#LINK #lang ja #attribution_name Kouji Kozaki #license http://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/deed.ja #file_name ijin_test #download_from http://linkdata.org/work/rdf1s320i #property フィールド http://www.w3.org/2000/01/rdf-schema#label よみがな 分野 時代 地区 http://purl.obolibrary.org/obo/adheres_in 碑 http://purl.org/dc/elements/1.1/description 生没年 #object_type_xsd string:ja string:ja string:si string:ja string:ja string:ja string:ja string:ja string:ja string #property_context Assertion Assertion Assertion Assertion Assertion Assertion Assertion Assertion Assertion Assertion 1 県議会史 杉原 為治郎 すぎはら ためじろう 片上 別所町 初代片上村長 1851〜1922 2 県議会史 市橋 勘左エ門 いちはし じんざえもん 河和田 東清水町 山岸泉から市橋勘左エ門の養子となる。農業のかたわら機業を営み、次第に主となる。杉の植林を奨励、林道の開設に尽力、峰越林道の開発は村民から感謝された。昭和21年河和田村長。県議会議員。議員在任中の福井大震災と昭和28年9月の台風13号による若狭地方の災害対策に尽力。上河内清根線、鞍谷川の改修に尽力。 1895〜1971 3 鯖江郷土史 真保 由斎 しんぼ ゆうさい 彫刻工芸 近代 河和田 河和田町 本名由太郎。明治45年今立郡小坂村沈金徒弟養成所に入所。輪島出身の和田其水先生に沈金を、平野次良太先生に図案を、日本画を桑野長松先生に師事して修行、大正3年独立し、東京美術学校教授帝室芸員六角紫水先生、芸術院会員山崎覚太郎先生らと連繋を保ちつつ技を習得。 学童時代から絵画に天才的な才能を発揮し、日々の努力と気性の激しさで修行の段階から頭角を現し、21歳で独立した後は商工省工芸展覧会やベルギー万博、シカゴ万博など各種展覧会に出品し数々の賞を受賞。太い彫り跡で堅い漆器に堅い鑿を使う太彫りや片彫りで、「由斎彫り 1899〜1976 明治32年〜昭和51年 4 誌村ふるさと北中山 金粕 五右衛門 かねかす ごえもん 数学 近世 北中山 磯部町 ○しろまる 習字、植物、動物、生理を勉学し、教職に就く 5 誌村ふるさと北中山 境口 永信 さかいぐち ながのぶ 数学 北中山 磯部町 ○しろまる 和算家、金粕 五右衛門の第1門人 6 誌村ふるさと北中山 「鯖江の先人展」 田中 孫兵衛 たなか まごべえ 画家 近代 北中山 磯部町 号は南翠。画家であったが、毎年の水災を受け、大工事を完成、治水に尽力する。 1847〜1921 7 誌村ふるさと北中山 田中 南翠 たなか なんすい 画家 近代 北中山 磯部町 日本画、第5代北中山村長 8 誌村ふるさと北中山 石黒 蘭芳 いしぐろ らんぽう 華道 近代 北中山 落井町 ○しろまる 明治27年落井町の農家に生まれる。大正9年池坊家元の門に入り、中山庵青翠に学ぶ。後、池坊総華督兼考査員となる。 9 県議会史 小谷 重右衛門 おだに じゅううえもん 北中山 落井町 幼名駒吉。北中山村長通算15年。県議会議員12年。村役場助役時に北中山村の落井(中山)、赤坂(化致)、中戸口(柔順)、川島(南越)の4小学校を1校に統合することに尽力。鞍谷川の川島・新堂一帯の改修に尽力。 1878〜1941 10 誌村ふるさと北中山 青木 豊市 あおき とよいち 教育 近代 北中山 川島町 ○しろまる 漢学、四書、五経、十八史略、近古史談等に通じる。 11 誌村ふるさと北中山 中山庵 青翠 ちゅうざんあんせいすい 華道 近代 北中山 川島町 ○しろまる 中野の斎藤雲錦師について池の坊に入門。 12 誌村ふるさと北中山 揚原 新十郎 あげはら しんじゅうろう 実業家・政治 近代 北中山 戸口町 昭和9年絹織物製造業を創業。24年にベルベットの生産を始める。昭和34年に県議会議員に当選し2期。県議会議長時に北陸自動車道の湖西、湖東コースの紛糾を解決。戸口トンネルの開通に尽力。 1912〜 13 誌村ふるさと北中山 竹齢園 露二 ちくれいえん つゆじ 歌道 近代 北中山 戸口町 ○しろまる 本名、八田武助。文化5年下戸口生まれ。多忙な家業に追われながらも、歌道に精進にした。乗誓寺境内に碑あり。 1808〜 14 誌村ふるさと北中山 植村(上村) 善四郎 うえむら ぜんしろう 教育者 近代 北中山 中戸口町 (善右衛門)、教員後村長就任、県会議員に2期当選。九頭竜川の改修工事等に尽力。 1868〜1932 15 誌村ふるさと北中山 今立 吐酔 いまだて とすい 近代 北中山 松成町 ○しろまる 松成村満願寺第14世乗永の末子。福井の明新館に入学、米国人教師グリフィスと出会う。明治7年グリフィス帰国の際、渡米しフィラデルフィア大学に留学(20才)。大学で抜群の成績。苦学の末帰国。京都府で日本初の中学校校長となる。後に外交官。昭和6年歿、76歳。 本来多罪身 唯称弥陀仏 成仏吾不関 任乗弘誓筏 16 誌村ふるさと北中山 青木 市五郎 あおき いちごろう 算数・棒術 近代 北中山 天保8年、川島生まれ。9歳の頃から橋立村の医師品川道哲に算数、棒術を学ぶ。和算家。 1837〜 17 誌村ふるさと北中山 中林 与三兵衛 なかばやし よそべえ 和歌・俳句・狂歌 近代 北中山 下戸口生まれ。号は涼月。竹齢園露二の第一の門人。多くの人に和歌、短歌、狂歌を教える。 18 誌村ふるさと北中山 前田 清左衛門 まえだ せいざえもん 浄瑠璃 北中山 天保3年松成生まれ。方々で浄瑠璃や芝居行った。享年65歳。 1832〜1896 19 県議会史 高木 治作 たかぎ じさく 実業家 鯖江 池田町小畑 鯖江町東小路 大正5年飛島組(後の飛島建設)の発起人に。