逆さ燧も十分満喫できた。
雪解け水で、水芭蕉も水中花となっていた。
青い空と白い雲の競演。何となく気に入ったのでワンショット。
尾瀬ヶ原異臭の途中、燧をバックに竜宮小屋を遠望。今年は何回来ようかなと数えたりしてみる。
]]> 路肩は「大宮」「横浜」「湘南」「千葉」「奥多摩」・・・・ナンバーの車や大型観光バスが占拠。果ては河原に降りている人たちもいた。
土日はどうなるのかと心配になったものだ。
途中の広場には、「しし鍋」「うどん」の看板を掲げ、暖かい食物を商う露天も登場して、大勢の人々が出入りしている。
気温が比較的高くて、寒くはなく風もほとんどないので、絶好の紅葉狩り日和である。しかし、写真を撮るには、もう少し日差しが弱い方がいいのだが、雨に降られるよりはずっといいので、わがままは言わないことにしよう。
中津峡は、トンネルも幾つかあったり、最深部のニッチツ鉱山までの間にオーバーハングした崖や金網にモルタルを吹き付けた補強場所や金網だけの落石防止箇所が多数ある。
清流には風に舞った色とりどりの葉が舞い降り、谷の紅葉が映り込み、童謡「もみじ」の一節が浮かぶ。〝・・・・、谷の流れに散り浮く紅葉、波に揺られて離れて寄って、赤や黄色の色様々に水の上にも織る錦・・・・〟
谷の流れもいいが、見上げて見える屏風の様な岩を飾る紅葉はひときわ美しい。
中国の水墨画にある石灰岩の山に根付いた松の生命力。白砂青松はよく言われるが、石灰岩なので白岩青松かな?きれいな物や美しい物は絵にしたくなる。自分は絵に描けないので、フィルムに収める簡便な方法をとってしまうが。ガードレールもない所もあるので、足下を気にしながらシャッターを切った。
そう呼ばざるを得ない一樹。
ひときわ赤く、道路際に立つこの樹。周りの木々を圧倒する色である。
カメラが群がっていたのが写真の紅葉の大木。中津川に乗り出す様に立つ。梢から徐々に紅葉が進んでいたが、根本に近い枝の葉は未だに濃い緑をしていた。
帰途につき、営業日であることを確かめておいた、「紺屋」へ。R140から少し登った所にある。今日は初回、裏を返してで、二回目である。馴染みになるにはもう一回来ないといけない。次回は友人を連れてくることにしよう。店は写真で分かるとおり、往時が偲ばれるかなり大きな秩父の養蚕農家。中の柱は八寸角の大黒柱をはじめいろりの煙に燻された柱が組まれ、三和土は、コンクリートに覆われてしまっているが、中央に室が作られ現役の様である。
主人が一人で、全てまかなっているので、客が多い時は注文してから時間がかかる。今日は金曜なので客はいないだろうと、ご主人にはすまないが思いこんでいた。あに図らんや、もう十人近く居り、立ち待ちとなった。入店時にノートに名前と注文の品と数量を書いておくと、できると呼ばれるので取りに行くことになる。要するに、ほぼセルフサービスなのである。店を出たら六人ずれのお客さんが入っていったが、後四人分しかないと言われて諦めて帰る様だった。以前に、友人と行った店で、大盛りを注文したために、後からきた客が食べられなくなってしまったことがふと蘇ってきた。しかし、今日は自分のせいではないぞ!! 因みに、この店はおいしい蕎麦を食べさせてくれるお店です。
ゆっくり散策しながら、9:30amに八方池を通過。時間があるので丸山まで足を伸ばすことにした。
ただ、白馬の峰を隠しているガスが晴れないでいるのが気にかかる。小一時間程登ったが、山頂を覆う雲の色がよくない。時折雨粒を落ちてくる。
山は逃げない。体力を維持し再登を期し下山する。
通過した八方池にて昼食(朝食?)をとり、休憩がてら散策する。
名にし負う八方は夏休み中とはいえ平日にもかかわらず昼近くなるにつれ、ルートは人の列で埋め尽くされた。足下はサンダルやヒール高の靴。背中に乳飲み子右手に幼子の若夫婦。
