2017年03月01日
哲学カフェ@千里コラボ 「自分とは何か」開催報告
哲学カフェ@千里コラボ 「自分とは何か」
2017(H29)年2月25日(土)14時~16時
今回のテーマは人気があったようです。申込が殺到したため、ご参加いただけなかった皆様、申し訳ございません。
「自分とは何か」と考える時、自分と言う確たるものがあるはず、と言う方と、そもそも自分なんてない、と言う方がいらっしゃるようでした。それぞれ、金属たわしとスポンジに喩えていただき、分かりやすくかつ、面白い議論でした。
哲学カフェは結論を求めません。このやり取りから皆様がどんな刺激を受けられたでしょうか。またいつかそのお話が伺える機会があれば楽しいなと思います。
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◆わたしとじぶん
・「自分」と「私」はどう違うのでしょう。
・「自分」と言う言葉は自分の個体を強調するときに使うように思います。一方、私は「私」と言う言葉を使わないと語れないと思います。
・「自分」のことを他人に伝えるときは「私」を使い、それ以外の時には「自分」を使うと思います。
・「自分」と言う時は、自分の個体を強調するように思います。
・身体と魂を分けて身体のことを「自分」と言うように思います。
◆じぶんをつくる
・「私」を作るためには「自分」を反芻しているようです。
・「私」は主体なのだと思います。
・自分を作ったと言う人はいないのではないでしょうか。自分を作ろうと努力しているのでしょうか。
・十人十色で、それぞれ自分を作っていると思います。
・自分を作った例としては「われ思う故にわれあり」と言ったデカルトやパスカルなどではないでしょうか。
・自分と、私1、私2、私3、を分けたいと思っています。混乱している自分を作っているようです。
・死ぬまで変化を続けて完成に近づけていくイメージがあります。
・私の思う自分は金属たわしみたいで、何かを吸いつけると言うより周りのものをこすり落としてるようなイメージです。
◆じぶんはなにでできている
・自分を取り巻く家族や友人や社会・歴史・自然に囲まれているところでsomethingが生まれ、それをまとめ上げて主体=私が作られていると思います。
・自分はしっかりとした枠があるのではなくて揺れているように思います。
・自分とはスポンジのように環境からいろんなものを吸い込んで、環境が替われば吸い込むものも変わっていくように思います。
・自分とは入れ物であって、そこにいろんなものが入っている。そのようなイメージです。
◆いしき
・今ここにあるものが自分、だと思います。
・「考え方」の確立が自分を作るために大事だと思います。その「考え方」には風土が影響していると思います。
・原自己から育つ中から、譲れない自分があって言わば芯があるように思います。
・「自分」を意識するときは、例えば道に迷ったとき、何かを選ぶ時です。
・自分を意識することで自分が生まれる。
・自分らしさを自分で作って苦しむ。
・意識は脳があるから生まれるので、脳死では自分はなくなると思います。
・本当に大事な自分っているのでしょうか。
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次回は4月29日(土)です。テーマは「幸福とは何か」を予定しています。
来年度も引き続きよろしくお願い申し上げます。
2017年01月18日
明日の「おはよう日本」にでます。
こんにちは、まつかわです。
こちらのブログでは、すっかりご無沙汰してしまってごめんなさい。
先日、NHK岡山のニュース番組「もぎたて!」の哲学カフェ特集で、私が進行する哲学カフェがいくつか紹介されました。
その特集が、明日(1月19日)の「おはよう日本」でも流されることになりました。
朝4:30〜5:00のあいだと、6:00~6:30のあいだの2回。
どちらも同じ内容で、1回7〜8分です。
全国放送なので、起きてる(起きれる)方がいれば、どうぞご覧ください。
私はそれほど映っていませんが、参加者の方のインタビューがいい感じです。
ウェブサイトのイベントレポートがまだのかたは、こちらもどうぞ〜(写真追加しました)。
こちらのブログでは、すっかりご無沙汰してしまってごめんなさい。
先日、NHK岡山のニュース番組「もぎたて!」の哲学カフェ特集で、私が進行する哲学カフェがいくつか紹介されました。
その特集が、明日(1月19日)の「おはよう日本」でも流されることになりました。
朝4:30〜5:00のあいだと、6:00~6:30のあいだの2回。
どちらも同じ内容で、1回7〜8分です。
全国放送なので、起きてる(起きれる)方がいれば、どうぞご覧ください。
私はそれほど映っていませんが、参加者の方のインタビューがいい感じです。
ウェブサイトのイベントレポートがまだのかたは、こちらもどうぞ〜(写真追加しました)。
2016年11月06日
千里コラボ哲学カフェの開催報告
千里コラボ哲学カフェ 「人間にとって価値とは何か」
日時:2016(H28)年10月29日(土)14:00-16:00 会場:千里コラボ 参加者数:20名
進行:赤井郁夫
「人間にとって価値とは何か」
今回も定員いっぱいの参加者にお集まりいただきました。
哲学カフェ初参加の方が6名ほどいらっしゃり千里コラボらしい哲学カフェとなったと思いました。なかなか難しいテーマでしだが、初参加の方を含め皆さんの活発なご発言が途切れることなく幅広いご意見が出されました。
現に存在するものに価値を見出そうとする考えや役に立つモノやコトに価値を認めるという考え、人間というあり方に価値を見出そうとする考えなどが出される中で、認めるという行為がいずれにもかかわっていることが薄っすらと浮かんできます。
何に価値を見出すか、その人のモノサシ、価値観が形成されるのに大きく影響するのが経験であることも浮かびで出できました。価値観が共有されるためには経験を伝えることが必要なのでしょうか。価値観を伝えることの難しさや複雑さに思いを至らせることが出来ました。
(赤井)
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◆価値とは何か?
