関井記念館

『関井記念館』とは、住むことがなくなった後も、家と、その想い出を大切に守り
続けてきた大家さんによる関井邸の愛称です。
長い年月の中で様々な編纂を遂げてきた関井邸に、新たな記憶が刻まれてゆきます。
2025年02月08日 Saturday
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2025年02月08日 Saturday
author : kinenkan
やっぱり一年ぶりの投稿 岸町芸術祭 その後
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前回投稿から、1年経ちました。なるべく投稿しようと思ってましたが、1日でわすれました。。。 このブログは彩光舎美術研究所に勤務した私が、その後こんなに関わるとは思っていませんでしたが14年経ち、現在は総合主任という謎ポストを得て、ディレクターとなって岸町芸術祭を開催しました。 これはこの岸町(美術予備校)の問題意識から始めて私自身がまた作品にするという何重ものレイヤーを重ねる訳のわからない作品です。これはやはり関井記念館を運営していたからこのような考えに至ったのだな、とも思いましたし、やってみて自身の考えてることがより明確になったなぁと実感しています。そして自分はアーティストとして全くの知名度がないですが、こうやって地道にやることの良き意味も噛み締めています。詳細をここで述べるにはいささか大変ですから、どこかでしゃべるチャンスがあればかな、と思っています。 今年はこの後もかなり面白いことが待っているので、今年こそ、1年1回投稿ではなく2ヶ月に1回くらい更新したいです。忙しいとこのブログは忘れる。。。
| 徒然日記 | 11:56 | - | - |
2024年02月05日 Monday
author : kinenkan
関井記念館から岸芸
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久々の投稿。1年半ですね。すっかり忘れてました。。 関井記念館は誰の発案なのか?運営はだれが中心として行なっていたか?という点で議論は必要ですが、多分、鈴木さん、僕(荻原)が中心で間違いないでしょう。 この関井記念館は美術予備校(私塾で50年運営している)の横に作って、オルタナティブ、アーティスト・ラン、コレクティブ、地域系、、そういった流行の中にあって影響を受けながら、鈴木さんには鈴木さんの、僕には僕の考えがあって、ただこれは計画的に行われたのではなく、場当たり的に初めて、どんどんとその活動を直に学んでいって、それぞれ展開していった、活動の「一つ」でした。 最近、場作り系なんて言われてアーカイブされだしましたし、そういうひとくくり的なものに反感もありませんが、もっと未整理で、考えてなかったし、楽しかったし、苦しかった。 美術の業界でなんかになりたかった我々は、こうなるだろう事は今はわかったけど、未だに怒りの感情がおさまらないまま今に至ってます。そして関井記念館としては2012年に終わって未消化な部分も多かったかと思います。これは美術を念頭にこの町、場所でやらなくちゃいけないことを悶々と続けてきたのでそれが2024年度、岸芸という展覧会で実践していこうと動いています。 また来年あたりに投稿する、、いや定期的にするかもしれません。だってこの岸芸は関井記念館の後継プロジェクトだから。 荻原貴裕
| 徒然日記 | 12:39 | - | - |
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