2013年10月31日
報告:“アート”の目的とはなにか
Happy Halloween! ハロウィン生まれのまつかわです。
みなさま、いたずらorお菓子の準備はできましたか?
さて、さする庵にて2ヶ月に一度開催している「哲学教室」の報告です。
10月29日に第5回を開催しました。
テーマは、芸術の秋にちなんで、「“アート”の目的とはなにか」(『中学生からの対話する哲学教室』第3章)。
今までで一番、語り足りない哲学教室だったかもしれません。
語り足りないと言っても、うまく話せなかったというより、予想を はるかに超えて、もっと話せる、もっと考えられる、もっと展開で きるんだという手応え。
アートや芸術について語る機会が、これまで圧倒的に不足してたん じゃないかしらと思うくらい。
一見、日常生活に直接は関わらないテーマでありながら、(だから こそ?)一人一人の思考の芯に触れられた気がします。
前半は、いつもどおり章冒頭の対話を読みます。
拾ってきた流木を磨いてテーブルの上にセッティングしたものに「荒れ狂う魂」とタイトルをつけ、アートだと主張する徹。
それに対して、タイトルをきかないと何をしようとしたのかさっぱりわからない、自分なら発砲スチロールでつくった頭をつけて黒猫にするねという兄の竜介。
受講者のみなさんに「徹の流木はアートだと思いますか?」と尋ねると、うまいぐあいに、ほぼ同数で意見が分かれました。それぞれに理由をきいてゆきます。
アートだと思う人の意見は・・・
アートではないいう人の意見は・・・
こうしてきいていくと、「アートとはなにか」について様々な判断基準があることがわかります。この人とこの人の意見はどんなに説得しようとしても相容れないだろうな、というような立場の違いも浮かびあがり、ドキドキしました。
人が「これはアートで、これはアートではない」と判断するときの指標は、直観的なもので、説明によって共感を得られるという種類のものではないのかもしれません。
しかし、そんななか、たった2時間の哲学教室のなかで、自分のなかのアートの定義を劇的に転回してみせた方がいました。
最初に主張された「万人がみてアートと納得するものがアートだ」という定義から、「本当に万人がアートと認めるような作品はあるのか」「作品の値段とアートとしての価値は比例するのか」といったいくつもの問いとの格闘をとおして、最後に「これはアートだとかアートじゃないとかいうふうに、問題作として話題になるような作品はアートといっていいのではないか」という定義に辿りつく過程で、最初の定義に含まれつつ見えていなかった「みんなが無視できないもの」「アートのもつ社会性」といったポイントが鮮明に浮かびあがってきたことに感動しました。
哲学教室では、哲学者の思想を学ぶだけでなく、参加者ひとりひとりが哲学者になることを目標としています。
途中何度も言葉を選び直し、自分の発言の矛盾を自ら指摘し、思考の推敲を重ねてゆく彼の態度は、間違いなく哲学者といってよいでしょう。
他の方も、自分の言葉で自分の考えを語りながら、「もっと語れそう」「もっと考えられそう」という手応えを感じられたのではないでしょうか。
後半は、アリストテレスやニーチェの芸術論を、彼らの芸術論以外の思想との関連も補足しつつご紹介しましたが、テキストにはない方向からのつっこみも展開されました。
さて、次回の哲学教室は、12月17日の予定です。
人権週間が近いということで、「“差別”とはなにか」(『中学生からの対話する哲学教室』第9章)を取りあげます。
詳細は、後日、さする庵のHPやカフェフィロのHP、メールマガジンでお知らせいたします。
みなさま、いたずらorお菓子の準備はできましたか?