昭和4年ごろ同士と共に鯖浦合同運送(株)を設立し社長に。県会議員。鞍谷川の改修、今立農学校の改築などを意見。 1871〜1946 20 鯖江郷土史 梅谷 孝永 うめたに たかなが 仏教家 近代 鯖江 上鯖江町 文久3年1863生まれ、田中九平の次男。三千院住職梅谷孝成の仏弟子となる。蓮成院住職、比叡山竹林院住職、三千院住職、権大僧正に累進、京都市東山大仏妙法院門跡、延暦寺247代座主。日中親善に努力。 1863〜1945 21 鯖江郷土史 梅谷 孝成 うめたに たかなり 仏教家 近代 鯖江 上鯖江町 弘化2年(1845)舟津村上鯖江生まれ。田中弥右衛門の長男。明治21年元梶井三千院第51代門跡。荒廃した妙法院を復興した。明治34年天台宗総本山延暦寺第240代座主。 1845〜 22 県議会史 斎藤 與二郎 さいとう よじろう 資産家 鯖江 上鯖江村 代々庄屋を務め、所有農地は120町歩。明治23年には直接国税総額804円45銭(当時県第2位)。この頃の米価1石当り14円60銭。県会議員として県政発展に貢献。舟津村の初代村長。孫は多久馬氏 1849〜1935 23 県議会史 玉木 一馬(一栄) たまき かずま 政治家 鯖江 鯖江町東小路 第1回県議会議員。昭和23年に福井大震災で被害を受けた織物業界再建のため県庁に繊維課新設を知事に進言。国道8号線期性同盟会の会計幹事。 1900〜 24 県議会史 窪田 彦左衛門 (二代) くぼた ひこざえもん 学者・教育 現代 鯖江 県会議長彦左衛門の長男。東京農大卒、貝類研究者。戦前、鯖江女子師範で博物学を教え、戦後も引き続き鯖江高校に勤務。県文化財保護専門委員を務める。昭和8に県生物目録作成に取り掛かり、以後貝類調査をライフワークとした。鯖江在住の医師古川田溝の援助により『福井県産貝類目録』840種をまとめた。 1896〜1967 25 鯖江郷土史 朝倉 了昌 あさくら りょうしょう 仏教家 近代 鯖江 深江町 本山誠照寺派法林寺に生まれる。兄は小泉了諦。17歳で「教途策進」を著す。明治12年に足羽郡東郷厳瑞寺の養子に。インドに遊学。真宗大学教授。金沢の長徳寺住職に。(当時加賀一国屈指の大坊) 1856〜1910 26 県議会史 桑原 甚六 くわばら じんろく 実業家 鯖江 深江町 「あめや」呉服店。江戸末期より呉服屋を創業。明治30年の県議会で福井の簡易農学校を鯖江町に移転する建議案を提出。大正3年に今立農学校が設立認可。明治41年越前電気(株)の設立発起人の1人。大正12年設立の鯖江電気鉄道(株)では福島文右衛門氏とともに設立発起人 1867〜1936 28 県議会史 畑 彦兵衛 はた ひこべえ 教育 神明 岡野町 本家と共に酒造業を営む。穴田川用水の紛争解決に尽力。 1846〜1892 29 神明郷土誌 野尻 新太郎 のじり しんたろう 教育 近代 神明 定次町 東鳥羽町 東京高等師範学校、静岡中学校、福井師範学校、福山師範学校などで教鞭。 30 神明郷土誌 清水 此吉 しみず これきち 教育 近代 神明 長泉寺町 神明小学校(通明、合智の2校が合併)初代校長。 31 県議会史 増永 英明 ますなが えいめい 実業家 神明 鳥羽 増永家の遠祖は柴田勝家の家臣増永公文だという。人絹平地の機業場を設け不動産業。国道8号の建設促進に尽力。 1899〜1964 32 県議会史 山本 治 やまもと おさむ 政治 神明 水落町 山本雅雄の8男。昭和26年神明町長。30年県議会議員に当選以来5期。37年、41年に議長就任。県営広野ダムの完成に尽力。神明朝日線の道路整備に尽力。金谷トンネルにも尽力。鯖江市長2期。 1916〜 33 県議会史 清水 九十郎 しみず くじゅうろう 政治 神明 水落町2丁目 明治13年から14年まで石川県会議員、14年から17年まで福井県議会議員 1832〜1899 34 神明郷土誌 「鯖江の先人展」 山本 雅雄 やまもと まさお 漢学・政治 近代 神明 水落町 号は六堂。漢学と漢詩を研究。大正15年神明村長。元鯖江市長山本治氏の父。 1877〜1970 35 神明郷土誌 野尻 弥重郎 のじり やじゅうろう 教育・政治・実業 近代 神明 定次町 朝日小学校校長を最後に教職を退き、東鳥羽で養蚕を行い、殖産興業を起こす。神明村長として25年間。合智、通明の2小学校を神明小学校に統合。大正4年に武周電力(株)を設立して専務に。大正12年に福武電鉄(株)を設立して社長に就任し、13年2月に武生-兵営間、14年7月に兵営-福井間が開通。浅水川改修の用地交渉に尽力。大正9年衆議院議員に当選。 1868〜1947 36 神明郷土誌 瓜生 守也 うりゅう もりや 漢学 近代 神明 和漢学 37 神明郷土誌 久島 弥左衛門 くしま やざえもん 医学・儒学 近代 神明 雪嶺先生、医療のかたわら儒学教育を好む 碑は長久寺境内。 38 神明郷土誌 山森 弥久吉 やまもり やくきち 医学・儒学 近代 神明 (左近先生)鍼灸術医、雪嶺先生の後を継ぎ儒学を教えた。碑は長久寺境内。 39 神明郷土誌 養浩 斉 ようこう さい 教育者 神明 ○しろまる 碑は岡野町妙法寺境内。 40 県議会史 鯖江郷土史 三田村 八高 みたむら やたか 地方自治 近世 新横江 越前市富久町 下新庄町 ○しろまる 新横江村初代村長で9年間務める。明治6年18歳で小学校教師、同8年には地租改正のため測量技師となる。同17年には今立郡農事通信委員となる。明治24年県制施行とともに県議会議員に。明治41年(株)商業銀行頭取。商業銀行は後に福井銀行と合併。 1854〜1928 41 県議会史 三田村 吉継 みたむら よしつぐ 地方自治 新横江 下新庄町 明治維新後に戸籍の調査や地租改正などの仕事にあたった。明治20年県会議員。県会議員後は新横江村発展に三田村八高と共に尽力。新横江村第3代村長に就任。松ケ鼻用水大改修に尽力。 1845〜1934 42 県議会史 松田 兵左衛門 まつだ へいざえもん 実業家 新横江 中戸口町 横越町 松田家は古くからの名望家で農業のほか絹織物業を経営。新横江村長。 1875〜1945 43 県議会史 岩野 寛 いわの ひろし 教育 新横江 東鯖江 新横江、片上、国高の各尋常小学校長を歴任。新横江村長。昭和23年関係村長と協力し、鯖江町、新横江村、舟津村合併を実現。 