2016年5月9日月曜日
【京都新聞】「匿名の攻撃、炎上の恐怖 「ヘイト」と法規制」
私たちの立命館大学との交渉や取り組みは続いています。
丁寧にご報告ができておらず、申し訳ございません。
以下、京都新聞に記事が掲載されました。
http//www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160507000120:
街角でスマホを見る人がいると鼓動が早まる。後ろから刺されるんじゃないかと不安がよぎる。自分の名前をネット検索すると罵詈(ばり)雑言が並ぶのでネットを開くと苦痛を感じる。恐怖が澱(おり)のようにこびりついていた。丁寧にご報告ができておらず、申し訳ございません。
以下、京都新聞に記事が掲載されました。
http//www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160507000120:
立命館大准教授の金友子(39)は2013年、植民地支配から戦後の在日朝鮮人問題まで通観する講義を担当した。12月は京都朝鮮第一初級学校(当時)事件を題材にした。学生団体から授業でアピールしたいと要望され、許可した。金は成績評価と関係ないので書きたくない人は書かなくてよいと受講生に伝え、団体は終了間際の数分を使って朝鮮学校の高校無償化を求める文科省宛てカードへの協力を受講生に呼び掛けた。
1カ月後、ネットでヘイトスピーチにさらされていると同僚に言われた。「単位と引き換えに署名を強要」など事実と違う話が拡散し、写真が貼りつけられた。「よく考えたら名前が『金友子』」「在日とは姑息(こそく)で卑怯(ひきょう)な生き物」。金は在日3世。名前も顔も知らない人が自分に憎悪を向け、民族を罵倒していた。ツイートの画面を印刷すると5センチほどの厚さになった。抗議が殺到した大学は「署名は任意で受講生の成績と無関係」とした上で「署名を求めたかのような誤解を与えた」のは「不適切」とおわびした。
最近の学生は教員との上下関係を意識する傾向が強く、今回の件は配慮が足りなかった点があったという反省はある。だが、自分がネットで攻撃されて以降、他の教員や在日学生の間に朝鮮学校問題などを扱うのに戸惑いが出始めたと思う。匿名のネット言説が与える圧力。今も恐怖がよぎり、授業で発言する時に一呼吸置くようになった。
自分の件で同僚や学生が実名を挙げてツイッターで反論し、大学の対応に抗議する文書を大学に送ってくれた。金自身、他の教員や研究員と一緒に学内にヘイトスピーチの相談窓口をつくった。「ひるんではいけない。大学人はネットの『匿名の空気』に抗(あらが)うべきだと思う」
■ネトウヨ多数は錯覚
メディア論の大阪大准教授辻大介(50)は2年前、「韓国や中国に親しみを感じない」「靖国参拝、9条改憲支持」などを満たしネットで政治的議論をした人を「ネット右翼」と定義し、ネット利用者2347人から抽出した結果、ネット右翼は利用者の1・8%と算出した。「調査はネット多用者が多い調査会社の会員が対象。一般利用者が対象なら1%を切るだろう」
辻はネット右翼がサイバー空間で多数派を占めるように映るのは「錯覚」と見る。原因に挙げるのが雪崩を打って議論が多数派に流れる「サイバーカスケード」という現象。「慰安婦」「尖閣」といった話題は少数が過剰に書き込み、見た人は「こんな大勢がバッシングしてる」という集団心理やノリで発言を加える。コピーがぐるぐる回って、ネトウヨの排外主義が圧倒している体をなす。さらに「炎上」への恐れがこの種の話題をタブー化させる。
その結果、実態とは異なるゆがみを抱えるネット空間が、ヘイトスピーチや「嫌韓」「嫌中」にとどまらない多方面に及ぶ攻撃と、市民やメディアの自由な言論の萎縮を加速させる。
■大半が泣き寝入り
3月27日、京都府・京都市に有効なヘイトスピーチ対策の推進を求める会がヘイトスピーチを含む人種差別的言動を禁じる条例案を公表した。案作成の契機は朝鮮学校の事件。裁判所は学校を被害者と捉えて賠償を命じたが、集団全体に向けた差別発言を不法行為とするのは「新たな立法なしにできない」とした。案は被害の実態調査と救済を重視し、人種や民族を理由に憎悪や差別をあおったり誹謗(ひぼう)中傷する言動を禁じる。さらにはネット被害者も含む支援措置や訴訟援助、差別行為者の名前の公表を盛り込んだ。「先進国なら当然あるべき法的対処がない」。集会で学者や弁護士が差別撤廃策を訴えた。
OECD諸国でヘイトスピーチ規制法がない国は日米など少数。国連人種差別撤廃委員会は政府に法整備を勧告した。昨年、民進党などが対策法案を国会に提出、自民、公明両党も先月法案を出したが、罰則を設けない理念法と位置づけた。表現の自由への配慮からだった。
