費が高騰化し、地球環境も危ぶまれる中、ヨーロッパの建物が時代を超えて残され続けた理由を私たちはもっと知り、学ぶ必要があると思っています。
美矢子氏は、「ウィーンの人々は、自分の暮らしの空間、街に対しての意識が高い。」「自分が住んでいる地域に対しての誇りがあり愛している。」「愛着心や興味が高く、自分で自分の居心地よい空間を作っている。」と言います。
そこに、サイクルの短い「木の文化」で育った私たち日本人が、「石の文化」のヨーロッパのように建築物や街を愛着をもって長期に使い続けていくためのヒントがあるのではないでしょうか?
この時代に必要な、多くの事を考えさせられ、会員一人一人の胸に深く刻まれた講演会でした。
第2回ウィーン講演会3
美矢子氏、参加者の皆さま、ありがとうございました。(右上がウィーンの美矢子氏)
(by AK)
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