1891〜1968 44 県議会史 藤田 惣左衛門 ふじた そうざえもん 実業家 新横江 横越町 早くから絹織物に関心を持ち、明治21家督を相続するや家業の製油業から羽二重機業に転業。新横江村長、県議を務めた。敦賀港の施設充実に尽力するなど、産業振興に貢献した。 1853〜1935 45 鯖江郷土史 八田 清右エ門 はった せいうえもん 数学 近代 新横江 横越町 ○しろまる 上河端辻長兵衛に数学を学び、農業の傍ら門弟を集めて講莚を開いた。明治38年歿、享年70歳。 1836〜1905 46 県議会史 高島 茂平 たかしま もへい 教育 立待 足羽郡天王村 石田下町 東京高等師範学校を卒業し、福井中学校の教諭。県会議員。 1867〜1945 47 福井県丹生郡誌 青柳 丹青 あおやぎ たんせい 俳諧 近代 立待 石田上町 九右衛門、天保13年(1842)生まれ。号を一窓庵丹青とし俳諧で活躍。南越獅子林分社二代目代表。大正元年歿、享年71歳。石田上の西蓮寺に碑あり。 1842〜1912 48 県議会史 大橋 庄右エ門 おおはし しょううえもん 政治 立待 石田上町 立待村長、吉江町にあった小学校を杉本町に移転することに尽力。石田縞増産を図った。明治45年には立待村19戸、朝日村32戸、吉川村25戸、糸生村10戸等となった。武周電力(株)を設立。 1859〜1921 49 福井県丹生郡誌 高島 善左衛門 たかしま ぜんざえもん 実業家 近代 立待 石田下町 ○しろまる 50 福井県丹生郡誌 高島 丹山 たかしま たんざん 宗教 近代 立待 石田下町 琴棋を学び詩文書画を好む 51 福井県丹生郡誌 高島 眠山 たかしま みんざん 華道 近代 立待 石田下町 名は九兵衛、 52 福井県丹生郡誌 高島 正臣 たかしま まさおみ 立待 石田町 ○しろまる 字は君牙、通称慎三、蕉堂と号した。 53 福井県丹生郡誌 岡井 慎吾 おかい しんご 教育 近代 立待 石田町 熊本医大予科教授 九州大文学部講師 昭和6年「玉篇の研究」で文学博士の学位を得る。 1872〜1945 54 県議会史 佐々木 清六 ささき せいろく 政治 立待 杉本町 第12代、第17代立待村長。 1872〜1945 55 福井県丹生郡誌 ふるさと散歩道 野尻 録衛 のじり ろくべい 近代 立待 糺町 弘化元年生まれ。立待村村長。歩兵第三十六連隊設置のため私費で用地を買収し献納した。これに感服した市民の土地献納や労力奉仕により、連隊用地が確保、整備された。 1844〜 56 県議会史 吉川 治左衛門 よしかわ じざえもん 政治 立待 西番町 代々村役を務める。第三十六連隊の兵舎建設に協力。 1856〜1928 58 県議会史 福井県丹生郡誌 「鯖江の先人展」 松谷 弥男(野鷗) まつたに やおう 政治 立待 三尾野出作町 作詞、古銭、酒、釣、養鶏を好む。明治13年石川県議会議員。明治24年福井県議会議員。岡井慎吾は明治16年から数年師事。 1835〜1914 59 県議会史 加藤 吉平 かとう きちべい 実業家 立待 吉江町 酒造業。越前製瓦(株)、北新庄製紙(株)の社長。 1871〜1939 60 福井県丹生郡誌 北山 由松 きたやま よしまつ 実業家 近代 立待 吉江町 藍玉商、醤油の醸造に従事 61 県議会史 笠嶋 一榮 かさしま かずえ 治水 中河 上河端町 第1回県議会議員。浅水川、文室川改修(中野町出口より上流)に尽力。 1902〜 62 県議会史 山田 仙之助 やまだ せんのすけ 実業家 中河 中野町 家業は菜種油・桐油等の製造販売と石油・肥料の販売。明治37年ころ羽二重の製織が盛んになり、明治38年に機業に転向。43年に力織機を考案して販売。県会議員、貴族院議員。独力で幼稚園を建設し運営費を寄贈。神社仏閣にも寄贈。戦時中に戦闘機「山仙号」を献納。戦後もラジオ放送教育資材を寄贈。 1876〜1949 63 県議会史 伯 治門 はく じもん 政治 中河 中野町出口 県議会議員時代に県産婆看護婦養成事業を推進。中野の耕地整理105町歩を造成。大正4年に中河村長に就任し20余年にわたり尽力。 1871〜1938 64 県議会史 山口 孝雅 やまぐち たかまさ 政治 中河 橋立町 昔からの水不足を補うため、巨額の私財を投じて浄法寺境内に18間あまりの井戸を掘る。県議時代に浅水川改修を建議した。中河村長だけでなく、請われて神明村長にも就任。 1861〜1910 65 福井県丹生郡誌 藤田 寛 ふじだ ひろし 政治・産業 近代 豊 氏家町 佐々生 明治44年に産業組合を創設。 66 福井県丹生郡誌 熱田 霊知 あつた れいち 宗教 近代 豊 上氏家町 真宗大教校教授、仏教大学教授(安政元年〜大正7年) 豊村誌にもあり 67 県議会史 永田 定右衛門(定視) ながた さだうえもん 政治 豊 下氏家町 父は第1回衆議院議員永田定右衛門。県議会議員中に豊村から鯖江町に通じる県道の路線変更と幅員拡幅を手掛ける。 1878〜1921 68 福井県丹生郡誌 丹尾 頼馬 にお たのま 政治 近代 豊 下野田町 明治30年の貴族院多額納税者議員互選人名簿(県下で15人)に登載。慶応義塾で福沢諭吉に指導を受ける。豊村(岡山村)初代村長。明治31年11月県議会で九頭竜川改修施行を可決、さらに上流まで改修するよう要望し、日野川は湯尾までさかのぼった。衆議院議員当選4回 1858〜1928 豊村誌にもあり 69 県議会史 橋本 孝恵 はしもと たかえ 政治 豊 下野田町 昭和9年に細幅織りを始める。18年丹生金属工業(株)を設立したが大戦により廃業し、航空機部品を製造、戦後細幅織物を復活。昭和26年豊村長。30年県議会議員。 1910〜 70 福井県丹生郡誌 ふるさと散歩道 永田 定右衛門 ながた さだえもん 政治 近代 豊 深江町 下氏家町 嘉永4年(1851)藩士湯浅重次郎の次男として鯖江町に生まれる。漢籍に通じる。明治4年(1871)下氏家町永田家の養子となる。後に自由民権運動に傾倒し、政治団体南越倶楽部副会頭として幅広く活動、明治23年の第1回衆議院議員選挙で当選。板垣退助を補佐し、党の発展に尽力。大正8年歿。 1851〜1914 豊村誌にもあり 71 福井県丹生郡誌 蓑輪 対岳 みのわ たいがく 教育 豊 和田町 仰明寺生まれ、明治9年東京石川島徒場へ出張し受刑者に説諭。