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ソニー・IE上海の添田武人総裁「中国発のスーパーヒーローを世界へ」

人民網日本語版 2019年01月16日13:42

北京なまりの普通話(標準中国語)を流ちょうに話し、湖南料理や四川料理を好み、とても親しみやすく、一見するととても「総裁」には見えないこの人物は、その名前と同じ発音で、5種類のナッツを意味する「五仁」にかけて、親しみを込めて「五仁叔」と中国のゲーマーたちから呼ばれている索尼互動娯楽有限公司(ソニー・インタラクティブエンタテインメント上海)の添田武人総裁。添田総裁は、1992年にソニー本社に入社。その後、2014年に再びソニーに復帰し、上海自由貿易試験区の政策を活用して、プレイステーション4(PS4)の中国における販売にこぎつけた。添田総裁の幼少時代と青年時代、そして中年時代はいずれも中国と深い縁で結ばれているという。そして、添田総裁は、中国が改革開放から40年間にわたり、経験してきた大きな変化と、同様に変化を遂げてきた中国人のライフスタイルを目の当たりにしてきた。

北京で生まれ改革開放を身をもって経験

「人生の半分、もしかしたら半分以上を中国で過ごしている」と語る添田総裁。

中国の作家・魯迅とその小説「故郷」を高く評価しているという添田総裁にとって、北京は間違いなくもう一つの故郷と言える。1967年、北京で生まれた添田総裁は、そこで幼少期、少年時代、大学時代までを過ごし、大学卒業後に初めて日本に戻って働くようになった。

中国語だけを聞いていると、彼のことを「北京出身の中国人」と勘違いしそうになる。中国が閉鎖された社会から、1978年に改革開放を実施するまでの過程を、実際に身をもって経験し、見てきた添田総裁は、「僕が北京の小学校に通っていた頃、中国はまだ閉ざされた状態だった。でも、僕が中学、高校、大学へ進んだ頃、つまり78年以降から、中国は国の扉を開き始めた」と振り返る。

改革開放当初、日本の家電製品は一般の人々が目にした最初の外国製品となった。当時、日立やパナソニック、ソニーなどが中国に進出した。それらメーカーのラジカセやポータブルオーディオプレイヤーなどが、物が少なかった当時、今のiPhoneのように流行し、改革開放後の80後(80年代生まれ)にとっては思い出の品となっている。

添田総裁は幼少期、両親と共に北京で暮らし、小学校、中学校、高校へと進み、北京大学文学院を卒業した。添田総裁は自分の成長について語りながら、「改革開放から40年の間に、中国は大きく変化した。その40年は、融合、開放、交流の過程で、その過程において、多くの外国人が中国について理解するようになった。また、多くの中国人が世界について理解するようにもなった」と語る。

92年に大学を卒業した添田総裁はソニーに入社し、市場リサーチやマーケティング、宣伝・PR、業務企画などを担当しただけでなく、中国でも約4年間勤務した。その当時、上海の浦東新区の開発が進み、中国の改革開放は新たな段階へと突入していた。その頃の添田総裁は、20年経ってまたソニーに戻り、中国で仕事をするようになり、浦東がその人生の新たなスタート地点になるとは、想像もしていなかったという。


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