三世代の家族ずれは連れてきたご老体に、待っていることを言い含め置き去りにして、先を急ぐ。
池で休んでいた時、近くにいた低学年らしい女の子を連れたお父さんが、〝山ではゴミを捨てちゃだめなんだよ〟と話しているのが聞こえてきた。雪渓を越えて吹き上げてくる爽やかな風とともに、いい気持ちになったものだ。
絵はがきのような白馬連峰の山容を眺められなかったのは残念だったが、ウメバチソウ、カライトソウ、オヤマソバ、タカネマツムシソウ、ハクサンタイゲキ、タテヤマウツボグサなど見られたこと、雨に降られなかったこと、涼しい風の中の山行に満足した。しかし!しかしである。最後に、落とし穴が待っていた。
一つめ。八方駅を下った所の「こいや」で食した蕎麦。いまいちであった。
二つめ。ああ・・・。何と。我が愛車のフロントガラスに走る一筋の・・・・・。皆さんも、落石と飛び石には気をつけてください。
天気はいいのだけれど、湿度が高く、春霞のように遠景もはっきりしなかったけれど、素人目で撮ってみました。
思った程の混みようでなくスムーズな行程を消化することができラッキーであった。しかし、汗は全身から流れ出て持参した水3リットルが、荷にはなったが役に立った。そうそう、雷鳴はしたが夕立も来ず、これまたラッキー2であった。
たたなづくさんの、天狗への山行を拝見して、ずいぶん前に自分もアイゼンつけて登ったのを懐かしく思い出した。古いアルバムをめくってみると、入山から下山までの何枚かが見つかった。天気は上々で気分もよく、羽目外しも数枚あって、そちらはお蔵入りとなりました。あしからず。
]]>尻に敷かれて?十年
岩の上に、どっしりを腰を下ろしているかのように見える。自然の造形はおもしろい。元は、スリムな体型だったのだろうか、それとも元から安産型なのだろうか・・・・。岩にしてみれば、年々大きく重くなってくるこの居敷、もう半ば諦めていて、ともに苔の生すまでと、運命を受け入れているのかも知れない。
褶曲した大きな岩に、一つの種が舞い降り。実生から長い年月をかけて、栄養のない岩の端から谷から望む狭い高い空に向かって幹や枝を伸ばし続ける。
根は岩に潜り込めず、辛うじてできた小さな割れ目を手がかり(根がかり?)に、いつかは肥沃な大地に根が張れることを夢見ながらできる限り根を張ってきた。その姿に悲しくもうれしくも、又恥ずかしく力付けられもする。思わずその根の一つに手を触れながら声をかけてしまった。
「はっ!」として我に返り周囲を見回して、絶え間ない沢の流れの音だけの中にいる自分に安心したものである。
職場の先輩には、毎年のように霊峰富士に登頂するという方がいらっしゃルのですが、自分は、未だに五合目までしか行ったことがありません。いつもバスや列車や車の窓越しから、または、富士の見える山頂や峠あるいは視界の開けた林道の途中等々からの、文字通りの遠望です。
今までの山行から、遠目に見る山はあこがれをもたらします。そして取り付いてみると、言わずもがなの辛さもありますが、それを払拭するくらいの、自然の楽しさや美しさ、歩んだことによる達成感を与えてくれました。最近は、山行から少し遠ざかってしまいました。ご夫婦でよく山行なさる知り合いの方々をみて、若いうちにもっと登っておきたかったと思うこと頻りです。
マツムシソウは、自分の好きな花の一つです。薄紫の色がいいですね。花の作りも間近でみると、余計にその集合体の妙に感心します。虫の目からは、垂涎のご馳走に見えているのでしょうね。殆どの花がそうであるように、互いの命のリレーの為に、巧まず知らず惹きつけられ利用されている姿は、正に自然の妙ですね。
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