日本における刑務所教誨の最初。 72 豊村誌 丹尾 桂 にお かつら 治水 近代 豊 下野田町 ○しろまる 田水灌漑に尽力 73 豊村誌 牧野 亀次郎 まきの かめじろう 実業家 近代 豊 下野田町 慶応大学経済科卒業、昭和16年明治生命保険社長 74 豊村誌 中村 応隆 なかむら おうりょう 仏教 近代 豊 上氏家町 曹洞宗大学林、慶応義塾、真宗大谷派大学に学ぶ。 75 豊村誌 鉾碕 与左衛門 ほこさき よざえもん 華道 近代 豊 上氏家町 ○しろまる 号は春竹庵岡山。池坊家元から両皆伝を受け大日本総幹事となる。明治中ごろには台湾に渡り華道茶道を教える。春竹庵岡山先生碑あり。 1860〜1932 76 豊村誌 渡辺 巌 わたなべ いわお 医学 近代 豊 上氏家町 東京帝国医学部卒業、東京帝国大学医学部外科医長 77 豊村誌 佐々木 吉良 ささき きちりょう 軍事 近代 豊 陸軍大学卒、陸軍少将 78 豊村誌 西岡 龍也 にしおか たつや 詩吟 近代 豊 ○しろまる 観世流謡曲の師 79 豊村誌 藤本 幸太郎 ふじもと こうたろう 商学 近代 豊 保険学、会計学においての我が国第1人者。 80 豊村誌 渡辺 静庵 わたなべ けいあん 医学 近世 豊 上氏家町 西洋医学を修め、京都に遊学し諸大家に学ぶ。1844年帰郷、武生善光寺街に医業を開いた。種痘を学び、その功により大医となる。長男の洪基は東大総長。 1812〜1880 81 県議会史 「鯖江の先人展」 竹内 淇 たけうち みぎわ 法律 近代 吉川 持明寺町 庄屋を務め、酒屋も営む(銘柄姫心)。法律学、英語を学ぶ。県議会で吉川道路費の県費全額支弁を建議。吉川橋架橋も建議。 1858〜1927 82 福井県丹生郡誌 西野 利平 にしの りへい 治水 近世 吉川 西大井町 ○しろまる 西大井・川去の両地区の農業用水は、常に不足し絶えず水争いが起きてた。西野翁は大変心を痛め、この水不足を解消するために日野川から水を取水することを考え、1605年に江戸へ赴き、二代将軍徳川秀忠公に直訴し許可を得た。それから、約1500mの西川用水路(二ヶ用水または千人堀用水)に着手、20年を費やし完成したといわれている。 83 福井県丹生郡誌 島村 日正 しまむら にっしょう 宗教 近代 吉川 二丁掛町 本妙法華宗の管長 84 南越 青木 嘉七 あおき かしち 窯業(瓦業) 近代 神明 85 鯖江郷土史 青柳 柳塘 あおやぎ りゅうとう 漢学者 近世 鯖江 勘定奉行兼郡奉行。維新後、論文、漢詩に励み、教育に力を注いだ。明治11年没 〜1878 86 鯖江郷土史 青柳々涯 あおやぎ りゅうがい 文学者 近世 鯖江 柳塘の長子、明治39年没 郷土資料の収集に尽力。 〜1906 87 鯖江郷土史 秋元 時憲 あきもと ときのり 詩人 近世 鯖江 鯖江町 江戸に住み、服部南郭に学び、詩集小丘園集初篇十巻を著した。 〜1783 88 鯖江郷土史 芥川 希由 あくたがわ きゆう 藩儒者 近世 鯖江 思堂の子。字は子轍、玉潭と号す。藩校進徳館創設に功大。享年56歳 〜1832 89 鯖江郷土史 芥川 元澄(思堂) あくたがわ もとずみ 藩儒者 近世 鯖江 ○しろまる 名は元澄、号は思堂。1788年鯖江藩の招聘に応じ藩儒となり、間部家譜、鯖江誌を編纂。 1744〜1807 90 鯖江郷土史 芥川 舟之 あくたがわ しゅうし 藩儒者 近世 鯖江 希由の長男。京都後藤佐市郎に従学、ついで江戸林大学頭に入門。父の後を受けて進徳館師範となる。1859年足利学校に学ぶ。維新後、惜陰小学校に教鞭をとり、武生伝習所の一等教師となる。1890(明治23)年没74歳 〜1890 91 伊与 美代丸 いよ みよまる 医学者 河和田 河和田町 地区民のため、医業に専念する一方、趣味も多彩で、特に俳句では「北吟会」を戦後復活継承し、「馬酔木」誌を歿年まで主宰。 1894〜1977 92 鯖江郷土史 上田 質 うえだ ただし 書家 近代 鯖江 大山陶斎に師事、一流の書家。惜陰小、東京府立二中、武生中学等で教鞭を執る。昭和22年歿、享年78歳 1869〜1947 93 鯖江郷土史 江坂 広雄 えさか ひろお 教育家 近代 鯖江 明治35年、東京高等師範学校英文科に進学し、ア式蹴球部創設とともに入部、日本初の近代サッカーチームのメンバーとなる。卒業後、郷里で教職に就き、武生中学校長、福井高等女学校長を歴任。教育界での活躍後、護国神社宮司となる。昭和21年歿、享年65歳 1882〜1946 94 鯖江郷土史 大郷 学橋 おおごう がっきょう 儒者 鯖江 大郷 浩斎の子で間部詮勝公が老中となり、諸藩の志士と交わり国事に奔走。碑は向島三囲神社西門外にある。明治14年歿、享年52歳 1830〜1881 95 鯖江郷土史 大郷 信斎 おおごう しんさい 儒者 鯖江 芥川思堂に学び、後に林大学頭述斎の門に入り、学問所の教授となる。屋代弘賢や滝沢馬琴とも交遊があり、「兎園会」という同好会を作っていた。江戸の藩邸にあった藩学惜陰堂を命名。 〜1844 96 鯖江郷土史 大郷 浩斎 おおごう こうさい 儒者 鯖江 ○しろまる 信斎に子がなかったため、藩士須子孫作の弟を大郷家の世嗣とした。惜陰堂師範、麻布学問所教授となる。 97 鯖江郷土史 大山 陶斉 おおやま とうさい 漢学 鯖江 青柳柳塘の実弟。鯖江藩を代表する漢学者、書家。惜陰小の門前にある石碑は門人たちの報恩の志、撰文は渡辺洪基。明治36年歿、享年78歳 1826〜1903 98 鯖江郷土史 片山 又右衛門 かたやま またうえもん 教育家 近代 新横江 東鯖江 ○しろまる 東鯖江だが元は五郎丸町法常寺の出。農家の三男、数学を好み、勉学に励む。廃藩置県時には敦賀県の小学校教師に、石川県時代には地租改正係雇に採用された。 99 鯖江郷土史 片寄 帆山 かたより はんざん 漢学 近代 鯖江 芥川舟之(帰山)に就いて学ぶ。維新後、小学校教師。旁塾を開き、漢学を講ずる。古希の記念に門弟が松岐阜神社の境内に松の木を植樹。そのそばに碑をたてる。明治43年歿、享年78歳。 1833〜1910 100 鯖江郷土史 間部 東斎 まなべ とうさい 行政家 近世 鯖江 ○しろまる 嘉永6年(1853)鯖江藩家老、植田貢之助。初代鯖江町長。幼少時に芥川帰山、大山陶斎に学ぶ。明治2年鯖江藩大参事になり、明治3年に衆議院議員になる。