さて、さする庵にて2ヶ月に一度開催している「哲学教室」の報告です。
10月29日に第5回を開催しました。
テーマは、芸術の秋にちなんで、「“アート”の目的とはなにか」(『中学生からの対話する哲学教室』第3章)。
今までで一番、語り足りない哲学教室だったかもしれません。
語り足りないと言っても、うまく話せなかったというより、予想を
アートや芸術について語る機会が、これまで圧倒的に不足してたん
一見、日常生活に直接は関わらないテーマでありながら、(だから
前半は、いつもどおり章冒頭の対話を読みます。
拾ってきた流木を磨いてテーブルの上にセッティングしたものに「荒れ狂う魂」とタイトルをつけ、アートだと主張する徹。
それに対して、タイトルをきかないと何をしようとしたのかさっぱりわからない、自分なら発砲スチロールでつくった頭をつけて黒猫にするねという兄の竜介。
受講者のみなさんに「徹の流木はアートだと思いますか?」と尋ねると、うまいぐあいに、ほぼ同数で意見が分かれました。それぞれに理由をきいてゆきます。
アートだと思う人の意見は・・・
- 数ある流木から、わざわざ、その流木をピックアップしてるから
- 本人がアートだと思えばアート
- 芸術とは、特徴(真実)を浮かび上がらせるもの
- みる人が「面白いね」と言ったらアート
- アートとは、思考の枠組みを変えるもの
- 「見てみたい」と思わせるから
アートではないいう人の意見は・・・
- アートとは、万人がみてアートと納得するもの(例:モナリザ)
- アートとは、自然ではなく人工的なもの、手をかけられたもの
- アートとは、心が動くもの
こうしてきいていくと、「アートとはなにか」について様々な判断基準があることがわかります。この人とこの人の意見はどんなに説得しようとしても相容れないだろうな、というような立場の違いも浮かびあがり、ドキドキしました。
人が「これはアートで、これはアートではない」と判断するときの指標は、直観的なもので、説明によって共感を得られるという種類のものではないのかもしれません。
しかし、そんななか、たった2時間の哲学教室のなかで、自分のなかのアートの定義を劇的に転回してみせた方がいました。
最初に主張された「万人がみてアートと納得するものがアートだ」という定義から、「本当に万人がアートと認めるような作品はあるのか」「作品の値段とアートとしての価値は比例するのか」といったいくつもの問いとの格闘をとおして、最後に「これはアートだとかアートじゃないとかいうふうに、問題作として話題になるような作品はアートといっていいのではないか」という定義に辿りつく過程で、最初の定義に含まれつつ見えていなかった「みんなが無視できないもの」「アートのもつ社会性」といったポイントが鮮明に浮かびあがってきたことに感動しました。
哲学教室では、哲学者の思想を学ぶだけでなく、参加者ひとりひとりが哲学者になることを目標としています。
途中何度も言葉を選び直し、自分の発言の矛盾を自ら指摘し、思考の推敲を重ねてゆく彼の態度は、間違いなく哲学者といってよいでしょう。
他の方も、自分の言葉で自分の考えを語りながら、「もっと語れそう」「もっと考えられそう」という手応えを感じられたのではないでしょうか。
後半は、アリストテレスやニーチェの芸術論を、彼らの芸術論以外の思想との関連も補足しつつご紹介しましたが、テキストにはない方向からのつっこみも展開されました。
予想以上の盛り上がりになかなか話を区切るのが難しく、少し時間をオーバーしてしましました。ごめんなさい。
さて、次回の哲学教室は、12月17日の予定です。
人権週間が近いということで、「“差別”とはなにか」(『中学生からの対話する哲学教室』第9章)を取りあげます。
詳細は、後日、さする庵のHPやカフェフィロのHP、メールマガジンでお知らせいたします。
NSDセミナー@東京
こんにちは、廣井です。
10月も今日で終わりですね。
遅くなりましたが10月5日と6日に東京で開催したNSD(ネオ・ソクラティック・ダイアログ)セミナーを
受講された方の声を一部ご紹介いたします。
「衝撃でした。これまでの対話の概念が崩れました。」 (50代男性)
「一人で学習するよりも、皆で学習する方が得られる学びが多いということを体験できたセミナーでした。」 (30代男性)
「凄い体験でした。ここまでとことん対話をしたのは、人生で初めての経験でした。」 (40代女性)
「全員で考えることを徹底することの難しさを実体験できたことは貴重。」 (40代男性)
いかがですか?