会の共同代表を務める同志社大教授板垣竜太(43)は「憲法が保障する平等の立場で全ての人が生きられるかを同時に重視しなければならない。差別することが許され、『国から出て行け』『死ね』という暴言が野放しになっている社会では平等の立場で生きられない。被害救済も現行法で可能とする見方もあるが、裁判に訴えられるのはごく少数。大半が泣き寝入りせざるをえない」と話す。
■強大な対抗言論を
憲法学者を中心に過度の法規制には、表現の自由の観点から「恣意(しい)的に運用され、政府に都合の悪い表現も規制される恐れがある」「国が『誤った思想』を認定し抑圧することには警戒的であるべき」など慎重な意見がある。根底には、国家が言論を弾圧した歴史も鑑み、「危険な言葉」と「危険でない言葉」を区別して「危険な言葉」を規制し、その判断を国家権力に委ねることへの懸念がある。
辻は法規制に一定の必要性を認めつつも慎重派。例えば民族全体への罵詈雑言は政治的言説と境が曖昧なものがあり、法規制は正当な言論も萎縮させる恐れがある。何より、人は誤りうる存在で、何が正しいか前提にしない討議が私たちを正しい方向に導く、だから言論の自由は擁護されるという宗教戦争以降培われた知恵に、表現規制は反しかねない。「では方策は?」と問われると葛藤がよぎる。「正義にもとる行為への怒りは私も同じ。研究者の思考と個人の感情が分裂している」
辻が重視するのは言論には言論で対抗する原則だ。少数のネット右翼が発言を積み上げてネット空間で存在感を得て、「在特会」のような団体も生まれた。今度はこちらが一日一言、こういうのバカだね、○○さん頑張れと書き続ける。3分あれば誰でもできる支援を広げて強大な対抗言論を築けないだろうか-。
=敬称略
◆今年、日本国憲法は公布70年の節目を迎える。安倍晋三首相は憲法改正に意欲を見せ、戦後日本が築いた立憲体制に変革を求める動きも加速する。国の根幹を形づくり、生活にも深く関わる憲法はどう扱われ、どう変わる可能性があるのか。表現の自由を切り口に考えます。(連載「KENPOU考」より)
【 2016年05月07日 21時10分 】
2014年12月30日火曜日
「キャンパスハラスメント規定の改定に向けた勉強会」報告
私たち「立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める会」は、関西学院大学の金明秀教授を講師にお迎えして、11月30日に「キャンパスヘイトスピーチ相談窓口立ち上げ企画《キャンパスハラスメント規定の改定に向けた勉強会》」を開催いたしました。
勉強会の趣旨は、立命館大学のハラスメント規定および相談窓口をキャンパスヘイトスピーチ、レイシャル・ハラスメントにも対応できるものにすることを目標に、近年の大学における具体的な事例を共有した上で、各大学のキャンパスハラスメント体制を検討し、今後の課題を明確にしていくことでした。実際にあった被害をもとに議論を進めるため、勉強会はクローズドで行いました(もちろん被害実態については、当事者の了解を得たうえで匿名化し共有しました)。
まず「解決を求める会」から「ハラスメント規定と民族的マイノリティへの言及の調査報告」「事例と課題」「アメリカの事例と議論について」の3つの報告を行い、それに対して金明秀さんから「大学におけるレイシズム対策:レイシャル・ハラスメントの事例と防止規定」と題する報告がなされました。
論点は多岐に渡りましたが、特にヘイトスピーチやレイシャル・ハラスメントの場合、従来のハラスメント概念が想定していた加害-被害の関係にとどまらない事例への対応が求められることが明らかになりました。例えば、ハラスメントは権力関係を前提にしているため、部下から上司、学生(職員)から教員への加害は一般的に想定されてきませんでした。また特定の個人への被害が訴えの前提になっているため、授業内で多数の人々に向けられる差別的表現の被害とその訴えも想定されてきませんでした。しかし実際には、教員から学生個人のみならず、教員から多数の学生、学生・保護者から教員、職員(大学当局)から教員・学生に向けられたヘイトスピーチ、レイシャル・ハラスメントが起こっており、それに対して適切に対応することが求められています。
またその際に、規定を改定するだけではなく、相談窓口が適切に被害を理解し、規定やガイドラインと実際の運用に乖離が生じたり、判断基準が担当者任せにならないような取り組みが求められているという指摘もありました。
それから1月の事件に関しては、大学および大学構成員に対する虚偽情報に基づく学外での誹謗中傷や侮蔑等に対して、大学が取るべき対応やその内容についても議論になり、「企業のようにふるまうのではなく、学問の場としての責任ある対応が求められる」「大学が被害を放置することは加害にあたる」といった意見が出ました。