町村制により初代鯖江町長となる。大正6年歿、享年81歳。 1837〜1917 101 鯖江郷土史 喜多山儀兵衛 きたやま ぎへえ 軍学者 近世 鯖江 福井藩士吉江小左エ門の二男。後に鯖江藩士喜多山の養子となる。藩の軍学者として父子二代に亘って重んじられた。長崎に留学し西洋軍学を研究した。 102 鯖江郷土史 木村 意水 きむら いすい 篤志家 近世 鯖江 ○しろまる 木村家六代の祖で木村病院長木村知孝の高祖父。間部詮勝に従い京都に滞留。後に私財により貧民救済にあたった。 103 鯖江郷土史 木村 孝蔵 きむら こうぞう 医家 近代 鯖江 南小路生まれ。金沢医学校初代外科医長、金沢医学校付属病院長、大阪府立医学校病院外科医長、大阪高等医学大学教授。心斎橋塩屋町に木村病院創設。 1860〜 104 鯖江郷土史 小池 恕堂 こいけ しょどう 漢学 近代 鯖江 ○しろまる 芥川舟之(帰山)に師事。江戸の林大学頭に入門。藩校進徳館館長の傍ら、漢学塾である小池塾を開き多くの門弟を集める。碑は嚮陽公園にある。 1824〜1899 105 鯖江郷土史 「鯖江の先人展」 ふるさと散歩道 小泉 親彦 こいずみ ちかひこ 医家・政治 近代 鯖江 大阪 旧鯖江藩士小泉親正の三男。医学博士、1941年厚生大臣、1945年自決。幼くして両親に死別祖母たねに育てられる。祖母たねは川島町高原武右エ門の娘。 1884〜1945 107 鯖江郷土史 小泉 了諦 こいずみ りょうたい 仏教家 近代 鯖江 ○しろまる 下深江本山誠照寺派法林寺第9世住職。弟は朝倉了昌。本山の命を受け、兄弟でインドに遊学。セイロンに渡り大僧正より衣鉢を受ける。その後、トルコ、フランス、イギリスと諸国を巡歴し、仏教講演を行った。昭和13年歿、享年88歳。 1851〜1938 108 鯖江郷土史 古川 田溝 ふるかわ でんこう 医家・博物学・教育 近代 鯖江 東小路に生まれる。苦学の末、東大医科卒業。学生時、学費を得るための標本作りが高じ、県博物学会副会長も務めた。医業の傍ら、惜陰小学校学務委員となり、大正14年鯖江白菊婦人会による幼稚園の園主となる。昭和23年歿、享年74歳。 1875〜1948 109 鯖江郷土史 斎藤 元厚 さいとう がんこう 数学 近世 鯖江 高木善行に師事し、開流の算法を極めた。 110 鯖江郷土史 酒井 伊四郎 さかい いしろう 実業家 近代 鯖江 下深江生まれ。生糸問屋を営む。大正10年鯖江撚糸織物(株)取締役社長、昭和4年には酒伊合同紡織(株)を創設。昭和9年三井物産と資本提携し、酒伊織物(株)となる。昭和12年酒伊繊維工業(株)へ。翌年には満州にも工場進出した。県織物界の第一人者。昭和27年歿、享年59歳。 1894〜1952 111 昭和56年資料館特別展「鯖江の先人展」 実明院 功存 じつみょういん こうそん 宗教 近世 河和田 河和田町字小坂、明正寺に生まる。幼時から学を好み、近江の正崇寺派法霖の門に入り仏学を研精し、1751年帰郷、その後、福井西別院で数十日間にわたり字他力本願についての講義を続け「願生帰命弁」を著した。その功により本願寺から賞与され、京都の大學・別院で三十数回にわたり講釈した。50歳のとき6代目能化大講主に推され、法主から実明院の号を賜る。 1719〜1796 112 鯖江郷土史 柴田 慶治 しばた けいじ 実業家 近代 鯖江 旧藩時代、藩米問屋に生まれる。明治20年大阪米穀肥料商の店員を勤めた後独立。神戸市栄町で米殻商を営む。貿易で巨商となる。昭和19年歿、享年79歳。 1866〜1944 114 鯖江郷土史 島津 浮亀 しまづ ふき 書家 近世 鯖江 藩士島津信之の妻。女流書家。和歌も堪能。明治6年歿。 〜1873 115 鯖江郷土史 清水 完和 しみず かんわ 歌学者 近世 鯖江 藩士中島権右エ門の二男。(寛政10年〜明治13年) 歌人。鐸廼舎と号した。幼にして清水氏の養子となり後京に上り城戸千楯の門に入り国学を学び鐸廼舎と号して歌を作り且つ、和様の書をよくした。新町蛸薬師に住む。妻子なく、老後鯖江の実家に帰り明治13年10月28日歿、年83。等持院に葬る。没後その歌集「かけひの水」が刊行された。 1798〜1880 116 鯖江郷土史 清水 春松 しみず しゅんしょう 医家・眼科 近代 鯖江 味真野町生まれ。明治43年に中小路に眼科医院を開業。清水式角膜切開刀、清水式トラホーム鑷子で特許取得。著書「トラホーム予防図解」。昭和3年博士号取得。菊作りの達人。昭和11年歿、享年54歳。 1883〜1936 117 鯖江郷土史 秀如上人 しゅうにょしょうにん 宗教 新横江 横越町 本山證誠寺の第17世の上人。近江国膳所城主本多隠岐守康慶の末男。享保14年歿、享年54歳。 1676〜1729 118 鯖江郷土史 秀誠上人 しゅうじょうしょうにん 宗教 鯖江 本町 本山誠照寺の第15世の上人。顕密二教に通じ、文才に長けていた。 120 鯖江郷土史 須子 蕉石 すこ しょうせき 画家 近世 鯖江 大郷 浩斎の兄で天才的画家。宋元時代の画法を研究。長泉寺町の西福寺の屏風は代表作。文久3年(1863)歿、享年74歳 1790〜1863 121 鯖江郷土史 鈴木 大寿 すずき たいじゅ 医家・文学 近世 鯖江 間部詮勝公の侍医。 122 鯖江郷土史 「鯖江の先人展」 鈴木 竹香 すずき ちっこう 画家 近代 鯖江 名は隈、空谷と号す。画を山本梅逸に学ぶ。明治20年歿。 1822〜1887 124 鯖江郷土史 曽我 東涯 そが とうがい 漢学者 近代 鯖江 ○しろまる 藩士で維新後武生で塾を開いて漢学を教える。墓は鯖江の妙正寺だが碑は越前市沢の妙行寺にある。文は大柳英の撰。明治21年歿、享年70歳。 1819〜1888 125 鯖江郷土史 高木 善行 たかぎ ぜんこう 和算家 近世 鯖江 通称、平四郎。関流の算法を研究。詮勝の時代の人か。 127 鯖江郷土史 高谷 光雄 たかたに みつお 実業家 近代 鯖江 鯖江藩士。廃藩後、鯖江県小属となるが、まもなく廃県。明治17年滋賀県大津市松本の近江麻絲紡織(株)設立を受け社長に。明治36年合併により日本製麻(株)となり、その代表取締役に。大正2年歿、享年77歳。 1837〜1913 128 鯖江郷土史 竹内 重規 たけうち じゅうき 数学 近代 鯖江 藩士で数学を専攻。多くの門弟を集め教育のために活動(安政2年頃)。