私も以前体験した際の2日間はひたすら考え疲労困憊しましたので、今回の参加者の皆さんの感想は大いに頷けます。
今回ご参加いただけなかった皆さんも、次回はぜひ!
10月も今日で終わりですね。
遅くなりましたが10月5日と6日に東京で開催したNSD(ネオ・ソクラティック・ダイアログ)セミナーを
受講された方の声を一部ご紹介いたします。
「衝撃でした。これまでの対話の概念が崩れました。」 (50代男性)
「一人で学習するよりも、皆で学習する方が得られる学びが多いということを体験できたセミナーでした。」 (30代男性)
「凄い体験でした。ここまでとことん対話をしたのは、人生で初めての経験でした。」 (40代女性)
「全員で考えることを徹底することの難しさを実体験できたことは貴重。」 (40代男性)
いかがですか?
私も以前体験した際の2日間はひたすら考え疲労困憊しましたので、今回の参加者の皆さんの感想は大いに頷けます。
今回ご参加いただけなかった皆さんも、次回はぜひ!
2013年10月29日
11/1 小金井哲学カフェ「化粧とは何か」
こんにちは、まつかわです。
賛助会員の佐土原さんより、小金井哲学カフェの開催情報が届きました。
日時:11/1(金)19:00-21:00
テーマ: 化粧とは何か
場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
主催:小金井哲学カフェ 進行:佐土原
賛助会員の佐土原さんより、小金井哲学カフェの開催情報が届きました。
*
日時:11/1(金)19:00-21:00
テーマ: 化粧とは何か
場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
主催:小金井哲学カフェ 進行:佐土原
*
参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。
2013年10月28日
哲学カフェ「譲れないこと」
こんにちは、まつかわです。
昨日は岡山大学まちなかキャンパス、城下ステーションにて哲学カフェを開催しました。
岡山で対話活動をはじめて1年になります。早いなぁ。
今回のテーマは「譲れないこと」。
10名ほどの方が参加されました。
いろんな「譲れないこと」「譲れないもの」がでてくるかなと思ったら、「これが譲れない」という具体的な話はそれほど出ず。
「譲れないことをどういうふうに伝えたらいいのだろう」、「譲れないことがあるっていいことだろうか」、「『譲れない』ということと、『嫌だ』と思うことは同じか」などなど、「譲れないこと」をめぐる様々な問題についていろんな意見がでました。
友だちや家族に誘われて初めて参加される方も何人かいて、途中で、「これって何のために話し合うの?結論は出すの?」といった哲学カフェに関する疑問が出たり、それに答えたながら、もう一度どの論点を話すべきか考えてみたり。
個人的に特に印象に残ったのは、「譲れないことを、言葉にしたくない」という意見です。
最初のうちは、「でも、これが譲れないということは言葉にしてもらわないと、どうしたらいいのかわからない」という方と同じ考えだったのですが、「わかりやすすぎるスローガンを掲げて活動する集団は、スローガンが一人歩きしてしまいそうでちょっと怖い」「言葉にすることでそぎ落とされてしまうこともあるのでは」といった声をきくうちに、それも一理あるなぁというふうに考えが変わってきました。(そういえば、「一理ある」という言い方は「譲る」とはちがうという意見もありましたね。)
とはいえ、たとえばカフェフィロのような非営利団体では、ミッションを言語化しないと何をして何をしないかの判断基準がぶれて支障がでてしまうし・・・。
自分なりに仮の答えは出せたものの、もうちょっと考えてみたい点です。
他には、「百歩譲って」という枕詞に関する議論や、岡山大学の先生(哲学カフェがお気に入りでほぼ毎回参加してくださってます)の「譲り合いを大切にするコミュニティは譲らない人を許さない」という研究のお話、そこから展開した「譲る関係性」と「譲らない関係性」のちがいに関する話も面白かったです。
本当にいろんな切り口がでて、あっというまの2時間でした。
次回、岡山の哲学カフェのテーマは「記念日」の予定です。
が、まだ日程が決まっていません。すみません。
決まり次第、カフェフィロのHPでお知らせします。
