'12-54 東海道一人歩き その10
今回は「静岡から藤枝まで」について投稿します
きょうの行程は 丸子宿を通り、宇津ノ谷峠を越え、岡部宿を経由して藤枝までです
'12/11/7 (水) 快晴
Photo静岡の宿から駿府城を見ながら南下すると安倍川
更に南下すると丸子宿に入り
西方向に向きを変えてとろろ汁の丁子屋を経由し
宇津ノ谷峠に向かいます
左:駿府城 堀 8:26
朝の駿府城を右に見て歩き始めました
右:安倍川義夫(ギフ)の碑 9:06
安倍川義夫の碑
説明によると・・・『まだ安部川に橋がなく、川を渡るには人夫を雇うのが一般的であった1738年(天文3年)、
江戸へ出稼ぎに出ていた漁夫が紀州(現和歌山県)へ戻る途中、自力で安部川を渡った際に仲間と稼いだ150両もの大金を落としてしまった。 たまたま居合わせた人夫が財布を拾い、漁夫を追いかけ、財布を届けた。
このお礼を漁夫が人夫に渡そうとしても頑なに受け取らない。 困った漁夫が奉行所から渡してもらうよう取り計らっても受けとらない。
とうとう奉行所は漁夫にお礼を戻し、人夫に報奨金を渡した。
昭和4年、和歌山県と静岡県の学童や有志によって、この美談の碑が建てられた』 とのこと
左:1軒目の店 9:06
安倍川橋の袂に安倍川餅の店が3軒並んでいました
最初の店の親父さんは何となく無愛想な感じだったので敬遠
それに思っていたよりも高価なのに驚きました
右:あんころ餅(おはぎ) 9:15
2軒目の親父さんは何となく愛想が良さそうだったので、この店で昼飯用のぼた餅を4ヶ(餡を2ヶ・黄粉を2ヶ 計400円)頼みました
この写真は、そのぼた餅を作っている写真を撮らせてもらいました
親父さんの話
「以前は安倍川餅の店が5軒あったが、今では2軒が店を畳んでしまった」そうです
確かにここを通るのは車だけですから、駐車場がないのは致命的かも知れません
左:安倍川橋 9:21
歩道がないように見えますが、道路の両側に付いてますからご安心下さい
右:安倍川の河原 9:26
どの川も小石の河原が広く、川はその石を避けながら流れています
左:丸子宿場通り 9:58
ただの大通りですが、松がアクセントになっていて好い雰囲気です
右:丸子宿場通り 10:24
その大通りも20分も歩くとこの様な狭い道になりますが、前方の木が気に入ったので パチリ
左(10:32)・右(10:35)
街道筋にはこの様な石柱や案内板があって、観光に力を入れてる様子が窺えます
しかし、前にも書きましたが、明治天皇は色々な場所に行っているようですね
田植えをしたとか・水をここで飲んだ 等々 特に「ここで休んだ」は日本国中に有るのではないでしょうか
(そういえば芦ノ湖から三島に下る途中にも石碑がありました それも今では竹藪の奥にポツンと鎮座されてました)
左:十返舎一九の碑 10:42
右に「十返舎一九 東海道中膝栗毛の碑」
けんくわする 夫婦は口をとがらして
鳶とろろに すべりこそすれ
十返舎一九没後150年を記念しての建立したそうです
右:とろろ汁の丁子屋 10:45
旧道(と言っても舗装道路ですが)を歩いていたら、突然目の前に建っていたのでビックリ
名物ですから食べなくては と思い店の前に行ったら オープンは11時半から
ここで1時間以上のロスは後の行程に響きそうなので 涙をのんでパス
とろろ汁の老舗で、1596年(慶長元年)創業だそうです
新・旧の丁子屋を並べてみました
左:長閑な旧道 11:08
右:丸子紅茶 11;18
『江戸時代、日本には紅茶はありませんでしたが、明治維新を経て、紅茶も国産化することになりました。
多田元吉は、長州征伐や五稜郭の戦いにも参加した幕臣でしたが、最後の将軍徳川慶喜とともに静岡の地に配流されていました。
その後、慶喜から拝領した丸子の地で大成功したお茶作りの腕を買われ、維新政府に招かれました。明治政府に紅茶作りを任された元吉は、日本人としてはじめてインド・アッサムの地に入り、アッサム茶の原木の種を日本に持ちかえったのでした。
その種をもとに、日本産の紅茶の普及に努め、紅茶は日本の輸出品となり大成功を収めました』・・・これは丸子紅茶HPから抜粋しました
左:宇津ノ谷峠 道の駅 12:03
道の駅と言っても大きな施設ではないのですが、スピーカーから流れる音楽が喧しく、落ち着きません(この日だけだったかも知れませんが)
右:国道はトンネルで 12:25
『岡部バイパス整備に合わせて平成宇津ノ谷トンネルの建設が1990年(平成2年)に開始され、1998年(平成10年)に開通した。