・価値とは判断基準ではないでしょうか。
よい、わるいというモノサシに近いものでしょうか。
判断基準としての価値とは価値観に近いものだと思います。
・価値がある、ない、といういい方もします。
価値あるものとは人間に必要なもの(健康、お金、生活に必要なもの)でしょう。
価値あるものとはお金で買えるものでしょう。
価値あるものには流行り廃りがあるように変化すると思います。
・「その場の価値」と言うものもあると思います。
・価値を知っていると言ういい方もします(思い込みかもしれませんが)。
◆誰にとっての価値か?
・個人にとっての価値と言うのは、個人差があって話し合う価値がないように思います。人類や国家にとっての価値が大事でしょう。
・相対的な価値と言うものはあまりにたくさん出て来そうで話しにくいとは思いますが、そうかと言って国家にとっての価値を話そうとしても取りつく島がないので身近なことを考えていったら共通している価値、という事が話せるのではないでしょうか。
・国民栄誉賞を伊調薫さんが貰ったが、このような賞というものは共通の価値があるという事ではないでしょうか。
・それらの賞は選考委員の価値観が現れているだけで、共通という事ではないように思います。
・ノーベル賞などは専門性の高い分野なので選考委員の判断をもって多くの人の代表的な意見としていると考えても差し支えないように思います。
◆なぜ価値が生まれる?
・一つの何かに価値を置くことの意味は何でしょうか
・人間には命にも限りがあるし能力にも限りがあります。その中ではいつも選択を迫られて優劣を付けながら判断しています。このことが価値というものが生まれる原因のように思います。
・人間にだけできることは創造する事でしょう。工夫し芸術を生み「大きな物語」を生むことで何かを創造しそれが、価値あることとなっているように思います。
・人間が作ったものでもすぐにはよさそうでも長い時間たってみないとほんまにええもんかどうかはわからないと思います。長い時間で判断されると思います。
・知らず知らずのうちに、意識しないで価値を見出していることは多いと思います。
価値を知っているという事は、教養や理解があるという事だと思います。
◆人の価値
・一人ひとりが価値を決めるのでしょうか。
・物やサービスを買う場合、お金を払えば買えるように価値あるものには対価が必要で、それは誰かに認めてもらうと言う承認要求に関係しているのではないでしょうか。
・人に対する価値と物に対する価値は違うのだろうか。人に対する価値には「生きていることだけで価値がある」と思います。
・人の価値を図ることもあると思います。評価などは良く行われていますがこれも価値を図っていると思います。
・生きていることそのものと言うより、人の性格、人間性に価値があると思います。
・生きていることに価値がある、と言うのならば「人」だけではなく動物にも植物にも価値があるという事だと思います。
・生きていることには価値があると思いますが、それは存在することの最低限の価値であってそれにプラスαの価値があるように思います。
・個性は価値でしょうか。
・認められるものと認められない個性があると思います。
・個性は価値ではないでしょう。個性の中の役立つことがあったらそれが価値を持っていると思います。
◆無理をして価値を作る
・パタゴニアの原生林を走りぬく競争と言うのがあるそうですが、そこで優勝すると言う価値は、人間にとっての最低限の必要と言うものを越えた価値があると思います。
・新しいものや考え方が次々出てきて、それが価値を持ってくるのが現代社会だと思いますが、無理やり価値を作っているように思います。
・価値や価値観にはメディアの影響が大変大きいと思います。
・争いごとは人間の歴史でずっとついて回っていますが、第二次世界大戦の経験を踏まえると「争いのない公平な社会」と言うものが最も価値があると思います。
・「価値」を考えられる社会が価値があると思います。
***********************
以上
2016年10月24日
Radio MOMO「輝くおかやま夢ガール」に出演
こんにちは、まつかわです。
10月22日(土)岡山シティエフエムRadio MOMOさんの「輝くおかやま夢ガール」に出演させていただきました。
うっかりこちらでお知らせするのを忘れてしまい。。。ごめんなさい。
26日(水)19:30より、再放送があります。
