2014年8月22日金曜日
浮田直晁の墓
本島泊にある来迎寺
法然上人ゆかりの寺で、永禄年間に吸誉上人という
僧がこの旧跡をたずね、寺を復興したと伝えられる。
本尊は阿弥陀如来立像で鎌倉時代の作で文化財に
指定されている。
寺の墓地には関ヶ原の戦いで敗れ逃れてきた
浮田直晁の墓や寛永初期の珍しい形をした
墓があります。映画「かんぞう先生」のロケも
行われた。もちろん無住寺で住職は居らず
檀家も数軒のみである。
老朽化も進み維持が大変です。
法然上人ゆかりの寺で、永禄年間に吸誉上人という
僧がこの旧跡をたずね、寺を復興したと伝えられる。
本尊は阿弥陀如来立像で鎌倉時代の作で文化財に
指定されている。
寺の墓地には関ヶ原の戦いで敗れ逃れてきた
浮田直晁の墓や寛永初期の珍しい形をした
墓があります。映画「かんぞう先生」のロケも
行われた。もちろん無住寺で住職は居らず
檀家も数軒のみである。
老朽化も進み維持が大変です。
山門から海を眺めると
抜群の景色です
一見の価値ありです
浮田直晁のお墓
不思議な形をしています
2014年8月8日金曜日
葬儀に参列しました
昨日、葬儀に参列しました。
永年、塩飽、本島を調査研究を続けられ
郷土史家として活躍された先生が亡くなられました。
95歳の天寿を全うされ旅立たれました。
島の宝であり、良識でもありました。いろいろなことを
教えて頂きました。
まだまだ聞きたいことが山ほどありました。
入院してから、お見舞いに行けなかったのが
今更ながら残念で、悔やんでいます。
少しでもその意思を続ける人が出てくることを願うばかりです。
ご冥福をお祈りいたします。
永年、塩飽、本島を調査研究を続けられ
郷土史家として活躍された先生が亡くなられました。
95歳の天寿を全うされ旅立たれました。
島の宝であり、良識でもありました。いろいろなことを
教えて頂きました。
まだまだ聞きたいことが山ほどありました。
入院してから、お見舞いに行けなかったのが
今更ながら残念で、悔やんでいます。
少しでもその意思を続ける人が出てくることを願うばかりです。
ご冥福をお祈りいたします。
2014年8月6日水曜日
天気がむちゃくちゃ です
暑い日が続いたあと
台風の影響やらで、天気がむちゃくちゃ」です。
今日もうっとうしい空です。きのうは四国老人大会で」
琴平に行ってきましたが、ご存じのように、
高知、徳島の大雨被害で、特に高知県の代表の方々は
ほとんど出席されていませんでした。
先週の土日は雨で海水浴場のお客さんも
ほとんどいませんでした。今週の土日も台風が来ており
心配です。香川県は台風の直撃は昔からあまりなく
ほんとうに良い所だと感謝ですね。
台風の影響やらで、天気がむちゃくちゃ」です。
今日もうっとうしい空です。きのうは四国老人大会で」
琴平に行ってきましたが、ご存じのように、
高知、徳島の大雨被害で、特に高知県の代表の方々は
ほとんど出席されていませんでした。
先週の土日は雨で海水浴場のお客さんも
ほとんどいませんでした。今週の土日も台風が来ており
心配です。香川県は台風の直撃は昔からあまりなく
ほんとうに良い所だと感謝ですね。
7月末の屋釜海水浴場
時々、ジェットスキーが走ってるので
安全区域で泳ぐこと
2014年7月22日火曜日
島が火事
先日、牛島のことを書きましたが、
昨日、16時ごろ牛島で火事があったようです。
本島の消防団の方々が、急いで小船に消防機材を
積み込んで全速力で牛島にむかっていきました。
人口の少ない牛島では島の消防団も機材も少ないと
思うので消火作業は大変だとおもいます。
島同士の助け合いが不可欠です。
大きな被害がなくボヤぐらいだったら良いのですが。
知り合いもいるし心配ですね。
本島でも、10年に一度ぐらい大きな火事が起きているので
気を付けないと。
本島港から見る
牛島の中央から
煙が上がっている
昨日、16時ごろ牛島で火事があったようです。
本島の消防団の方々が、急いで小船に消防機材を
積み込んで全速力で牛島にむかっていきました。
人口の少ない牛島では島の消防団も機材も少ないと
思うので消火作業は大変だとおもいます。
島同士の助け合いが不可欠です。
大きな被害がなくボヤぐらいだったら良いのですが。
知り合いもいるし心配ですね。
本島でも、10年に一度ぐらい大きな火事が起きているので
気を付けないと。
本島港から見る
牛島の中央から
煙が上がっている
2014年7月20日日曜日
山寺の夏祭り
連休です。
梅雨明けです。
暑かった。
そんな中、やまでらの夏祭りでした。
山伏達の読経の中、護摩だきの炎が
激しく燃え上がり、その後、火渡りが
行われました。多くの参詣者が火を
渡っていました。わたしは遠慮しましたが。
梅雨明けです。
暑かった。
そんな中、やまでらの夏祭りでした。
山伏達の読経の中、護摩だきの炎が
激しく燃え上がり、その後、火渡りが
行われました。多くの参詣者が火を
渡っていました。わたしは遠慮しましたが。
2014年7月15日火曜日
地区の新聞作りを
年二回の新聞作りを始めようと思います。
住民の方用というよりも、都会に出て
盆正月に帰省する人へ見てもらおうと思い
始めました。
しかし、小さな地区なので、大した出来事も
なく、決まった行事の報告といった記事に
なってしまいそうです。
住民の方用というよりも、都会に出て
盆正月に帰省する人へ見てもらおうと思い
始めました。
しかし、小さな地区なので、大した出来事も
なく、決まった行事の報告といった記事に
なってしまいそうです。
2014年7月8日火曜日
牛島はどう見れば牛に見えるのか??
本島の南に牛島があります。
いつも思うのですが、どこからどう見れば
牛に見えるのでしょうか??
ひょうたん島と言う人もいますが。
これも見えないですね。
知っている人がいたら教えてほしいです。
笠島と言うのも理由がわかりません。
まあ、悩むこともありませんが。地名は面白いですね。
小坂の西端、すこし高いところから見ています。
ここが牛島との一番狭いところです。
写真でも分かると思いますが、潮が速いです。
今は西行きの本船航路ですが、昔は東西の
両航路で、接触事故も多かったようです。
で、現在は牛島の南、写真でいうと、牛島の向こう側が
東行きの航路になっています。
幕末,朝陽丸や咸臨丸などもここを通っていきました。
勝海舟や榎本武揚、坂本龍馬も通ったでしょう。
泊には貯炭所もあったようです。(現在場所は特定出来ない。)
いつも思うのですが、どこからどう見れば
牛に見えるのでしょうか??
ひょうたん島と言う人もいますが。
これも見えないですね。
知っている人がいたら教えてほしいです。
笠島と言うのも理由がわかりません。
まあ、悩むこともありませんが。地名は面白いですね。
小坂の西端、すこし高いところから見ています。
ここが牛島との一番狭いところです。
写真でも分かると思いますが、潮が速いです。
今は西行きの本船航路ですが、昔は東西の
両航路で、接触事故も多かったようです。
で、現在は牛島の南、写真でいうと、牛島の向こう側が
東行きの航路になっています。
幕末,朝陽丸や咸臨丸などもここを通っていきました。
勝海舟や榎本武揚、坂本龍馬も通ったでしょう。
泊には貯炭所もあったようです。(現在場所は特定出来ない。)
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