この開通に合わせて昭和第二トンネルは上り線専用に改修され、国道1号は片側2車線となった』のだそうです
Photo道の駅を過ぎるといよいよ宇津ノ谷集落を通り抜け
明治のトンネルを覗き
宇津ノ谷峠を越え
岡部宿を歩き
今日の終着予定の藤枝を目指します
左:宇津ノ谷集落の街道 12:33
宇津ノ谷集落の説明によると・・・
『旧東海道の丸子宿と岡部宿の間に位置し、街道を往来する旅人たちが休憩した静かな山あいにある40戸ほどの集落です。
ここでは、街道の面影を残す懐かしい雰囲気を感じることができます。
当地区では、地元住民などによる協議会をつくり、歴史や街道の面影を継承していく活動をしています。
また、静岡市では、この地区を都市景観条例で「美しいまちづくり推進地区」に指定し、街道の面影を残すまちなみの保存に取り組んでいます。
そして、この活動が評価され、国土交通省による平成17年度都市景観大賞「美しいまちなみ賞」の美しいまちなみ優秀賞を受賞しました』
というだけあって、整備されているのがよく解ります
例えば、集落内の路 ほぼまっ平らな見事な石畳です(整備され過ぎのきらいがあります 笑)
家々にはそれぞれ屋号が大きく書かれていました
道を尋ねると丁寧に教えてくれ、「気を付けて」 の一言がありました 等々
右:名物の団子屋 12:34
団子の伝説・・・『昔々、宇津ノ谷峠には旅人を食べてしまう鬼が出没していました。
諸人の難を救おうと「在原業平」は祈願。
すると宇津ノ谷峠にあった延命地蔵堂の地蔵菩薩が、鬼退治を引き受けてくれました。
地蔵菩薩は旅僧の姿で鬼と対峙。
宇津ノ谷峠の鬼は、まず人間の姿で現れました。
その様子を見た旅僧が「本体を現せ」と鬼に言うと、身長6mの鬼の姿に変身。
すると旅僧は「お前の力はたいしたものだ。今度は小さくなって、わしの手のひらに乗ってみよ」と言います。
褒められた鬼は気をよくし、「よし」と答えて小さな玉に姿を変えて旅僧の手のひらに飛び乗りました。
それを見た旅僧はすぐに持っていた杖でその玉を粉砕。
旅僧は「おまえはこれで仏になった。これから旅人を苦しめてはならぬぞ」
と悟し、砕かれて十粒になった鬼を飲み込んで退治しました。
鬼の災いもなくなった宇津ノ谷峠では、道中守護のために、
お団子を数珠の形にして「十団子」を作り、魔除けとしていたそうです』
左:旧街道 12:17
立派すぎる石畳で、箱根もこのくらい整備されると歩けたと思うのに(笑)
右:これを上から見ると 12:37
この石畳階段の上から集落を見るとこんな案配で、とても趣のある集落です
左:明治のトンネル 12:42
『明治に入り、文明開化により東海道の交通量が増大したため、当時安倍郡弥勒村の村長であった宮崎総五が地元の有力者にトンネルの掘削を働きかけた。
それを受けて杉山喜平次らが結社を作り、1874年(明治7年)に掘削を開始、1876年(明治9年)に日本初の有料トンネルとして開通した。
その後、1896年(明治29年)火災により焼失するが、1904年(明治37年)修復・改修され再開通した』 と説明されてます
トンネル内は歩けますが、道はどこへ続いているのかが判りませんから覗いただけでした
右:峠の登り口 12:47
ここからいよいよ「宇津ノ谷峠」への登りが始まりますが、道は矢印に従って左に入ると、緩やかに登りながら樹林の間についています (石畳でなくて良かったなぁ 笑)
左:峠道 12:51
ヤット山道らしいところを歩けました 東海道の旧道と言っても殆どが舗装されていましたから、この様な石畳ではない山道は嬉しいものです
右:宇津ン谷集落を俯瞰 12:52
少し登ると展望台のような所があり、宇津ノ谷集落を俯瞰することが出来ますが、このような風景が広がり味わいのある宿場が山あいに広がっていました
ここで買ってきた安倍川ぼた餅の昼食 そしてノンビリとした一服タイム
こんな時、いつの間にか口ずさんでいたのが
♪ あぁ人は昔々 鳥だったのかも知れないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい
でした
左:峠 13:14
登り一方だった峠道も、ここからは下りに変わります
が、峠にはそれを示す案内も無ければ、道標も立っておらず 至ってシンプル
右:山道の終わり 13:16
正面の石垣の上が山道で、土の道もここから舗装道路に変わります
そして国道を歩道橋で渡り、岡部宿に入ってゆきます
左:專称寺 14:10
お灸の寺として有名のようですが、私にはお灸はまだ早すぎる?