岡山市外からはインターネットラジオでどうぞ。
☞岡山シティエフエム FM790『RadioMOMO』
岡山シティエフエムさんは、災害時に岡山市内の地域情報をいち早くお届けするというミッションを担っているそうです。
災害のときは、地域密着のローカルな情報が本当に大事。
ラジオ習慣も災害対策の一つになるんだなと感心しました。
10月22日(土)岡山シティエフエムRadio MOMOさんの「輝くおかやま夢ガール」に出演させていただきました。
うっかりこちらでお知らせするのを忘れてしまい。。。ごめんなさい。
26日(水)19:30より、再放送があります。
岡山市外からはインターネットラジオでどうぞ。
☞岡山シティエフエム FM790『RadioMOMO』
写真は、収録時。パーソナリティの平川陸子さんと。
岡山シティエフエムさんは、災害時に岡山市内の地域情報をいち早くお届けするというミッションを担っているそうです。
災害のときは、地域密着のローカルな情報が本当に大事。
ラジオ習慣も災害対策の一つになるんだなと感心しました。
2016年08月24日
p-Trip 哲学対話の夏合宿@ココルーム 開催報告
p-Trip 哲学対話の夏合宿@ココルーム 開催報告
日時:2016(H28)年8月20日15時~21日13時 場所:ココルーム
共催:武庫之荘哲学カフェ運営委員会 カフェフィロ 協力:ココルーム
初めての合宿は延べ17名にご参加いただきました。ありがとうございました。特に遠方からお越しいただいた皆様、楽しんでいただけましたでしょうか。
ご協力いただいたココルームの上田暇奈代さん、遠藤さんはじめスタッフの皆様、ありがとうございました。
◆釜ヶ崎の街歩き
初日、まず「釜ヶ崎の街歩き」 は、あしゅらさんに案内してもらいます。
東京の山谷、横浜の寿町と並んで労働者の街として現代の縮図のような街。大正時代にさかのぼる釜ヶ崎の発生から第一次暴動(1961年)を経て歴史の波をかぶり続けたこの街歩きます。
2008年を最後に暴動は起きていません。高齢化した労働者たちのこの街を終の棲家としている様子が、今の日本を象徴しているようです。
◆1回目の哲学カフェは、「この街」がテーマ。 進行:赤井
街にエネルギーを吸い取られたと言う意見があります。言葉にしようとすると言葉にならないもどかしさを感じながら、人が住むとはどういうことなのか、に向かって対話が進みます。
貧困と自由、楽しさと差別、など普段あまり考えないような言葉を対にして考えていました。身体と物質の境目、普通の街との境目などにも話が及びます。
ようやく暮れた夏の陽にほっとしながら、BBQ
カフェフィロ「代表が焼く」BBQ! ココルームにはゆったりとした庭があります。
◆シネマ哲学カフェ 進行:山本(カフェフィロ)
続いてシネマ哲学カフェ「KAMAO!PERA」2016日本75分 を上映します。幅35m縦1.4mの遮光カーテン製スクリーンを設置。150インチの大画面にフルハイビジョンで上映しました。
プロデューサーは上田暇奈代さん(ココルーム代表、戦う詩人)
哲学カフェが始まります。予定を大幅に超過し12時を過ぎてしまいました。
面白いとはどういう事か。面白くないのはいけないことか。釜ヶ崎で表現するとはどういうことか。表現しない人はどういう存在なのか。仕事をするとはどういう事か。日々を送るとはどういう事か。仲間とは何か。掘れば掘るほど奥行きのある問いが浮かんできます。
参加者の皆さんの刺激的なご発言にどんどん開かれていく地平があるようでした。あぁ、その問題も考えたい!それも突っ込みたい!刺激に満ちた時間でした。
◆ 2日目
翌朝、すっきりと晴れた釜ヶ崎の空
ココルームの庭から見上げる空は南国の空
◆朗読からはじまる 朗読:西村在子 進行:赤井
「朗読からはじまる」は 井上荒野著「ある古本屋の妻の話」(100万分の1回のねこ収録) を朗読家の西村在子さんに読んでいただきました。
3回目の哲学カフェは朗読を聴いて行う「朗読からはじまる」です。驚くほど幅広く、深く話が広がっていきました。
短編とはどこで終われば成立するのか。 どこで切ってもいいのかもしれない。 賭ける、とはどういう事か。消極的な賭けとは何か。古本とは何か。埋めると捨てるの違いは何か。 考えるのをやめるとはどういう事か。 被害者である自分に安住する?など・・・