「解決を求める会」では、今回の勉強会の成果を踏まえ、具体的な規定改正案を立命館大学に対して提案していくとともに、大学におけるヘイトスピーチ、レイシャル・ハラスメントに関する議論を喚起できるような取り組みをしていきたいと考えております。今後とも、ご注目下さい。
勉強会の趣旨は、立命館大学のハラスメント規定および相談窓口をキャンパスヘイトスピーチ、レイシャル・ハラスメントにも対応できるものにすることを目標に、近年の大学における具体的な事例を共有した上で、各大学のキャンパスハラスメント体制を検討し、今後の課題を明確にしていくことでした。実際にあった被害をもとに議論を進めるため、勉強会はクローズドで行いました(もちろん被害実態については、当事者の了解を得たうえで匿名化し共有しました)。
まず「解決を求める会」から「ハラスメント規定と民族的マイノリティへの言及の調査報告」「事例と課題」「アメリカの事例と議論について」の3つの報告を行い、それに対して金明秀さんから「大学におけるレイシズム対策:レイシャル・ハラスメントの事例と防止規定」と題する報告がなされました。
論点は多岐に渡りましたが、特にヘイトスピーチやレイシャル・ハラスメントの場合、従来のハラスメント概念が想定していた加害-被害の関係にとどまらない事例への対応が求められることが明らかになりました。例えば、ハラスメントは権力関係を前提にしているため、部下から上司、学生(職員)から教員への加害は一般的に想定されてきませんでした。また特定の個人への被害が訴えの前提になっているため、授業内で多数の人々に向けられる差別的表現の被害とその訴えも想定されてきませんでした。しかし実際には、教員から学生個人のみならず、教員から多数の学生、学生・保護者から教員、職員(大学当局)から教員・学生に向けられたヘイトスピーチ、レイシャル・ハラスメントが起こっており、それに対して適切に対応することが求められています。
またその際に、規定を改定するだけではなく、相談窓口が適切に被害を理解し、規定やガイドラインと実際の運用に乖離が生じたり、判断基準が担当者任せにならないような取り組みが求められているという指摘もありました。
それから1月の事件に関しては、大学および大学構成員に対する虚偽情報に基づく学外での誹謗中傷や侮蔑等に対して、大学が取るべき対応やその内容についても議論になり、「企業のようにふるまうのではなく、学問の場としての責任ある対応が求められる」「大学が被害を放置することは加害にあたる」といった意見が出ました。
「解決を求める会」では、今回の勉強会の成果を踏まえ、具体的な規定改正案を立命館大学に対して提案していくとともに、大学におけるヘイトスピーチ、レイシャル・ハラスメントに関する議論を喚起できるような取り組みをしていきたいと考えております。今後とも、ご注目下さい。
2014年9月20日土曜日
毎日新聞に窓口の記事が掲載
共同通信配信記事2014年9月20日 毎日新聞朝刊京都欄掲載
一人で悩まないで
民族・人種差別に相談窓口
きょう開設 立命館大講師ら
深刻さ認識 ヘイトスピーチ再発防止に
立命館大(京都市)の講師や学生らでつくる「ヘイトスピーチ事件の解決を求める会」が民族や出自を理由に差別を受けた人の相談窓口を20日に設置する。講義の場などでマイノリティーに侮辱的な発言をすることを「キャンパス内のヘイトスピーチ」と捉え、大学側や加害者に問題の深刻さを認識してもらい、再発防止につなげる狙いがある。
立命館大では今年1月、受講生が、在日コリアンの講師から朝鮮学校無償化への署名を強要されたとの趣旨の内容をツイッターに投稿。虚偽だったにもかかわらず、講師がネット上で差別や中傷を受ける問題が起きた。
会には、この後、人権教育を担当する教員から「自分の講義も攻撃対象になるのではないか」という不安が寄せられ、在日コリアンの学生や留学生から「国に帰れと言われた」という被害申告も増えた。日本人教員が雑談の中で北朝鮮や中国をからかう発言をし、留学生が精神的ショックを受けるケースもある。
会は民族や人種の差別が研究の場からのマイノリティー排除につながると懸念する。メンバーで講師の橋口昌治さん(労働社会学)は「相談窓口によって今まで受けていた被害を顕在化できる。加害者も交え、ヘイトスピーチの問題として話し合いたい」としている。
一人で悩まないで
民族・人種差別に相談窓口
きょう開設 立命館大講師ら
深刻さ認識 ヘイトスピーチ再発防止に
立命館大(京都市)の講師や学生らでつくる「ヘイトスピーチ事件の解決を求める会」が民族や出自を理由に差別を受けた人の相談窓口を20日に設置する。講義の場などでマイノリティーに侮辱的な発言をすることを「キャンパス内のヘイトスピーチ」と捉え、大学側や加害者に問題の深刻さを認識してもらい、再発防止につなげる狙いがある。
立命館大では今年1月、受講生が、在日コリアンの講師から朝鮮学校無償化への署名を強要されたとの趣旨の内容をツイッターに投稿。虚偽だったにもかかわらず、講師がネット上で差別や中傷を受ける問題が起きた。