舟津神社に一の鳥居から見た日野山を描いた測量図を奉納。 129 鯖江郷土史 竹内 半 たけうち ばん 数・教育家 近代 鯖江 片山又右衛門に師事し数学を学ぶ。維新後、小学校教師、傍ら数学塾を開いた。筆算を普及。大正2年歿、享年75歳。 1839〜1913 132 鯖江郷土史 土屋 公章(得所) つちや こうしょう 医家 近世 鯖江 勝山藩泰家生まれ。19歳で鯖江藩医土屋家を継ぐ。種痘の普及に尽力。慶応3年歿、享年54歳。 1814〜1867 133 鯖江郷土史 土屋 寛之 つちや ひろゆき 医家 近代 鯖江 土屋得所の長男。長崎精得館で西洋医学を研究。岐阜県医学校長などを経て、帰郷後、鯖江興病院の礎を築く。明治39年歿、享年62歳。 1845〜1906 134 鯖江郷土史 ふるさと散歩道 禿 須弥 とく すみ 教育者 近代 新横江 五郎丸町 五郎丸町浄覚寺の禿了教の長女。東京成立学舎女子部を経て、明治26年同志社女子部に入学。父とともに日本道徳会を創設。女子教育に尽力し、明治31年23歳で「婦人仁愛教団」を創立し、仁愛学園の基を築く。昭和25年歿、享年75歳。 1876〜1950 135 鯖江郷土史 禿 了教 とく りょうきょう 宗教・教育 近代 新横江 五郎丸町 五郎丸町浄覚寺住職。農家の長男として生まれ、外祖父禿了法の養子なる。明治17年京都勧学院に学び、同20年神田英学館で語学を学び、インド欧米を視察。仁愛教団創立。娘は須弥。昭和12年歿、享年84歳。 1854〜1937 136 鯖江郷土史 ふるさと散歩道 富田 董 とみた かおる 工業家 近代 鯖江 鯖江町 鯖江町生まれ。東京帝国大学工科卒業。郡内の河川を徹底調査し、上池田村に水力発電所建設を画策、福島文右エ門を社長とする越前電気(株)を創立へ。その創立前の明治37年歿、享年31歳。 1874〜1904 137 鯖江郷土史 ふるさと散歩道 中島 亀太郎 なかじま かめたろう 教育者 近代 鯖江 ○しろまる 蘭荘の長男。福井県師範学校卒業後、惜陰小学校訓導に任命される。大正2年に文部大臣から教育効著顕著なるものとして選賞。大正11年に奏任待遇を受ける。当時小学校長では県下で2人。退職後、薫陶を受けた人々が惜陰小学校校庭に胸像を建てる。昭和11年歿、享年69歳。 1868〜1936 138 鯖江郷土史 中島 確堂 なかじま かくどう 数学 近世 鯖江 美水の子。竹内重規に数学を学ぶ。慶応元年1865歿、享年45歳。 1821〜1865 139 鯖江郷土史 中島 美水 なかじま びすい 数学 近世 鯖江 藩の数学者。天保14年歿、享年51歳。 1793〜1843 140 鯖江郷土史 中島 蘭荘 なかじま らんそう 書道 近世 鯖江 文武に通じ、書道で大成。巻掖山に師事。明治8年歿、享年51歳。 1825〜1875 141 鯖江郷土史 ふるさと散歩道 西沢 吉治 にしざわ きちじ 実業家 冒険家 近代 鯖江 間部藩の蔵役を務めた為治の二男として鯖江町に生まれる。神戸で西沢商会を起こし、明治38年台湾と香港の間に真珠、海苔が無尽蔵にある無人島を発見、一大事業を展開した。島内だけに流通する貨幣の発行や憲法を制定するなど、さながら一つの国家であった。後に、この島は清国領「プラタス島」と判明、返還された。また、第1次世界大戦では、ドイツ領であったアンガウル島でリン鉱石採掘を軍に命じられた。次男は隆二(たかじ)は徳田球一らと活動した政治活動家であり、詩人(ぬやまひろし)である。司馬遼太郎「ひとびとの跫音」 1872〜 142 鯖江郷土史 西島 俊庵 にしじま しゅんあん 蘭学 近世 鯖江 鯖江藩医。江戸で杉田玄白・大槻玄沢に学び、長崎で蘭学を学ぶ。杉田、大槻両氏が解剖術を実験した時、俊庵は助手を勤めた。前途を嘱望されながらも文化7年歿、享年24歳。 1787〜1810 143 鯖江郷土史 如覚上人 じょかくしょうにん 宗教 鯖江 本山誠照寺の第三世の上人。道性上人の長子。 144 鯖江郷土史 橋本 政恒 はしもと まさつね 神道 鯖江 ○しろまる 舟津神社宮司、筑前守。和歌の佳作を遺す。東溟上人と親交あり。天保9年歿、享年78歳。 1761〜1838 145 鯖江郷土史 早川 尚古斎 はやかわ しょうこさい 細工師 近世 鯖江 父敬五郎は鯖江藩の細工見習いとして奉仕、尚斎は大阪に住んで「浪華の籠師」として近世の名匠と称えられた。明治30年歿、享年83歳。 1815〜1897 146 鯖江郷土史 伴 宗古 ばん そうこ 歴史 近代 鯖江 藩士で菊潚と号す。郷土史家、著書に「さむしろ」。歌道では東溟上人に師事。 鯖江町助役。明治33年歿。 〜1900 147 鯖江郷土史 東溟上人 とうめいしょうにん 宗教 近世 新横江 横越町 ○しろまる 京都生まれ。本山證誠寺第20世。 148 鯖江郷土史 福島 文右衛門 ふくしま ぶんうえもん 政治・実業家 近世 鯖江 旭町 家は醤油醸造を家業とした。富田董とともに上池田村の持越に水力発電所を建設するため奔走。越前電気(株)を創立し、明治42年9月に送電した。明治43年福井県農工銀行頭取、明治44年貴族院議員。氏を含む28人が発起人で鯖浦電気鉄道(株)を創立し、社長に就任、大正15年鯖江・佐々生間が完成、昭和3年佐々生・織田間が開通した。越前電気(株)は北陸配電(株)となり、鯖浦電鉄は福井鉄道と併合した。昭和12年歿、享年64歳。 1873〜1945 149 鯖江郷土史 法林寺恵南 ほうりんじ けいなん 宗教 鯖江 円智坊とも称し、洋栄の子。寺領朱印を没収された本山の復旧に尽力。享保9年歿、享年68歳。 1771〜1838 151 鯖江郷土史 益子 魯山 ますこ ろざん 画家 近世 鯖江 鯖江藩士で、須子蕉石に就いて絵を学ぶ。万延元年1860歿。 〜1860 152 鯖江郷土史 松井 政治 まつい せいじ 歴史 近代 鯖江 旧藩士、維新後、小学校教育に従事。新撰鯖江誌一巻を著す。大正11年歿。 〜1922 154 鯖江郷土史 水石 聳 みずたに ろう 画家 近代 鯖江 鯖江藩士。菱湖流の画を学ぶ。明治17年歿。 〜1884 155 鯖江郷土史 道性上人(本山誠照寺) どうせいしょうにん 宗教 鯖江 鯖江 本山誠照寺の第二祖。親鸞上人の第5子。 156 鯖江郷土史 道性上人(本山證誠寺) どうせいしょうにん 宗教 新横江 横越町 本山證誠寺の第8世の上人。 