説明によると・・・
『一ト火灸(ヒトヒキュウ)」と呼ばれる独特の灸治療で名高い。
江戸時代の学僧、随院上人が浄土宗布教の傍ら、キリシタンの仏教への改宗のために諸国を行脚した際に専称寺に立ち寄り、当時の住職に灸治療を伝授したといわれている。
「一ト火灸」とは、小さな灸を何箇所にもすえるのではなく、背中のツボ一箇所だけに大きな灸をすえるというもの。
かっては病人のほか、参勤交代の大名や侍にも評判となり辺りに「岡部の一ト火灸」として知れ渡ったといわれる』
右:大旅籠 柏屋 14:12
(カシバヤ と読むようです)
前を通ると番頭さん?らしい人が、「どうぞお休みください」 と声を掛けてくれました
「いま舞台造りをしているのでゴタゴタしてますが、裏に売店もありますからどうぞごゆっくり」
客は私一人、これで商売になっているのかなぁ と余計な心配
ここで床几に腰を下ろし 一休み。
そう云えばこのように「椅子に腰掛けて休む」 ということはあまりなく、甘酒茶屋でも丸太を立てた椅子でした
『1998年に国の登録有形文化財に認定された岡部宿を代表する旅籠。
現在は、建設当時の姿をそのまま再現したような歴史資料館と、それに付随する物産館や展示ギャラリーに姿を変えている
江戸時代に建てられた「大旅籠柏屋」は、建物そのものが資料館といえます。
店の間、台所、1、2階の客室などは、当時の旅籠の様子、人々の暮らしぶりが一目でわかる貴重な建物になっています。
また、1階の八畳通し間は、和風庭園をゆったりと眺めながらくつろげる休憩コ-ナ-に、2階の一部はパネルやモニタ-、ジオラマなどを展示した情報コ-ナ-になっています』
とありましたが、残念ですが中を見学する余裕はありませんでした
左:柏屋の内部 14:24
やはり東海道は弥次さん・喜多さんでしょう
このようなものでもニヤッとさせられ、疲れた体には良い気付け薬になります
右:舞台の準備 14:17
裏庭に行くと、この裏庭で芝居があるらしく、数人の人が舞台造りの真っ最中で忙しそう
なので、どのような演目なのか聞くのを忘れました
左・右:岡部宿の町屋 14:33 14:37
宿場通りの所々にはコのような町屋を見ることが出来ます
左:岡部宿 道標 15:15
大きな岩に「これより東海道 岡部宿」と彫られているので、京都方面から来るとここから「岡部宿 入口」となるのでしょう
右:広重の宇津ノ谷峠
スペースが1枚余ってしまったので、挿入位置が悪いのですがここに入れます
ここを過ぎると国道に合流したり旧街道を歩くことになりますが、あまり写真を撮ることもなく藤枝に向かいました
静岡スタート 8:10
藤枝 着 17:30頃
歩行距離 27,4キロ (42800歩)
ハプニング
藤枝の宿で小用をしたとき、血が混じっているのを知って 愕然
前立腺ガンに異状が出てきたのだろうか そうだとするとヤバイ
もう少し様子を見て、これからどうするかを考えることにしました
【これで「静岡から藤枝まで」を終わります】
2012年12月10日 (月) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
Tweet
「★ 「東海道」一人旅」カテゴリの記事
- '13-14-12 東海道歩き(大津〜京都三条大橋まで)(2013年06月04日)
- '13-14-11 東海道歩き(草津〜大津まで)(2013年06月04日)
- '13-14-10 東海道歩き(水口〜草津まで)(2013年06月04日)
- '13-14-9 東海道歩き(鈴鹿峠登山口〜水口まで)(2013年06月04日)
- '13-14-8 東海道歩き(関宿のアルバム)(2013年06月04日)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
最近のトラックバック
- style | 消費者詐欺被害センター (style | 消費者詐欺被害センター)
- ヘルシンキ トラム 乗り方 (乗り方)
携帯URL
携帯にURLを送る