会には、この後、人権教育を担当する教員から「自分の講義も攻撃対象になるのではないか」という不安が寄せられ、在日コリアンの学生や留学生から「国に帰れと言われた」という被害申告も増えた。日本人教員が雑談の中で北朝鮮や中国をからかう発言をし、留学生が精神的ショックを受けるケースもある。
会は民族や人種の差別が研究の場からのマイノリティー排除につながると懸念する。メンバーで講師の橋口昌治さん(労働社会学)は「相談窓口によって今まで受けていた被害を顕在化できる。加害者も交え、ヘイトスピーチの問題として話し合いたい」としている。
キャンパスヘイトスピーチ相談窓口
ご報告が遅くなり申し訳ございません。立命館大学は私たちの公開質問状を無視しつづけ、キャンパスヘイトスピーチの問題が放置され続けています。この間、事件をきっかけにキャンパス内での問題について情報がよせられてきました。私たちは独自に相談窓口を立ち上げる準備をしてきました。
私たちは「立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める会」を立ち上げ、キャンパスヘイトスピーチ相談窓口を開設します。これからもご支援をよろしくお願いいたします。
キャンパスヘイトスピーチ相談窓口
http://hatesoudan.strikingly.com/
私たちは「立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める会」を立ち上げ、キャンパスヘイトスピーチ相談窓口を開設します。これからもご支援をよろしくお願いいたします。
キャンパスヘイトスピーチ相談窓口
http://hatesoudan.strikingly.com/
私たち「立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める会」は、キャンパスヘイトスピーチ相談窓口を立ち上げます。
立命館大学で学び働くすべての人たちが相談できる窓口です。まずは被害を共有し、一緒に問題解決の方法を考えます。
私たちは、キャンパスヘイトスピーチの解決は、とても難しいことだと認識しています。そもそも何を問題と感じるのか、何をもって解決とするのか、被害を受けた人によってさまざまだと思います。矛盾した感情を同時に抱えていたり、時とともに認識が変化することも十分にありえるでしょう。相談では、まずそのような思いについてお聞きしたいと考えています。
そして問題解決のあり方も、被害経験の共有か、加害者の謝罪か、再発予防か、教学環境の保障か、就労の保障か、加害者との直接交渉か、大学との交渉か、裁判か、など様々だと思います。また私たちにできることもあれば、できないこともあります。必ずしも納得のいく解決に結びつかない場合もあるかもしれません
けれども、相談者の問題解決に向かう気持ちを共有し、被害を受けた人をサポートしたいと考えています。
まずはメール(または連絡フォーム)でご連絡ください。その後、調整の上でご希望に応じて、電話や面談でやりとりさせていただきます。相談内容については、相談者の了解を得ずに他者に伝えることはありません。
※相談は、友人が被害にあったことに悩んでいるといったようにヘイトスピーチを直接むけられた本人以外の方からも受け付けます。ただし、プライバシーの問題がある場合は被害者本人の意向に配慮してください。
2014年5月26日月曜日
特別研究会「ヘイトスピーチとレイシズムを問う」
今回は28日にコリア研究センター主催で行われる企画のお知らせをさせて頂きます。
私たちは主催ではありませんが、今回の事件と密接に関わる非常に興味深い内容です。
ご関心のあるみなさまにもご案内して頂けましたら幸いです。
---------------------------------
5月28日RiCKS特別研究会「ヘイトスピーチとレイシズムを問う‐日韓の教育現場と社会の有り方から‐」
【日時】2014年5月28日(水)16時30分~18時50分
【場所】立命館大学衣笠キャンパス 洋洋館3階958
【プログラム】
挨拶・趣旨説明:勝村誠(立命館大学コリア研究センター長)
報告:中村一成「ヘイトスピーチの何が問題なのか―被害実態から考える―」
元容鎮「韓国における脱北者に対するヘイトスピーチの実態」
多田一路(立命館大学法学部教授)「大学における政治的にセンシティブな問題と学問の自由」
どうぞよろしくお願い致します。
私たちは主催ではありませんが、今回の事件と密接に関わる非常に興味深い内容です。
ご関心のあるみなさまにもご案内して頂けましたら幸いです。
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5月28日RiCKS特別研究会「ヘイトスピーチとレイシズムを問う‐日韓の教育現場と社会の有り方から‐」
