'13-14-10 東海道歩き(水口〜草津まで)

『嬉しいご案内』
或る会社のHPに私のこのブログをリンクさせて頂けることになりました
会社のHPと言っても、その中にある1つのカテゴリーなのですが、そこに書かれているのが 『元気の出るブログ・愉快満載の百科店」 となっていて、内容は「いつだって街歩き」「パソコンよろずマニュアル」「満点デジカメライフ」「錦町世情研究所」などがあって、ここの私のブログを転載させて頂けることになったのです

その名は 『サンキyou広場

どうぞ この広場にもお越し下さいますようお願い致します

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Photo
歌川広重 東海道五十三次「水口」の図

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'13/5/16
きょうの行程は4時方向の水口をスタートし、9時方向の草津へ向かいます
ここで自己申告しますが、石部駅から手原駅まで電車を利用しました

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左・右: 9:30 9:40 田植えの済んだ傍にあった名もない石仏

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[画像:Dscn3470]左: 10:30 横田の渡し跡
この「渡し」の代表がこの「常夜燈(左側)」です。
この常夜燈は文政5年(1822年)地元の村々だけでなく京都・大阪の人々を含めた万人講で建設されたもので、総丈7メートルを超え、笠石2,3メートル四方、周囲17,3メートル玉垣に乗っている東海道随一の規模を誇っています。
往時は夜も通行が絶えず、対岸の渡し場がはっきり分かるように目印として建てられた そうです
平成10年に「旧東海道横田渡跡」は県史跡に指定されています

右: 10:40 白い藤の花がいい匂い
退屈な歩きなので、花の匂いも話題にします(笑)

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左: 12:05 石部宿休憩所
もちろん無料で利用出来ますが、売店などはありません 自販機はあったかなぁ?

右: 13:30 手原にあった町屋で、特に意味はありません

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左: 13:50 足利陣屋跡
解説によると・・・『長享元年(1487)、将軍足利義尚は、領地の横領を繰り返し幕府への反抗姿勢をとり続けていた六角高頼を討伐するため、近江に親征し鈎(マガリ)に陣を構えた(鈎の陣)。
これに対し高頼は、居城観音寺城を放棄し甲賀へと逃れた。
高頼は、甲賀山中でゲリラ戦を展開し、義尚軍は高頼勢を攻めきれず膠着状態となった。
義尚はそのまま鈎に長期間とどまることになり、鈎陣所はさながら仮の御所として一時機能することになった。
京より公家などが訪れ、陣中で歌会なども催されたが、同時に義尚は酒色に耽るようになった。
そして、鈎着陣からおよそ1年半後の長享三年(1489)三月に、義尚は鈎陣中で25歳の若さで病没した』 だそうです

右: 15:55 草津追分
西に向かってきた東海道は、草津で南北に走る道にぶつかります
ここが草津追分で、南北に走る通りが「中山道」です

きょうの感想

持ち歩いてるルート図にも観光スポットがありません
ちょうど疲れもあることだし、こうなると得意の 手抜き です
後ろめたい気持ちはありましたが、ひと駅だけよ で、電車のお世話になりました
それにしても周囲の風景に変化がありません

そうこうしてる内に 草津 に到着です
この草津は、数年前に中仙道を京都から下諏訪まで 歩いた時に通過した場所です
その時に珈琲ブレイクした店が残ってれば と思いながら行ってみるとそのまま
何しろ百円珈琲ですよ 今でも百円でした

途中で手抜きをしたので宿に早く着き、こうなるとヒトカラ、失敗だったのが身分証を忘れたことで 遂に諦めました

今日の記録 19、8キロ 31392歩


明日の予定は 草津から大津まで で、歩行距離も短いので、大津では身分証は忘れないようにしよう(笑)

大津の次はゴールの京都三条大橋で、完歩の見通しはついたようです
少し手抜きをしましたが(苦笑)
【以上で10日目は終わりです】

2013年6月 4日 (火) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
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