2013年3月13日水曜日

4月13日は・・・

今日は、 ぽかぽか陽気です。
春が来たという感じです。

本島は3月17日(日)が恒例の
マイペースマラソンです。多くの方の
申し込みがあったようですね。

それが終わると4月13日(土)は
これも毎年ある「お大師まいり」があります。

3月4月と年度末に新年度といろいろ忙しいのですが
賑やかになります。

お大師まいりは、塩飽の島々はたいがいやっています。
起源ははっきりしませんが豊臣秀吉の朝鮮出兵の 
時の戦死者を弔うために始まったとも言われています。

本島をぐるっと回って「おせったい」を頂いてください。

途中、沢山のお地蔵さんがお迎えします。

その中の一部をご紹介しますと



小阪 阿弥陀寺





























2013年3月5日火曜日

埋め墓

今日は陽が当たっている時は春のように

暖かかったですね。風は少し冷たかったけど。


本島新在家にお墓がありますが

ここは、所謂 埋め墓と言われるもので

本島ではここだけ残っていると思います。

埋め墓は死者の肉体を埋葬するところで「センゾ」といい

海岸など集落から離れたところにあります。土を盛った

上に30cmぐらいの自然石を置いています。そして参り墓

寺院や家の近くの共同墓に石塔をたてお参りをするのに

便利になっています。「ダントウバ」などといいます。

なお、もちろん現在は火葬となっていて土葬はしていません。



                      埋め墓の説明板




                       埋め墓の真ん中に

                         お地蔵さん

                     この中にあの咸臨丸水夫の

                         実次郎の墓も



                        墓地の入り口にある

                           六地蔵さん


                        新在家海岸から見る

                        瀬戸大橋 斜張橋




2013年3月2日土曜日

渡辺清次郎と豊公記念碑

1867年開陽丸(2,800トン)は幕府の軍艦として建造され、当時、我が国第一の

新鋭艦であった。艦長は榎本釜次郎であり本島泊の
 
渡辺清次郎も乗り込んでいた。

鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は、密かに大坂城を出て開陽丸にて江戸へ

脱出したが、この時開陽丸に乗り移るボートの舵手を清次郎が勤めた。

のちに榎本武揚は咸臨丸(途中で離脱)など8隻を率いて函館へと進み、北海道での

独立国をめざした。渡辺清次郎も榎本の元で働いたが五稜郭は落城、新政府に帰順

した。明治になり清次郎はその力量を買われて明治4年、海軍兵学寮(まもなく海軍兵学校)
 
の教官となり明治14年まで勤め、多くの海軍の人材を育てた。山本権兵衛、斉藤實も

その中におり海軍大将から総理大臣にもなった人物である。まさに日本海軍の育ての

である。

本島泊において、昭和3年豊臣秀吉の恩顧と遺徳を偲んで、豊公記念碑を建てること

になり、その碑文の書を海軍大将斉藤實にお願いすることになったのも泊浦出身の

渡辺清次郎の紹介状によるものであったという。なお、裏面には秀吉の朱印状が

刻まれている。



                         渡辺清次郎





木烏神社境内にある

                           豊公記念碑








2013年2月27日水曜日

ベンチに座布団が

夜から朝にかけて雨の音が
していましたが、家を出るときには
止んでいました。海は凪いでいますが
霧で見通しは悪いです。

2,3日前、私用で大阪に行ってきました。
朝一に出て最終の高速船で帰ってきました。

昔に比べて本当に時間が短縮されましたね。
急行鷲羽で何時間もかかって行っていたのが
うそみたいです。

ところで途中の児島駅で以前から気が付いて
いたのですが、駅のベンチに座布団が置かれています。
他ではあまり無いと思うのですが。文章も書かれて
います。


今朝、霧で広島が見えません




春には選挙があります
市長、市会議員ほか
部落にある選挙ポスターの
掲示板。全人口8名ですが
たぶん候補者のほうが多い




霧で,もやっていますが

工事の警戒船が出航していきます






朝一、大阪へ

ちょうど朝日が瀬戸大橋から

上がってきます

冷たかったけど大坂の方が寒かった



児島駅ホームにあるベンチ

このように全部に座布団が

置かれています。



いろいろな言葉が書かれています

これは「あいさつで笑顔あふれる楽しい地域」

中には青少年向けの言葉もありました。

子供たちの健全育成にたいへん大きな

力になるのではないでしょうか。

団体名はちょっと見逃しましたが

地元の婦人会でしょうか


2013年2月22日金曜日

「朝日丸」記念碑

本島港を降りてすぐ右側に小さな公園が
あります。そこに記念碑が2基ありますが
一つは本島マイペースマラソンの記念碑で
もう一つが、「ああ朝日丸」の記念碑です。

古い話ですが、昭和19年2月5日、戦争中

でしたが、旧海軍病院船が牛島南西沖で

座礁してしまいました。その時牛島・本島の

住民は自発的に、当時の食糧難にもかかわらず

炊き出しをして遭難者をたすけた。

後年、昭和53年当時乗船していた海軍医科

薬剤科、歯科医科の人達759人から感謝の

気持ちを表すためこの碑が贈られた。








裏側にある感謝の言葉を

記した銅版
その中にその時の握り飯と梅干は「生涯最高の

美味であった」とある。

やはり困ったときの助け合いは

いつの時代でも

日本人共通の心です

2013年2月21日木曜日

山はやっぱり気持ちが良いです

今日は定休日でした。

天気も良いので山に登りました。
先輩のガイドと二人で泊山を
登ってきました。

ハイキングコースを歩きながら
倒木を片付けたり木の枝をはらいながら
で2時間ほどかかりました。歩くだけなら
1時間で登って来れます。

いつもは行かない最南端にある
展望台のあるところまで行ってきました。

最近は誰も行ってない様で木が茂って
景色が良く見えないような状況です。

コースの途中はほんとうに眺めは抜群です。
春にはワラビがたくさん生えてきます。

昼までに降りてきてついでに昼から
小阪山に登りました。

前回登った時に忘れてきた
ジャンパーを見つけました。

分りにくい道には目印を付けてきました。



泊山からの展望
フェリーが入港するところです




南端の展望台
だったところ
鎖を付けていた
石柱が残っている



木の間から対岸の
牛島の赤灯台



昼から登った小阪山

頂上の三角点



頂上からの眺め

牛島


冬の間に他の山も
登る予定です。

2013年2月20日水曜日

湿地か耕作放棄地か


                    葦のびっしり生えた

                    大浦の、以前は田んぼ

                    かなりの面積ですが

                    何十年間、誰も耕作をしていません。

                    都会への移住と高齢化で

                    こういった所が多いですね





ここは水が貯まっていて

湿地帯となっています

例のヌートリアとアオサギが

生息しています

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