159 鯖江郷土史 ふるさと散歩道 山本 由松 やまもと よしまつ 植物学 近代 片上 乙坂今北町 片上村で生まれ、幼時に鯖江町南小路山本家へ。県師範学校卒業後、惜陰小学校訓導に。大正4年広島高等師範学校に入学、卒業後鹿児島県第一師範学校教諭となったが、大正9年には東京大学理学部に入学、台湾植物学の権威早田又蔵博士に師事し、在学中から台湾総督府中央研究所の嘱託となり、卒業後、小石川植物研究室に。昭和3年には台北大学に赴任。昭和9年に理学博士となり、戦後も台北大学に留まった。昭和22年歿、享年55歳。開学以来初の大学葬で弔う。 1893〜1947 160 鯖江郷土史 「鯖江の先人展」 霊鞍 竹叟(明正寺 竹叟) れいあん ちくそう 竹画 近世 河和田 河和田町小坂に生まれる。父に漢籍、詩文および書を学び、特に幼時から画を好んだ。歌人加茂季鷹のもと歌も学び、長崎の書家鶴亭竹石や江戸の画家谷文晁らと交遊。間部詮勝ら諸大名とも交わり悠々自適にして優雅な生涯をおくる。 1774〜1840 161 「鯖江の先人展」 鷲田 又兵衛 わしだ またべえ 地方自治 近代 吉川 川去町 幼少にして鯖江藩芥川帰山に学び、後に大阪の藤沢南岳の泊園書院に遊学。1910年足羽郡長等歴任。 1864〜1939 162 鯖江の先人展 渡辺 洪基 わたなべ こうき 医学者 豊 武生善光寺 1862年福井にて漢学、蘭学を修め、1864年江戸に上り、幕府の医学所教授となる。1871年、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文らの随行で渡米。1883年東京府知事、1886年東京帝大の初代総長となる。父は渡辺静庵。 1847〜1901 163 斎藤 優 さいとう まさる 学者 現代 中河 県考古学界の草分。京都帝大で考古学を学ぶ。戦時中満州にて遺跡調査。戦後郷土の考古学調査に挺身。王山古墳をはじめ近隣の古墳群の調査に従事。第1回鯖江市民文化賞受賞。県文化財専門委員。 1910〜1988 164 高橋 幸八郎 たかはし こうはちろう 学者 現代 河和田 河和田町 西欧経済史学者。戦後、東大教授、社会科学研究所長。日本学術会議副会長・国際経済史協会日本代表委員。 1912〜1982 165 堀 芳孝 ほり よしたか 教育・学者 現代 新横江 五郎丸町 福井師範卒、福井中学に24年勤務。昭和8『福井県生物目録』植物之部を担当。昭和27開館の福井市立郷土自然科学博物館の初代館長。 1902〜1977 166 西山 真一 にしやま しんいち 芸術 現代 片上 四方谷町 洋画家。福井師範卒業。昭和5上京。翌年、帝展と光風会に初入選。以後同展を主な発表の場とする。鈴木千久馬に師事。1980日本芸術院賞。 1906〜1989 167 棚池 慶助 たないけ けいすけ 芸術 現代 吉川 川去 バイオリン奏者。大正5海軍軍楽隊入隊。大正7委託生として抜擢され、東京音楽学校(現東京芸大)入学。卒業後軍楽隊教官となる。大正12山田耕筰、近衛秀麿らとともに新交響楽団(現N響)の創立に参画。バイオリン・イングリッシュホルン奏者として活躍。昭和4以降学習院音楽部、東京工大音楽部講師として両大学のオーケストラの指揮者を勤める。昭和21鯖江に戻り、棚池アンサンブルを結成し、多くの音楽愛好家を育て音楽文化向上に尽力した。 校歌:吉川小・片上小・中河小・足羽中 1900〜1970 168 若泉 敬 わかいずみ けい 国際政治学者 現代 神明 つつじヶ丘町 1930年今立町生まれ。東大法卒。保安庁保安研修所教官を経て、米国ジョンズ・ホプキンス大学客員教授。防衛庁防衛研究所所員を経て、京都産業大学教授に。佐藤栄作の密使として、ニクソン政権と協議を進め、沖縄返還のために尽力。96年歿、享年66歳。 1930〜1996 169 斉藤 元美 さいとう もとよし 産業 鯖江 鯖江町 窯業振興に尽力。焼き物「古王山」 170 五十嵐 小右衛門 いがらし しょうえもん 産業 鯖江 鯖江町 窯業振興に尽力。焼き物「新王山」 171 竹下 源次郎 たけした げんじろう 産業功労 現代 立待 田所 織物検査官。田所町渡辺源兵ヱの長男。竹下円右ヱ門の婿養子となる。明治34織物検査所に入所、所長で退職する昭和15まで検査事業に精励、輸出人絹織物の技術指導に尽力。戦中戦後の物価政策の確立に貢献。世界恐慌時には、外務省の嘱託として日印会商に参加、インドとの通商再開に成功した。多趣味で、日本画、サツキ作りの名人。 1881〜1967 172 石森 靜 いしもり しずか 産業功労 近代 立待 西番町 西番町吉川治左衛門の4男。福井県木材協同組合連合会初代会長。福井農林卒。石森家へ婿養子。木材の登録制度の創設、目立工の養成、各種講習会を開催するなど林業界発展に多大な貢献。 1896〜1962 173 安立 又三郎 あんりゅう またさぶろう 実業・政治 近代 立待 下石田 下石田村高島茂平の3男。明治6武生有明町の酒造業安立家を継ぐ。武生聨合会議長、酒造惣代を歴任。以後、自由民権運動に尽くす。家財を投げ打って政治活動を行う。 1847〜1928 174 承天 しょうてん 宗教 近世 鯖江 萬慶寺開祖。赤穂浪士が討ち入りの後、立ち寄った江戸の泉岳寺で彼らを受け入れる決断を下したという逸話をもつ僧侶。 175 近松 門左衛門 ちかまつ もんざえもん 浄瑠璃作家 近世 立待 吉江藩 東洋のシェークスピア、作者の氏神、元禄の三大文豪。浄瑠璃、歌舞伎作者。 1653〜1725 176 福島 宜三 ふくしま よしぞう 政治 近代 鯖江 鯖江町 衆院議員。英吉利法律学校(現中央大)卒。小学校訓導から大津日報主幹、大津商法会議所理事長を務める。農商務省御用掛、商工業視察の嘱託を受け、渡欧。第7.8.9回の衆院選に出馬し連続当選を果たす。 1863〜1927 177 松平 忠直 まつだいら ただなお 政治 近世 神明 鳥羽 第2代福井藩主。原野であった鳥羽野を開拓。大坂の陣で大坂城一番乗りを果たすなど大功をたてたものの恩賞がないことを不満とし、参勤交代を怠るなど不遜な行動をとった。それゆえか暴君といわれているが、裏付ける資料なし。 178 加藤 吉太夫 かとう きちだゆう 政治 現代 中河 下河端町 戦後第1回衆議院議員に当選。