明日は、大阪で「対話する哲学教室」です。
テーマは、「“アート”の目的とはなにか」。
アリストテレスとニーチェの芸術論を紹介します。
直前ですが、まだ少し残席あるようです。
お申し込みがまだの方は会場のさする庵にお問い合わせください。
昨日は岡山大学まちなかキャンパス、城下ステーションにて哲学カフェを開催しました。
岡山で対話活動をはじめて1年になります。早いなぁ。
今回のテーマは「譲れないこと」。
10名ほどの方が参加されました。
いろんな「譲れないこと」「譲れないもの」がでてくるかなと思ったら、「これが譲れない」という具体的な話はそれほど出ず。
「譲れないことをどういうふうに伝えたらいいのだろう」、「譲れないことがあるっていいことだろうか」、「『譲れない』ということと、『嫌だ』と思うことは同じか」などなど、「譲れないこと」をめぐる様々な問題についていろんな意見がでました。
友だちや家族に誘われて初めて参加される方も何人かいて、途中で、「これって何のために話し合うの?結論は出すの?」といった哲学カフェに関する疑問が出たり、それに答えたながら、もう一度どの論点を話すべきか考えてみたり。
個人的に特に印象に残ったのは、「譲れないことを、言葉にしたくない」という意見です。
最初のうちは、「でも、これが譲れないということは言葉にしてもらわないと、どうしたらいいのかわからない」という方と同じ考えだったのですが、「わかりやすすぎるスローガンを掲げて活動する集団は、スローガンが一人歩きしてしまいそうでちょっと怖い」「言葉にすることでそぎ落とされてしまうこともあるのでは」といった声をきくうちに、それも一理あるなぁというふうに考えが変わってきました。(そういえば、「一理ある」という言い方は「譲る」とはちがうという意見もありましたね。)
とはいえ、たとえばカフェフィロのような非営利団体では、ミッションを言語化しないと何をして何をしないかの判断基準がぶれて支障がでてしまうし・・・。
自分なりに仮の答えは出せたものの、もうちょっと考えてみたい点です。
他には、「百歩譲って」という枕詞に関する議論や、岡山大学の先生(哲学カフェがお気に入りでほぼ毎回参加してくださってます)の「譲り合いを大切にするコミュニティは譲らない人を許さない」という研究のお話、そこから展開した「譲る関係性」と「譲らない関係性」のちがいに関する話も面白かったです。
本当にいろんな切り口がでて、あっというまの2時間でした。
次回、岡山の哲学カフェのテーマは「記念日」の予定です。
が、まだ日程が決まっていません。すみません。
決まり次第、カフェフィロのHPでお知らせします。
明日は、大阪で「対話する哲学教室」です。
テーマは、「“アート”の目的とはなにか」。
アリストテレスとニーチェの芸術論を紹介します。
直前ですが、まだ少し残席あるようです。
お申し込みがまだの方は会場のさする庵にお問い合わせください。
2013年10月27日
10月のテーマいろいろ
こんにちは、まつかわです。
ちょっと体調崩しており、いろいろご報告が滞っています。すみません。
テーマだけでも報告せねばと、起き上がってきました。
まず、10月5−6日に東京で行ったNSDセミナー。
問いは、「愛するとはどういうことか?」でした。
最初に提案された問いにはなかったのですが、様々な話し合いを経てこの問いに落ち着いたときは、
それから、10月8日に神戸市北区子育て支援センターで行った哲学カフェ。
進行は桂ノ口さんの予定でしたが、いろいろ相談して、私が進行させていただくことにしました。
テーマは、「楽しく生きるとは?」でした。
「楽しいことをするということと、楽しく生きることはちがうのでは?」という意見が印象的でした。
10月16日に中之島のアートエリアB1で開催した「みんなの哲学」のテーマは、「友達とは何か?」でした。
こちらは、「『本当の友達』だとか『真の友』、『親友』など、友達を区別しようとするのはなぜか?」という問いをめぐってなされた議論が印象に残っています。「友達ってもっとふわふわしたものなんじゃないか」という立場と、それに対して「友達と仲間をごっちゃにしているんじゃないか」という立場がありました。
どれもいろいろ考えさせられるテーマで、書きたいこともたくさんあるのですが、とても書ききれないし、今日の哲学カフェがはじまってしまうのでこのへんで。
いってきます!