【日時】2014年5月28日(水)16時30分~18時50分
【場所】立命館大学衣笠キャンパス 洋洋館3階958
【プログラム】
挨拶・趣旨説明:勝村誠(立命館大学コリア研究センター長)
報告:中村一成「ヘイトスピーチの何が問題なのか―被害実態から考える―」
元容鎮「韓国における脱北者に対するヘイトスピーチの実態」
多田一路(立命館大学法学部教授)「大学における政治的にセンシティブな問題と学問の自由」
どうぞよろしくお願い致します。
2014年4月26日土曜日
抗議文
抗議文
2014年2月14日、私たち「立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める有志」は、103名の共同提起者とともに、立命館大学に対して公開質問状を送付し、回答期限を3月15日としていました。しかし、立命館大学は期日になっても回答を行いませんでした。
そこで再度、私たちは、回答を求める要請書を3月24日に立命館大学に送付し、回答期日を4月20日としました。4月20日を過ぎても、やはり立命館大学からは何の返答もありませんでした。今回の公開質問状は、103名の共同提起者によって提起され、そして600名を超える賛同署名を得るなど、立命館大学内外から多くの賛同をいただいたものでした。けれども、二度の送付にも関わらず、公開質問状を黙殺した立命館大学の対応に、私たちは断固抗議します。
立命館大学は今回の事件について、1月15日に発表した「見解」以降、どのような意見表明も行なっていません。私たちはこの「見解」について、公開質問状のなかで二点の問題を指摘しました。① 適切な配慮を行なっていた講師の話を受講者と思われる者が誤解したことを理由として、大学がその講師に指導を行ない、謝罪させた。② 受講者と思われる者がインターネット上に公開した誤情報から生じた騒動(ヘイトスピーチが拡散したことを含む)をいっさい問題にすることなく、逆にそれらの責任を講師に帰した。この二点はやはり問題です。
大学の「見解」は実際のところ何を述べているのでしょうか。立命館大学は、誤情報を流した者やヘイトスピーチを行なった者ではなく、ヘイトスピーチの攻撃対象となった側に非がある、と認識しているということです。
また、私たちは公開質問において、誤情報を流した受講者とみられる者の特定と指導、誤情報に基づく攻撃に対する抗議を求めました。さらに、講師や学生団体に向けられたヘイトスピーチによる二次被害への対応の必要性を訴えました。しかし、立命館大学はいまだ何一つとして対応を行なっていません。
立命館大学は、幼稚で無責任なインターネット上の匿名の暴言等から教学環境を守る役割を大学が放棄するという、悪しき前例をつくりました。大学はいまも民族差別とヘイトスピーチに屈し続けています。『東京新聞』(2014年3月3日朝刊)は、この事態を正確に把握し、立命館大学を「クレーム恐れ自己規制の渦/排外主義に萎縮する大学」と評価しました。まさしくそのとおりです。
さらに、自民党参議院議員片山さつき氏の圧力によって、立命館大学は文科省からヒアリングを受けたとされています。彼女は自らインターネット上に公開しているブログで、文科省のヒアリングに対して立命館大学が、「授業中に今回のような署名や嘆願書を配布するような行為が行われることは、普通ではないこと、よくないことであると認識している。」「これまでも立命館大学において、授業中に今回のような署名や嘆願書を配布し回収するような行為が行われたことはないことである」と、「正式に確認」したと書いています。
立命館大学は、学生の誤情報の拡散に端を発するネット上の騒動を攻撃対象となった教員の責任として、ヘイトスピーチを放置し、国会議員と文科省の圧力に屈して、排外主義を前に萎縮し続けています。そして、無名ではありながらも名前を出した103人からの公開質問状を無視し続けています。私たちは今回の立命館大学の対応に改めて強く抗議します。そして、ヘイトスピーチに断固屈しないという態度を表明することを強く求めます。
立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める有志
2014年4月25日
2014年2月14日、私たち「立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める有志」は、103名の共同提起者とともに、立命館大学に対して公開質問状を送付し、回答期限を3月15日としていました。しかし、立命館大学は期日になっても回答を行いませんでした。