中河村農業協同組合長、県農民連盟委員長を務め、戦後の農業復興と農民政治力の結集の先頭に立った。 1895〜1988 179 福田 耕 ふくだ たがやす 政治 片上 吉谷町 1907年加バンクーバーに渡航、学問の必要性を感じ4年後、帰国。東京帝大法学部卒業後、中国に渡り小学校設立、現地の教育に専念。帰国後、1934年岡田内閣の秘書官となる。二二六事件で首相を真正寺に隠した事件は有名。 1888〜1970 180 大井 永昌 おおい ながまさ 政治 近世 吉川 平井町 江戸時代の旗本。1829〜39飛騨高山の郡代として越前の幕府領役5万石を支配。1836天保の大飢饉では窮民救済に尽力する。平井町に報恩碑あり。 1771〜? 181 吉田 円助 (初代) よしだ えんすけ 政治 近代 北中山 戸口町 衆議院議員、県会議長。山岸治右衛門の三男。明治23県議補選に当選。明治37『北日本』発刊に尽力。総選挙に国民党候補として出馬し当選。大正4福井新聞専務。 1864〜1921 182 ふるさと散歩道 岩田 幸七郎 いわた こうしちろう 政治 近代 河和田 上河内 1853年上河内町生まれ。河和田村長、郡会議員を歴任。明治27年には日本漆工会を創設、漆液の改良、栽培の奨励、国産漆の保護運動を展開。漆器業界の功労者。 1853〜 183 高島 七郎右衛門 たかしま しちろうえもん 政治・実業家 近代 立待 吉江 衆院議員。東京法学院卒。福井銀行、越前電気(株)取締役。 1869〜1923 184 ふるさと散歩道 のゑ女 徳行 近世 吉川 持明寺町 ○しろまる 1767年持明寺村生まれ。味真野清水頭の豪摂寺へ乳母奉公に。文化5年秋、本山の二女児を連れ外出したところ、手負いの猪に襲われる。身を張って猪と格闘、二女は無事で、のゑ女も命をとりとめる。その勇敢な行為に対し、福井藩より褒美を授かった。当寺境内に石碑あり。 185 高島 一郎 たかしま いちろう 農業 現代 立待 石田下 高島茂平の長男。東京帝大農学科卒。農業団体の育成強化に一生を捧げた。 1890〜1977 186 多賀 九江路 たが きゅうこうろ 俳人 現代 鯖江 歌集『車前草』、詩集『點心』。後年、俳句に移り、日野草城主宰『青玄』同人。句集『句読点』を出版。福井市民俳句会会長、県俳句作家協会幹事等を歴任。 1903〜1970 187 間部 詮熙 まなべ あきひろ 藩主 近世 鯖江 明和7年(1770)鯖江生まれ。第5代藩主、詮茂の子。天明5年(1785)五代藩主となる。文武を奨励し、京都から儒学者芥川元澄を招き「越前鯖江誌」「間部家譜」を編纂。享年43歳。 1770〜1812 188 間部 詮允 まなべ あきざね 藩主 近世 鯖江 寛政2年(1790)鯖江生まれ。第6代藩主、詮熙の長子。文化9年(1812)六代藩主となる。教育に尽力し、江戸藩邸に惜陰堂、鯖江中小路に藩校進徳館を建設した。享年25歳。 1790〜1814 189 間部 詮勝 まなべ あきかつ 藩主 近世 鯖江 第7代鯖江藩主。寺社奉行、大坂城代、京都所司代、天保11年(1840)には37歳で西丸老中となる。同14年老中を辞任するが、安政5年(1858)井伊大老のもと再び老中となる。日本開国、安政の大獄に大きく関わる。鯖江では、西山嚮陽渓を造り、教育にも力を入れた。書画を好み、萬慶寺の天井絵(市指定文化財)は有名。藩主在任48年は最長。「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」の句の作者といわれる。享年83歳。 1802〜1884 190 松平 昌親 まつだいら まさちか 藩主 近世 立待 吉江藩 吉江藩ただ一人の藩主。後に家督を継いで福井藩主となり、吉江藩は廃藩となる。 1640〜1711 191 ふるさと散歩道 富田 長秀 とだ ながひで 武士 近世 鯖江 長泉寺町 ○しろまる 府中の出身、越前守護職。織田信長により府中城主に任命。後、一向一揆で、長泉寺城を攻め上がったが、討死。長泉寺町の歯塚現権境内に墓碑あり。 192 ふるさと散歩道 斎藤 実盛 さいとう さねもり 武士 片上 南井町 源平合戦で活躍した斎藤別当実盛の後裔。平家物語によると、後に武蔵野国長井に移り、長井斎藤別当と称した。源平盛衰記にも登場。木曽義仲軍との加賀国篠原の戦いで討死。幼い頃実盛に命を助けられた義仲はその首を抱いて号泣したという。西日本で行われている伝統の虫送りは実盛の供養の意味を持つ。 1111〜1183 193 朝倉 暁瑞 あさくら ぎょうずい 仏教家 近代 立待 杉本町 ↓ 西袋町 明治10年報恩寺に生まれる。東京帝大文学部卒、本定寺に養子として入り、住職に。龍谷大講師、京都女子高等専門学校校長。戦中戦後の激動期に本願寺派執行長を務める。昭和29にはビルマで開かれた世界仏教徒会議に日本代表団の団長として参加。 1877〜1968 194 砂村 新左衛門 すなむら しんさえもん 治水 近世 新横江 新町 ○しろまる 全国各地で、土地開発・新田開発事業に尽力。 1601〜1667 195 禿氏 祐祥 とくし ゆうしょう 仏教家 近代 片上 吉谷町 吉谷町西教寺9世祥雲の長男。仏教大学講師。大正12中国の仏教関係史蹟を踏査研究。昭和9龍谷大学図書館長、同大教授。昭和25『東洋印刷史序説』で文学博士。世界の珍書を集めた『禿氏文庫』は有名。 1879〜1960 196 ふるさと散歩道 矢代 操 やしろ みさお 鯖江 屋形町 1852年生まれ、藩士松本伝吾の次男。1869年、藩士矢代家の養子となる。藩校進徳館を経て、大学南校(現東大)に進学、後に仲間と明治法律学校(明治大学)を創設。 1852〜1891 197 ふるさと散歩道 板田 孫兵衛 はんだ まごべえ 近代 新横江 横越町 ○しろまる 性格非常に心堅く、辛抱強い人と伝えられる。結核で倒れ、病床にあって死後の献体を申し出る。これにより明治9年(1876)鯖江で初めて献体が行われた。全国的にも早い例。 1840〜1876 198 ふるさと散歩道 松永 伍作 まつなが ごさく 近代 片上 大野町 1853年今立郡大野村生まれ。明治7年上京、農事試験場に入り、養蚕を研究。32年京都蚕業講習所所長となる。明治期、農業の主軸であった養蚕の発展に貢献。京都北野天満宮に碑あり。大正11年には片上小学校に銅像があったが、戦時中に供出された。 1853〜1908