ちょっと体調崩しており、いろいろご報告が滞っています。すみません。
テーマだけでも報告せねばと、起き上がってきました。
まず、10月5−6日に東京で行ったNSDセミナー。
問いは、「愛するとはどういうことか?」でした。
最初に提案された問いにはなかったのですが、様々な話し合いを経てこの問いに落ち着いたときは、
それから、10月8日に神戸市北区子育て支援センターで行った哲学カフェ。
進行は桂ノ口さんの予定でしたが、いろいろ相談して、私が進行させていただくことにしました。
テーマは、「楽しく生きるとは?」でした。
「楽しいことをするということと、楽しく生きることはちがうのでは?」という意見が印象的でした。
10月16日に中之島のアートエリアB1で開催した「みんなの哲学」のテーマは、「友達とは何か?」でした。
こちらは、「『本当の友達』だとか『真の友』、『親友』など、友達を区別しようとするのはなぜか?」という問いをめぐってなされた議論が印象に残っています。「友達ってもっとふわふわしたものなんじゃないか」という立場と、それに対して「友達と仲間をごっちゃにしているんじゃないか」という立場がありました。
どれもいろいろ考えさせられるテーマで、書きたいこともたくさんあるのですが、とても書ききれないし、今日の哲学カフェがはじまってしまうのでこのへんで。
いってきます!
ラベル:
カフェフィロセミナー,
グリグラ哲学カフェ,
中之島哲学コレージュ
2013年10月23日
文化の日の哲学カフェ
こんにちは、まつかわです。
賛助会員の赤井さんより、むこのそう哲学カフェ次回開催のお知らせが届きました。
英語で話すeカフェのお知らせもありますよ。
同じく11月3日、倉敷市児島でも哲学カフェがあります。
デニムで有名な児島地区で催されているデニムとアートの祭典、児島ブルー・アートフェスティバル。
その一環として哲学カフェを開いほしいとご依頼をいただき、「人はなぜおしゃれをするのか?」というテーマで進行をやらせていただくことにしました。
会場では他にも様々な催しや、びっくりするような価格で良質のデニムやジーンズの販売があります。
お近くの方、デニムやアートに関心のあるかたは、ぜひこちらもチェックしてください。
みなさま、それぞれ充実した文化の日になりますように。
賛助会員の赤井さんより、むこのそう哲学カフェ次回開催のお知らせが届きました。
英語で話すeカフェのお知らせもありますよ。
同じく11月3日、倉敷市児島でも哲学カフェがあります。
デニムで有名な児島地区で催されているデニムとアートの祭典、児島ブルー・アートフェスティバル。
その一環として哲学カフェを開いほしいとご依頼をいただき、「人はなぜおしゃれをするのか?」というテーマで進行をやらせていただくことにしました。
会場では他にも様々な催しや、びっくりするような価格で良質のデニムやジーンズの販売があります。
お近くの方、デニムやアートに関心のあるかたは、ぜひこちらもチェックしてください。
みなさま、それぞれ充実した文化の日になりますように。
2013年10月14日
10/27 小金井哲学カフェ「しりとりについて」
こんにちは、まつかわです。
先週末は東京でNSDセミナー、火曜日は桂ノ口さんに代わって急遽グリーングラスの哲学カフェの進行をしてきました。
どちらも人生考えさせられるテーマだったので頭の整理が追いつかず・・・。
報告は少々お待ちください。
今日は小金井哲学カフェの開催情報が届いたので、お知らせします。
日時:10/27(日)18:00-20:00
テーマ:「しりとりについて」
しりとり、みなさんご存知ですよね。りんご→ゴリラ→ラッパ・・・、というように言葉を繋げる遊びです。
今回は、しりとりについて話し合いたいと思います。
場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
主催:小金井哲学カフェ 進行:花野
先週末は東京でNSDセミナー、火曜日は桂ノ口さんに代わって急遽グリーングラスの哲学カフェの進行をしてきました。
