'13-14-8 東海道歩き(亀山〜鈴鹿峠登山口まで往復)
『嬉しいご案内』
或る会社のHPに私のこのブログをリンクさせて頂けることになりました
会社のHPと言っても、その中にある1つのカテゴリーなのですが、そこに書かれているのが 『元気の出るブログ・愉快満載の百科店」 となっていて、内容は「いつだって街歩き」「パソコンよろずマニュアル」「満点デジカメライフ」「錦町世情研究所」などがあって、ここの私のブログを転載させて頂けることになったのです
その名は 『サンキyou広場 』
どうぞ この広場にもお越し下さいますようお願い致します
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東海道五十三次 「亀山」の図
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'13/5/14
きょうの行程は、4時方向の亀山から10時方向の鈴鹿峠登山口まで行きますが、途中にある「関宿」の町並みを歩くのも楽しみの一つです
左: 9:30 高台にある「旧東海道」に到着
右: 9:45 集合住宅でしょうか? 3階建ての家屋が珍しかったので パチリ
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9:55 旧街道を少し歩くと有ったのが「野村一里塚」
この樹からみて当時からの一里塚が残っているのかも知れません
調べてみると・・・三重県には旧東海道に沿って、12ヶ所に一里塚が設置されていましたが、現存するのはこの野村一里塚のみとなっています。
また、もともとは道の両側にありましたが、現在は北側だけが残っている状態で、昭和9年1月に国の指定文化財となりました。
塚の上には、歴史を見守り続けてきた樹齢400年の椋の巨木がそびえ立っています
左: 10:35 桜並木が続いていて、木陰のサ-ビス付き ベンチでも置いてくれると有り難いのに
右: 10:40 鈴鹿峠の方向なのでは? と思ってパチリ
私は左にある鞍部が峠と直感しましたが・・・
左: 11:00 関宿の入り口に到着 これからどんな家並みがあるのでしょうか?
右: 11:00 「関の小萬のもたれ松」・・・江戸中期、久留米藩士牧藤左衛門の妻が、夫の仇を討つため旅を続けて関町の山田屋に止宿したさい、一女小萬を産んだ後病死した。
小萬は遺言にしたがい成人して亀山城下で武術を修行して、1783(天明3)年に、見事仇敵軍太夫を討ち果たした。
当時亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、姿をかくしもたれた と伝えられた松がこの場所にあったことから、「小萬のもたれ松」と呼ばれるようになった
《 関宿に入りましたから宿場通りを紹介したいのですが、写真の枚数が多いので頁を改めてアルバムとして載せることにします 》
左: 12:55 正面の山が「筆捨山」
室町時代、画家・狩野法眼元信が描こうとして描けず筆を捨てたことが山名の由来だそうです。
江戸時代には名勝として知られていて、そのためか北西にある東海道坂下宿の浮世絵には、広重を始めとして殆ど筆捨山が描かれています
右:歌川広重の五十三次に鈴鹿峠はなく、この「坂之下の図」が有るだけで、筆捨山を描いたと言われているそうです
左: 13:20 驚かされた彫像
これを見た瞬間、本物かと思って そ〜っと覗き込んでしまいました(苦笑)
それとも本物の人間でしょうか? 顔を見るとそう思えてしまいます
右: 13:30 思い遣り 花々で飾り 椅子はひとつ
この椅子で休んでいると、この家のオバアチャンが「お茶をどうぞ」と言って、冷たいお茶を持ってきてくれました
思いがけないことでしたが、有り難くご馳走になりました。
冷たくて美味しかったのはもちろん、その心遣いに感動してしまいました
注・・・格子に額のような物がありますが、これらは「絵手紙」で、このように飾ってあるのです
左: 13:40 街道の風景
右: 13:50 あの鞍部が鈴鹿峠ではないか?
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左: 14:00 「鈴鹿馬子唄発祥の地 碑」http://youtu.be/5rK69NRCivE
「正調 鈴鹿馬子唄(youtube)」にリンクします
右: 馬子唄会館
このドームの前が広場になっているので、ここで馬子唄の実演があるのではないでしょうか?
この日は誰も居ませんでしたが
左: 14:40 私がこの道を見上げていると、偶然通りかかった人が
「これは旧東海道ではなく、東海自然遊歩道です。 これは可成りきついルートなので止めなさい それに上に行けば旧東海道と合流するのだから」
と教えてくれました
もしこの機会がなかったら、明日の私はこの薄暗い急な階段を登っていたかも知れません
旧東海道はもう少し先にあったので、安心してUターンし帰路に付きました
右: 16:40 水浴びしてる子ども達のスナップ
昨日の投稿で、鈴鹿峠近くの宿が取れなかった とお話しましたが、そこで今日 5/14 は亀山の宿から登山口まで下見歩きをしてきました
それでも帰りは 関駅から亀山駅まで電車を利用してしまいましたが
そこで歩きながら感じたことを 2、3
1、亀山では東海道の道路が色付けされていて、迷わないような工夫がされていました
2、関の宿場通りは、昔ながらの細い格子戸が軒を連ね、更に 電柱や電線も無く 空がとても広く感じました
3、家々の格子には絵手紙が飾られていますが、葉書なので小さくて見にくい のが残念でした
4、更に鈴鹿峠に近付くと、そこは静寂の世界
家並みはありますが、人が居るのか居ないのか 時々軽トラが走るくらい
ここでまたまた お耳汚しの 徘徊師の発句を
30メートルの 木陰も嬉しい 沢の音
影と影が 重なって逃げる場所なし 昼暑し
昼下がり 人影もなし 旧街道
狂作
遺構など 度外視しての 街づくり
コンビニも 自販機も無き この世あり
今日の記録
歩行距離 25、0キロ 39352歩
【関宿のアルバムへ続きます】
2013年6月 4日 (火) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
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