「理の塔、技の塔」〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜(6)アメリカに追いつけ、追い越せ!戦後のダム技術開発 4ページ - ダム便覧
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コンクリートダムの戦後史
敗戦で廃墟となった日本列島を大型台風が繰り返し襲い、水害が多発した。治水の緊急性が声高に叫ばれ、国土復興のために電力確保・水資源開発を目指した大型ダムが全国で建設された。代表例として、五十里ダム(堤体高112メートル、完成31年、旧建設省)、佐久間ダム(堤体高156メートル、完成31年、電源開発)、多摩川の小河内ダム(堤体高149メートル、完成32年、東京都)がある。これらのダムはすべて重力式ダムとして設計されたが、ダム建設の経済性を目指して、堤体積削減が可能な
アーチダム
の建設技術が検討され始めた。アメリカの最新技術を援用して日本初の大型アーチダムとして昭和30年に耳川に上椎葉ダム(堤体高110メートル、九州電力)が完成し、北上川の鳴子ダム(堤体高95メートル、完成33年、旧建設省)も竣工した。経費削減を重視してイタリアから技術導入した中空重力式ダムが大井川の井川ダム(堤体高104メートル、完成32年、中部電力)で採用された。その後も経済的なダム
型式
としてアーチダムや中空重力式ダムが建設されたが、アーチ・中空重力式ダムとも今日では建設されていない。
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