どちらも人生考えさせられるテーマだったので頭の整理が追いつかず・・・。
報告は少々お待ちください。
今日は小金井哲学カフェの開催情報が届いたので、お知らせします。
*
日時:10/27(日)18:00-20:00
テーマ:「しりとりについて」
しりとり、みなさんご存知ですよね。りんご→ゴリラ→ラッパ・・・、というように言葉を繋げる遊びです。
今回は、しりとりについて話し合いたいと思います。
場所:カフェ broom & bloom(東京都小金井市前原町3-40-20-106)
料金:無料(カフェで飲み物などのオーダーをお願いします)
主催:小金井哲学カフェ 進行:花野
*
そうそう、東京セミナーに小金井哲学カフェのもうひとりの進行役、佐土原さんが参加されていて、休憩時間に前回の哲学カフェ「子宮で考えるとは?」はどうだった?というお話をきかせてくださいました。
私が想像していたのと全然ちがった内容&展開で、「なるほど、そういう展開の仕方もあるのか!」と考えさせられました。
今回のテーマも、私が全く思いもよらない展開になるんだろうなぁ。
参加をご希望の方は、小金井哲学カフェのサイトよりお申し込みください。
2013年10月11日
シリーズ企画「経済を問い直す」を振り返って
三浦です。先月28日に「お金とは何か?」と題する哲学カフェを(再び)行ないました。全6回にわたって私と共に進行をして(そしてここに報告文を随時寄せて)くださっていた安田さんが、半年を振り返っての感想を記してくれましたので、代理で投稿します。
名古屋で、「経済を問い直す」というテーマで4月から続けられてきたシリーズも、先の9月28日を持って最終回となりました。最初のテーマ提案者としての縁からこのシリーズ企画に終始携わらせてもらいました、安田です。
シリーズが最終回を迎えた、ということで、今回はこのシリーズ企画自体を振り返っての報告をさせて頂きたいと思います。全6回の内訳は以下のようなものでした。
4月 第1回:哲学カフェ「お金とは何か?」
5月 第2回:書評カフェ「評価と贈与の経済学」岡田斗司夫+内田樹著
6月 第3回:書評カフェ「文明の経済史」カール・ポランニー著
7月 第4回:哲学カフェ「市場とは何か?」
8月 第5回:哲学カフェ「会計/複式簿記とは?」
9月 第6回:哲学カフェ「お金とは何か?」
全回のテーマがはじめから決まっていたわけではなく、決まっていたのは初回のテーマと6回くらいのシリーズにしようということだけでした。ただ、第1回をやる頃にはもう、最終回は初回と同じテーマにしようということは決まってました。2~5回の議論がこの同じテーマについて考えるためのいろんな角度からの補助線引きになる(といいな)、というデザインです。願わくば、最終回で初回の自分と比べたときに「視野が広がった」と思える人が、継続参加した人たち(企画者や進行役含め)のうちに誰かひとりでもいるといい、という企画意図でした。
この企画の発端は、当時一参加者だった私の(単発の哲学カフェのための)「お金とは何か」というテーマ提案でした。その提案について三浦さんとメールで相談するうちに話が広がって、このようなシリーズ企画になりました。以前にカフェフィロで行われた全国統一企画「お金を問う」(哲学喫茶2号をご参照ください)や、当時から賛否を巻き起こしていたアベノミクスやTPPのような時事トピックとのつながりもあり、三浦さんには、始めたばかりの名古屋での哲学カフェのための「補助輪付き助走企画」的な意味合いもあってこうしたシリーズ企画を考えられたかと思います。
さて、初回から最終回まで参加してくれた方は実は一人いました。第5回のみ出られなかった方もいたので、その方合わせて二人、ほぼ全部の回に出てくれたわけです。このお二人が、最終回でのトークにおいて企画意図のような「視野の広がり」を体験されたかどうかは、、、残念ながらまだお聞きできていません。実は最終回だった第6回には、哲学カフェ初参加の方が偶然三人も集まり、初回参加以来の方一人と合わせて四人、と多数派になったため、継続参加組二人(と進行役二人)は、これまでの回での議論を踏まえたような発言はほぼできなかったのです。