そこで再度、私たちは、回答を求める要請書を3月24日に立命館大学に送付し、回答期日を4月20日としました。4月20日を過ぎても、やはり立命館大学からは何の返答もありませんでした。今回の公開質問状は、103名の共同提起者によって提起され、そして600名を超える賛同署名を得るなど、立命館大学内外から多くの賛同をいただいたものでした。けれども、二度の送付にも関わらず、公開質問状を黙殺した立命館大学の対応に、私たちは断固抗議します。
立命館大学は今回の事件について、1月15日に発表した「見解」以降、どのような意見表明も行なっていません。私たちはこの「見解」について、公開質問状のなかで二点の問題を指摘しました。① 適切な配慮を行なっていた講師の話を受講者と思われる者が誤解したことを理由として、大学がその講師に指導を行ない、謝罪させた。② 受講者と思われる者がインターネット上に公開した誤情報から生じた騒動(ヘイトスピーチが拡散したことを含む)をいっさい問題にすることなく、逆にそれらの責任を講師に帰した。この二点はやはり問題です。
大学の「見解」は実際のところ何を述べているのでしょうか。立命館大学は、誤情報を流した者やヘイトスピーチを行なった者ではなく、ヘイトスピーチの攻撃対象となった側に非がある、と認識しているということです。
また、私たちは公開質問において、誤情報を流した受講者とみられる者の特定と指導、誤情報に基づく攻撃に対する抗議を求めました。さらに、講師や学生団体に向けられたヘイトスピーチによる二次被害への対応の必要性を訴えました。しかし、立命館大学はいまだ何一つとして対応を行なっていません。
立命館大学は、幼稚で無責任なインターネット上の匿名の暴言等から教学環境を守る役割を大学が放棄するという、悪しき前例をつくりました。大学はいまも民族差別とヘイトスピーチに屈し続けています。『東京新聞』(2014年3月3日朝刊)は、この事態を正確に把握し、立命館大学を「クレーム恐れ自己規制の渦/排外主義に萎縮する大学」と評価しました。まさしくそのとおりです。
さらに、自民党参議院議員片山さつき氏の圧力によって、立命館大学は文科省からヒアリングを受けたとされています。彼女は自らインターネット上に公開しているブログで、文科省のヒアリングに対して立命館大学が、「授業中に今回のような署名や嘆願書を配布するような行為が行われることは、普通ではないこと、よくないことであると認識している。」「これまでも立命館大学において、授業中に今回のような署名や嘆願書を配布し回収するような行為が行われたことはないことである」と、「正式に確認」したと書いています。
立命館大学は、学生の誤情報の拡散に端を発するネット上の騒動を攻撃対象となった教員の責任として、ヘイトスピーチを放置し、国会議員と文科省の圧力に屈して、排外主義を前に萎縮し続けています。そして、無名ではありながらも名前を出した103人からの公開質問状を無視し続けています。私たちは今回の立命館大学の対応に改めて強く抗議します。そして、ヘイトスピーチに断固屈しないという態度を表明することを強く求めます。
立命館大学ヘイトスピーチ事件の解決を求める有志
2014年4月25日
2014年4月19日土曜日
路上シンポ報告
4月16日の昼休み、立命館の文系学部が集まる衣笠キャンパスの西側広場という場所で、布を地面に敷きながら、お茶とお菓子を囲みつつ、ご飯やら鍋やらを食べながら、だいたい一時間から二時間ほど、「民族差別とヘイトスピーチを考える路上シンポ」を行いました。
主宰者の一人として、この場を借りて簡単にではありますが、今回の路上シンポという企画の趣旨と当日の様子について報告させていただきます。
当日用意したビラに書いた路上シンポの趣旨は以下の通りです。
------------
今日、この路上シンポを企画した私たちは、立命館大学に所属する学生です。
わたしたちは、今年一月に起きた、ネット空間を介しての立命館大学での民族差別・ヘイトスピーチ事件について、ちゃんと向き合うため、話し合うための「場」をつくります。
わたしたちが教室ではなく大学空間の「路上」を場所として選んだのは、大学でなにがあったのかも知らない人たちにどのようなことがあったのかを知ってもらうために、今後このような「場」をいろんな人々が作っていくために、そして講演会のように肩肘張らずにもっと柔らかに話し合うためにです。
保持している知識を語るためではなく、また、何かの行動をとるために会議をするのでもなく、それぞれが民族差別・ヘイトスピーチについて感じてきた想いをシェアすることが、わたしたちの目的です。理路整然とした言葉ではなくて、その一歩手前の「感情」をもっと語り合いたいのです。
民族差別・ヘイトスピーチなんて自分には関係ないと思ってきたあなた、
関係のない人など、本当のところは誰一人としていないのです。
そして、あったことをなかったことにはできません。
ご飯でも食べながら、お茶でも飲みながら、話しませんか?