◆さて、最後は「哲学カフェプラス」
二人ペアになってこの二日間を振り返ります。一人が他の一人にインタビューして取材します。それを素材に詩を作ります。
これは上田暇奈代さんの「詩の学校」(月一回 会場:應典院) で行っている詩作の方法です。
ペアになってインタビューします。にぎやかな時間です。
◆「哲学カフェプラス」で作った詩から
「深みを増す」 あつみさんの話を聞いて 広瀬崇光
問いという言葉には、どこかしらの受けが感じられる。
しかしあなたが口にした場合、相手に対する興味、自分にない世界へでようとするような歩みを 感じる。
何もしない人
急な前進でつまづき、倒れた人
人生において私はそういう人たちを見てきたが、あなたはどちらとも違う。
あなたは進むだろう。
そして広がるだろう。
ゆっくりではあるけれど。
--------
「金属の動」 暑さ嫌いさんの話を聞いて タイシ
気怠い生活の中の、錆びた眼のその奥に
白く輝くカギがある
錆の下には白がある
金属疲労を起こし、割れそうになった瞼の奥
かぎにワイヤーをかけたなら
白いまぶたになるだろうか
私は布団を被って眠る
まぶたを閉じて その夜に
--------
「古本屋の妻」 タイシさんの話を聞いて 暑さ嫌い
満足していない家庭と対峙した
住んでいて楽しいとかじゃなく
平坦で変わり種のない家庭
水面下にあるのは不満
時には家庭の犠牲にもなる
ただ不機嫌の受け入れ方が
家庭のカタチとして現れる
--------
「このまま生きていくのか?」 紙本さんの話を聞いて 野尻茂樹
のぼる日を見て起き、落ちる日をながめて明日を想う。今日と明日は違うのに、あなたは何も変
えようとしない。
与えられている何かはあなたを満たし、かけている何かはいらだたせる。
生と死はいつも目の前をよぎる
何故、気づかなかったのか。何故、自分は考えなかったのか。
考えたつもりの一瞬は土の中に埋まって息をひそめている
あなたを見つめる生死は、あなたを問いつづけているのだ。
「生きているのか?」
問いつづけている声が、聞こえるか?
◆p-Tripは、終わりました。
街歩きは暑かったし、段取りがうまくいかない処も多々ありました。反省すべき点も多くありますが、皆様のおかげで楽しい時間を過ごさせていただきました。
こんな哲学カフェもあるのだな、と思っていいただけたら幸いです。
この後、カフェフィロ主催「対話劇を作るワークショップ」を行いました。引き続きご参加いただいた8名の方、ありがとうございました。
新たな出会いに感謝して、思うところへ進んでいこう。
2016(H28)年8月23日 赤井 郁夫
日時:2016(H28)年8月20日15時~21日13時 場所:ココルーム
共催:武庫之荘哲学カフェ運営委員会 カフェフィロ 協力:ココルーム
初めての合宿は延べ17名にご参加いただきました。ありがとうございました。特に遠方からお越しいただいた皆様、楽しんでいただけましたでしょうか。
ご協力いただいたココルームの上田暇奈代さん、遠藤さんはじめスタッフの皆様、ありがとうございました。
◆釜ヶ崎の街歩き
初日、まず「釜ヶ崎の街歩き」 は、あしゅらさんに案内してもらいます。
東京の山谷、横浜の寿町と並んで労働者の街として現代の縮図のような街。大正時代にさかのぼる釜ヶ崎の発生から第一次暴動(1961年)を経て歴史の波をかぶり続けたこの街歩きます。
2008年を最後に暴動は起きていません。高齢化した労働者たちのこの街を終の棲家としている様子が、今の日本を象徴しているようです。
◆1回目の哲学カフェは、「この街」がテーマ。 進行:赤井
街にエネルギーを吸い取られたと言う意見があります。言葉にしようとすると言葉にならないもどかしさを感じながら、人が住むとはどういうことなのか、に向かって対話が進みます。
貧困と自由、楽しさと差別、など普段あまり考えないような言葉を対にして考えていました。身体と物質の境目、普通の街との境目などにも話が及びます。
ようやく暮れた夏の陽にほっとしながら、BBQ
カフェフィロ「代表が焼く」BBQ! ココルームにはゆったりとした庭があります。
◆シネマ哲学カフェ 進行:山本(カフェフィロ)
続いてシネマ哲学カフェ「KAMAO!PERA」2016日本75分 を上映します。幅35m縦1.4mの遮光カーテン製スクリーンを設置。150インチの大画面にフルハイビジョンで上映しました。