考えて見ればこれは十分考えられることで、やはり、哲学カフェにおいては「継続参加を前提にデザインされたシリーズ企画」は成立しない、と気づかされました。もう少し正確にいうと、継続参加をつうじての「視野の広がり」は、仮にあってもそれを継続参加者同士で確認しあったり共有しあう機会はないかもしれないし、まして次回以降のカフェでそれを踏まえた上で発言することは許されない。たとえシリーズ企画であっても毎回、振り出しにもどって始めなくてはいけない。それを覚悟の上でしか、シリーズ企画は成立しない、ということです。
ただ、それを覚悟の上でなら、このようなシリーズ企画の哲学カフェにも、それなりの意味があるのではないか、とも思います。(このような、というのは、初回と最終回が同一テーマで途中は補助線テーマの回になっているシリーズ企画です。)もともとどんな人が集まってくるのかまったく分からないのが哲学カフェの醍醐味なら、参加者の間にいろんな「壁」があればあるほど、そして、そのような「壁」があることを参加者自身が意識しながらトーク参加できるほど、もしかすると逆にそれは成長の契機の豊富な「いい哲学カフェの場」なのかもしれません。哲学カフェが、形としては「言葉を介して問いの答を探そうとする場」でありながらも、単なる「正解探し」の場でも参加者各自の個人としての成長の場でもないとすれば。そうだとすれば、最終回において、継続参加組と初参加組の間にある種の「非対称な壁」(継続参加組には見えて初参加組には見えない壁)が生まれる可能性の高いこのようなシリーズ企画も、哲学カフェの一つのやり方として、多少作為的とはいえ、「あり」なのではないでしょうか。
なにかひどく自己弁護じみた報告になりましたが、、、。皆さんはどう思われますでしょうか。
なお、カフェティグレでの哲学カフェは、10月はお休みして11月から再開する予定です。
2013年10月01日
「家」ってなんだろう? 女性のためのてつがくカフェ@光明寺
こんにちは、廣井です。
9月17日に女性のためのてつがくカフェ@光明寺vol.3を開催しました。
今回は鎌倉哲学カフェの堀田利恵子さんを進行役にお招きして「家」について考えました。
家に求める条件を考えていく中で話題に出たのがシェアハウスやネットカフェ、キャンピングカーなどです。20代、30代の人たちに人気のシェアハウスに40代の女性たちは興味津々でしたが、やはり家は日々の暮らし方(=働き方)によって決まってくるということでした。
どのような家に住むか、と考える中で私たちが意識的であるないにかかわらず判断材料としているのは、①人との距離感、②自然との距離感、③資本主義との距離感 ではないかということでした。これらのものたちとどういった距離感を持つかによって住む場所や家の作りやあり方が変わってくるらしいのです。
参加者の関心は徐々に家自体から家に住む人へと移っていきました。家族や血縁といった所与の関係ではなく自らが選んだ関係がときには家族同様になり得るように、食事を共にするなど時間の共有が家族の条件として重要といった意見が多く出されました。家を考えることは住む人を考えることなのかもしれない、とこの時点ではほとんどの人が考えていたはずです。
ところが終盤になって、建て替えによって新築した家にいまだ馴染めないという話が出てきました。家族も場所も変わらないのに建物が変わると自分の家ではなくなったように感じるという。。
「家」について振り出しに戻ったように思った瞬間です。
あらためて「家」って何だろうという疑問を突き付けられたまま終了した今回の哲学対話でした。
さて、次回は10月22日(火)でカフェフィロではお馴染みの井尻貴子さんが進行役です。
テーマは当日参加者の皆さんと決めて哲学対話を始めたいと思います。
ご参加ご希望の方は以下までご連絡くださいね。
hiroizum@cafephilo.jp
秋真っ盛りの光明寺さんのオープンテラスでお待ちしています!
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