------------
民族差別・ヘイトスピーチに関する路上シンポを学内でやってみようということにわたしとある友人(Tとしましょうか)がなったのにはいろいろと経緯があり、最初から学内で路上シンポという形が決まっていたわけでないのですが、そうした経緯についてはここでは割愛します。
ただ、民族差別・ヘイトスピーチについて、自分が感じてきたことや想ってきたことを肩肘張らず柔らかに話し合い共有する場を作りたいというのは、わたしとTにはじめから共通していた考えでした。
有志の方々を中心とした立命館への公開質問状の提出であったり、教育関係者たちによる声明であったりと、今回の事件に対する大学側の対応への批判と応答が出され(恥ずべきことに、大学はそれらになんら応答を行っていないわけですが)、また今後今回の事件を踏まえたいくつかの講演会が予定されるなど、現実的な対応や今後の抵抗の在り方を考えていくような取り組みは徐々にできつつあります。
ただ一方で、わたし(やたぶんTもですが)の印象としては、そうした取り組みでは、そもそも今回の事件に対してどのようなことを想い感じたのかということは、なかなか話せられてこなかったし、話しにくいことでもあったのではないのかと感じてきました。なにより、「研究」や「運動」の言葉ではなく、その人自身の言葉で話し合う機会が必要なように感じていました。
また、今回の事件は、民族差別・ヘイトスピーチにかかわる問題であると同時に、大学空間における「政治的」とされるものに対する封じ込めの問題でもあり、このことは意識されこそすれ、十分には話し合えていないという印象も、わたし個人にはありました。
そして、それらを教室という閉じた空間で行うのではなく、いろんな人たちの目や耳に届いてもらうために「路上」を場所として選んだのです。
路上シンポに参加してもらったのは、事前にわたしとTが声をかけていた10~15名ぐらいの方々、また飛び入りで、留学生の方が一人輪の中に加わってもらえました。
最初にわたしが軽くあいさつ代わりに企画の趣旨を語り、それから参加してもらった人々にそれぞれ自己紹介をしてもらってから話し合いを始めました。
ただ、事前に向かうべき議論の方向性を設定していたわけではなく、どのような意見が交わされたのかを説明しきることは難しいので、わたしのなかに印象に残っていることを書き残しておくことにします。
民族差別・ヘイトスピーチという問題は日常にありふれていること、しかしそのことを気づいてくれない人たちの多さと、その多さにときに押し黙ってしまうこと。
やるべきことであることをやろうとしているだけなのに、どんどんとしんどくなっていくこと。そういったことはしょうがないものだと割り切ろうと思いつつ、次第に自分たちでは抱えきれなくなっていったり、もしくは、誰かに集中して集まってしまうことにだけはなってほしくないという想い。
マイノリティ運動にしろ、また学生運動にしろ、この社会や大学のおかしさのなかで押し潰されようとしているから声をあげようとして、でも誰も気にも留めはしない。
現実を見ることのしんどさ。現実に向き合えば向き合うほど無視できなくなることが更に見つかっていくということ。
何かをしようとするとき、していくとき、必要なのは「自分たち」だけでなくて「誰か」とやっていくことであり、また大切なのは、自分たちのやっていること以外のことと積極的につながっていくこと。そして、それは、理論や構造の共通性や類似性を理解することからではなく、感情レベルでの共感からでもよいのではないかということ。
でも実のところ、現実をみないようにしたりわからないようになるということは、それはそれでその人自身を抑圧しているのではないか、それ固有のツラさもあるのではという問い。
そのようなことが、それぞれの言葉で語られ、互いの言葉は静かに交わり合っていたように思います。
話し合いの輪にどうやっていろんな人に入ってもらえるようにするのか(入りたかったけど結局は入れなかったという人もいたようです)、話し合っている内容をどのように輪の外にいる人に伝えるのかについては準備が不十分で、課題は多かったと思います。
でも、概ね、参加してくれた人たちはこの企画を楽しんでくれたようでした。
今後も、このような取り組みは継続してやっていきたいとわたしたちは思っています。そうやって、少しずつ場をつくり、立命館という大学で起きた民族差別・ヘイトスピーチを決してなかったことにすることなく、向き合い考え続けていきたいです。
sunny
主宰者の一人として、この場を借りて簡単にではありますが、今回の路上シンポという企画の趣旨と当日の様子について報告させていただきます。
当日用意したビラに書いた路上シンポの趣旨は以下の通りです。
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今日、この路上シンポを企画した私たちは、立命館大学に所属する学生です。
わたしたちは、今年一月に起きた、ネット空間を介しての立命館大学での民族差別・ヘイトスピーチ事件について、ちゃんと向き合うため、話し合うための「場」をつくります。
わたしたちが教室ではなく大学空間の「路上」を場所として選んだのは、大学でなにがあったのかも知らない人たちにどのようなことがあったのかを知ってもらうために、今後このような「場」をいろんな人々が作っていくために、そして講演会のように肩肘張らずにもっと柔らかに話し合うためにです。
保持している知識を語るためではなく、また、何かの行動をとるために会議をするのでもなく、それぞれが民族差別・ヘイトスピーチについて感じてきた想いをシェアすることが、わたしたちの目的です。理路整然とした言葉ではなくて、その一歩手前の「感情」をもっと語り合いたいのです。
民族差別・ヘイトスピーチなんて自分には関係ないと思ってきたあなた、
関係のない人など、本当のところは誰一人としていないのです。
そして、あったことをなかったことにはできません。
ご飯でも食べながら、お茶でも飲みながら、話しませんか?