プロデューサーは上田暇奈代さん(ココルーム代表、戦う詩人)
哲学カフェが始まります。予定を大幅に超過し12時を過ぎてしまいました。
面白いとはどういう事か。面白くないのはいけないことか。釜ヶ崎で表現するとはどういうことか。表現しない人はどういう存在なのか。仕事をするとはどういう事か。日々を送るとはどういう事か。仲間とは何か。掘れば掘るほど奥行きのある問いが浮かんできます。
参加者の皆さんの刺激的なご発言にどんどん開かれていく地平があるようでした。あぁ、その問題も考えたい!それも突っ込みたい!刺激に満ちた時間でした。
◆ 2日目
翌朝、すっきりと晴れた釜ヶ崎の空
ココルームの庭から見上げる空は南国の空
◆朗読からはじまる 朗読:西村在子 進行:赤井
「朗読からはじまる」は 井上荒野著「ある古本屋の妻の話」(100万分の1回のねこ収録) を朗読家の西村在子さんに読んでいただきました。
3回目の哲学カフェは朗読を聴いて行う「朗読からはじまる」です。驚くほど幅広く、深く話が広がっていきました。
短編とはどこで終われば成立するのか。 どこで切ってもいいのかもしれない。 賭ける、とはどういう事か。消極的な賭けとは何か。古本とは何か。埋めると捨てるの違いは何か。 考えるのをやめるとはどういう事か。 被害者である自分に安住する?など・・・
◆さて、最後は「哲学カフェプラス」
二人ペアになってこの二日間を振り返ります。一人が他の一人にインタビューして取材します。それを素材に詩を作ります。
これは上田暇奈代さんの「詩の学校」(月一回 会場:應典院) で行っている詩作の方法です。
ペアになってインタビューします。にぎやかな時間です。
◆「哲学カフェプラス」で作った詩から
「深みを増す」 あつみさんの話を聞いて 広瀬崇光
問いという言葉には、どこかしらの受けが感じられる。
しかしあなたが口にした場合、相手に対する興味、自分にない世界へでようとするような歩みを 感じる。
何もしない人
急な前進でつまづき、倒れた人
人生において私はそういう人たちを見てきたが、あなたはどちらとも違う。
あなたは進むだろう。
そして広がるだろう。
ゆっくりではあるけれど。
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「金属の動」 暑さ嫌いさんの話を聞いて タイシ
気怠い生活の中の、錆びた眼のその奥に
白く輝くカギがある
錆の下には白がある
金属疲労を起こし、割れそうになった瞼の奥
かぎにワイヤーをかけたなら
白いまぶたになるだろうか
私は布団を被って眠る
まぶたを閉じて その夜に
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「古本屋の妻」 タイシさんの話を聞いて 暑さ嫌い
満足していない家庭と対峙した
住んでいて楽しいとかじゃなく
平坦で変わり種のない家庭
水面下にあるのは不満
時には家庭の犠牲にもなる
ただ不機嫌の受け入れ方が
家庭のカタチとして現れる
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「このまま生きていくのか?」 紙本さんの話を聞いて 野尻茂樹
のぼる日を見て起き、落ちる日をながめて明日を想う。今日と明日は違うのに、あなたは何も変
えようとしない。
与えられている何かはあなたを満たし、かけている何かはいらだたせる。
生と死はいつも目の前をよぎる
何故、気づかなかったのか。何故、自分は考えなかったのか。
考えたつもりの一瞬は土の中に埋まって息をひそめている
あなたを見つめる生死は、あなたを問いつづけているのだ。
「生きているのか?」
問いつづけている声が、聞こえるか?
◆p-Tripは、終わりました。
街歩きは暑かったし、段取りがうまくいかない処も多々ありました。反省すべき点も多くありますが、皆様のおかげで楽しい時間を過ごさせていただきました。
こんな哲学カフェもあるのだな、と思っていいただけたら幸いです。
この後、カフェフィロ主催「対話劇を作るワークショップ」を行いました。引き続きご参加いただいた8名の方、ありがとうございました。
新たな出会いに感謝して、思うところへ進んでいこう。
2016(H28)年8月23日 赤井 郁夫
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