事実をもとにしたフィクションです。
ポキオ Kids these days effect
最近気になったこと
挨拶をしない人が、職場にいる。
朝、廊下で目が合っても、向こうは何も言わない。エレベーターで二人きりになっても、無言のまま数字が変わるのを見ている。その人の隣に立つたびに、なぜか自分のほうが居心地悪くなる。
何か失敗しても謝らない。説明を求めると答えは返ってくるが、相手に伝える気があるのかどうか、よくわからない言葉が続く。話が終わったあと、私は「つまりどういうことだったんだろう」と頭の中で整理し直すことになる。若手の社員だ。
何も言わないし、言うつもりもない
私は何も注意しない。するつもりもない。
注意したところで変わる気がしない。ただ、最近になってふと思うことがある。もしかしたら、あの人は「やり方を知らない」だけなのかもしれない、と。
コロナ禍で、大学時代の先輩・後輩の付き合いがほぼ消えた世代がいる。飲み会も、部活の合宿も、先輩に怒られる経験も、ほとんどなかった。タクシーの手配の仕方も、エレベーターで上司より先に降りてはいけないという感覚も、誰かに見せてもらう機会がなかった。そういう世代が、今、社会に出てきている。
気の毒だとは思う。思うけど、消耗するのは消耗する。
周りの人も何も言わない。「あの人ってさ......」と言いかけて、濁して終わるような会話が、たまにある。みんな同じように、少しずつ何かを引き受けながら、特に何もしていない。
「損か得か」と「身についているか」
何かで読んだのだが、今の若い世代はマナーを「損か得か」で捉える傾向があるらしい。挨拶して自分に得があるか。謝って何か変わるか。それを無意識に計算している、と。
それを知ったとき、なるほどと思った。私はマナーを損得で考えたことが、たぶんほとんどない。考える前に体が動いている。「おはようございます」と言うのに理由なんてなくて、もう体がそうなっている。
その前提が最初から違うのだとしたら、噛み合わないのは当然かもしれない。
「Kids these days effect」という言葉があるらしい。「最近の若者はダメになった」「自分の若い頃はもっとちゃんとしていた」と大人が思い込んでしまう、認知バイアスのことだ。自分の若い頃の失敗や未熟さは都合よく忘れて、今の成熟した自分と若者を比べてしまうから、そう見える——という仕組みらしい。
それを知ったとき、少し自分が恥ずかしくなった。私が「当たり前」だと思っていることも、たまたまそういう環境で育っただけの話で、あの人を見て感じるモヤモヤの一部は、このバイアスが混じっているのかもしれない。
そうわかっていても、消耗するのは消耗する。頭と体は別だ。
羨ましいけど、一緒にいたくない
正直に書くと、私はその人のことを少し羨ましいと思っている。羨ましいのと、一緒に働きたいのは別の話だ。でも、羨ましいのは本当だ。
相手の反応を気にしない。気まずい空気を感じていない。謝らなくていいと思っている。そういう鈍感さが、もし自分にもあったなら、どれだけ楽だっただろうと思う。
私は人の顔色を読みすぎるところがある。会議で「これは言ったほうがいいか」と考えているうちに話題が変わって、結局何も言えなかった、なんてことが先週もあった。夜になってもひとりで答え合わせをしている。
あの人にはたぶん、そういうことがない。朝、廊下で誰かとすれ違っても、挨拶をしなかったことを気にしながら席に戻る、なんてことはしていないはずだ。
ただ、ラベルで見ても仕方ない、とも思う。「Z世代だから」と括ってしまうと、その人個別の話が見えなくなる。反応が薄く見えるだけで、頭の中では深く考えているのかもしれない。そういえば、あの人が仕事以外で何を考えているか、私は何も知らない。名前以外、ほとんど何も。
それでも先に「おはようございます」と言う
挨拶がない職場は、じわじわと何かが摩耗していく。謝れない人と仕事をすると、ミスのたびに誰かがそっと引き受けることになる。説明が通じない会話は、終わったあとに疲労だけが残って、何も前に進んでいない。
私が羨ましいのは、あくまであの人の「鈍感さ」だけだ。気にしなくていいことを気にしない、その能力だけが羨ましい。でも今のあの人を見ていると、気にすべきことまで気にしていないように見えて、そこが違う。
羨ましくて、気の毒で、でも消耗する。その三つが全部本当なのが、自分でも少し不思議だ。
今日もこちらから先に「おはようございます」と言った。向こうは、また小さく頷いただけだった。
ああ、自分も老害になってきたんだなと感じた。