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民族差別・ヘイトスピーチに関する路上シンポを学内でやってみようということにわたしとある友人(Tとしましょうか)がなったのにはいろいろと経緯があり、最初から学内で路上シンポという形が決まっていたわけでないのですが、そうした経緯についてはここでは割愛します。
ただ、民族差別・ヘイトスピーチについて、自分が感じてきたことや想ってきたことを肩肘張らず柔らかに話し合い共有する場を作りたいというのは、わたしとTにはじめから共通していた考えでした。
有志の方々を中心とした立命館への公開質問状の提出であったり、教育関係者たちによる声明であったりと、今回の事件に対する大学側の対応への批判と応答が出され(恥ずべきことに、大学はそれらになんら応答を行っていないわけですが)、また今後今回の事件を踏まえたいくつかの講演会が予定されるなど、現実的な対応や今後の抵抗の在り方を考えていくような取り組みは徐々にできつつあります。
ただ一方で、わたし(やたぶんTもですが)の印象としては、そうした取り組みでは、そもそも今回の事件に対してどのようなことを想い感じたのかということは、なかなか話せられてこなかったし、話しにくいことでもあったのではないのかと感じてきました。なにより、「研究」や「運動」の言葉ではなく、その人自身の言葉で話し合う機会が必要なように感じていました。
また、今回の事件は、民族差別・ヘイトスピーチにかかわる問題であると同時に、大学空間における「政治的」とされるものに対する封じ込めの問題でもあり、このことは意識されこそすれ、十分には話し合えていないという印象も、わたし個人にはありました。
そして、それらを教室という閉じた空間で行うのではなく、いろんな人たちの目や耳に届いてもらうために「路上」を場所として選んだのです。
路上シンポに参加してもらったのは、事前にわたしとTが声をかけていた10~15名ぐらいの方々、また飛び入りで、留学生の方が一人輪の中に加わってもらえました。
最初にわたしが軽くあいさつ代わりに企画の趣旨を語り、それから参加してもらった人々にそれぞれ自己紹介をしてもらってから話し合いを始めました。
ただ、事前に向かうべき議論の方向性を設定していたわけではなく、どのような意見が交わされたのかを説明しきることは難しいので、わたしのなかに印象に残っていることを書き残しておくことにします。
民族差別・ヘイトスピーチという問題は日常にありふれていること、しかしそのことを気づいてくれない人たちの多さと、その多さにときに押し黙ってしまうこと。
やるべきことであることをやろうとしているだけなのに、どんどんとしんどくなっていくこと。そういったことはしょうがないものだと割り切ろうと思いつつ、次第に自分たちでは抱えきれなくなっていったり、もしくは、誰かに集中して集まってしまうことにだけはなってほしくないという想い。
マイノリティ運動にしろ、また学生運動にしろ、この社会や大学のおかしさのなかで押し潰されようとしているから声をあげようとして、でも誰も気にも留めはしない。
現実を見ることのしんどさ。現実に向き合えば向き合うほど無視できなくなることが更に見つかっていくということ。
何かをしようとするとき、していくとき、必要なのは「自分たち」だけでなくて「誰か」とやっていくことであり、また大切なのは、自分たちのやっていること以外のことと積極的につながっていくこと。そして、それは、理論や構造の共通性や類似性を理解することからではなく、感情レベルでの共感からでもよいのではないかということ。
でも実のところ、現実をみないようにしたりわからないようになるということは、それはそれでその人自身を抑圧しているのではないか、それ固有のツラさもあるのではという問い。
そのようなことが、それぞれの言葉で語られ、互いの言葉は静かに交わり合っていたように思います。
話し合いの輪にどうやっていろんな人に入ってもらえるようにするのか(入りたかったけど結局は入れなかったという人もいたようです)、話し合っている内容をどのように輪の外にいる人に伝えるのかについては準備が不十分で、課題は多かったと思います。
でも、概ね、参加してくれた人たちはこの企画を楽しんでくれたようでした。
今後も、このような取り組みは継続してやっていきたいとわたしたちは思っています。そうやって、少しずつ場をつくり、立命館という大学で起きた民族差別・ヘイトスピーチを決してなかったことにすることなく、向き合い考え続けていきたいです。
sunny
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