'12-47 東海道一人歩き その3

'12/10/31 (水) 快晴

きょうの行程は「戸塚から平塚まで」で、例によって例のように写真ばかりを投稿します

Photo_3昨夜は1時方向の「戸塚」に泊まりました

ここからは旧道(と言っても2車線道路ですが)を南下して国道1号に合流します

合流した少し南に「お軽・勘平道行の碑」が有る程度で、国道沿いの長い退屈を我慢するだけです

が、国道の途中に小さなパン工房が有ったので、ここでコーヒーブレイク

それでも最近植えたのでしょうか、まだ育ちきれない松並木がせめてもの慰めです

更に南下すると「遊行寺」になります

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左:石仏群 8:55
旧街道が国道1号と合流する手間に有りましたが、どの様な由緒があるのか判りません。庚申塔のようなものが幾つか並んでいますが、馬頭観音も含まれいるのかも知れません

右:国道1号の松並木 9:17
旧道が1号線と合流すると広い道路になり、中央分離帯のは松などが植えられていました

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左:道行きの碑 9:22
「お軽 勘平 戸塚山中道行の場」と彫られています

「お軽勘平」とは「仮名手本忠臣蔵」の中にある話だそうです
『殿様の刃傷事件のきっかけを作ってしまったお軽は、恋人の早野勘平と実家のある「戸塚」に駆落ちをする途中、この地で疲れを癒やしていた。
勘平は、主君の切腹やお家取潰しという事件の最中に駆落ちする自分が情けなくなり、腹を切ってお詫びすると言い出した。
お軽は必死に、実家に行けば二人の生活ができるようにする とかき口説き、勘平も気を取り直して 生きていればお詫びが叶う日も来るだろう とお軽の実家に落ち延びて行った』


戸塚をPRするのであれば町の中に建てればいいと思うし、こんな場所では車はブンブン通るだけで 人はあまり通らないような場所だし・・・なんて言うのは野暮な屁理屈?

右:コーヒー・ブレイク 10:39
小さなパン工房なので心配しながら「ここでコーヒーは飲めますか?」
もっと小さなテラスで、ユッタリとした気持ちで飲む一杯のコーヒーは好いものです

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左:遊行寺山門(総門)
『遊行寺の正式名称は、「藤澤山無量光院清浄光寺」で、時宗の総本山。
遊行上人の寺ということで「遊行寺」と呼ばれている。
本堂は、関東大震災で崩壊したが、東海道随一といわれる木造建築で、藤沢は遊行寺の門前町として発展した。

総門(冠木門)からの石段は、四十八段と呼ばれ、いろは四十八文字からもじって「いろは坂」とも呼ばれている』

なお、藤沢は遊行寺の門前町として生まれ、「藤澤山」の山号が町の名前となり、やがて東海道の宿場町に発展し、今の藤沢市になったそうです

右:本堂

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左:お勤め
小坊主さん と言うには少し歳を取りすぎていますが、本堂を清掃していました。
私は神社・仏閣には時々お邪魔しますが、掃除をしているのを見たのは初めてでした

右:大銀杏と本堂
幹周:7.1m、樹高:16m、樹齢:300年〜700年.この大イチョウは雄株です。
かつては樹高が31mもあったが、 昭和57年(1982)の台風で上部が折損してしまい、繭玉のように横に広がった樹形となった。 藤沢市天然記念物

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板割浅太郎の墓
(お断り:この画像はお借りしたものです)
総門をくぐったすぐ左にある。 のだそうですが、事前調べをしなかったので、残念でしたが素通りしてしまいました

『浅太郎は国定忠治の子分で、赤城の子守唄でよく知られている。
赤城山で親分の忠治と別れた浅太郎は、長野県佐久の金台寺で仏門に入ったのちに遊行寺に入り、自分が殺した叔父親子の菩提を弔ったという。
その心が認められ、遊行寺にあった貞松院の住職となり、遊行寺が炎上したときは、勧進僧となって全国を巡って、遊行寺復興に尽力したといわれている』

ただの渡世人と思っていましたが、この話には驚きました

Photo_2遊行寺を過ぎると道は西に向きを変え

おしゃれ地蔵や不動堂(道標)を過ぎ、また国道1号と合流し

茅ヶ崎一里塚を過ぎると、今夜の宿「平塚」になります

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左:おしゃれ地蔵 13:00
藤沢市教育委の案内板によると
『女性の願い事なら何でもかなえて下さり、満願のあかつきには白粉(おしろい)を塗ってお礼をする。」と伝えられており、今でも、お顔から白粉が絶えることがないという。
そのような所から、誰からともなく「おしゃれ地蔵」と名づけられたとされる。
形態的には、「地蔵」ではなく、道祖神(双体道祖神)の表現が妥当であると考えられるが、土地の言い伝えを大切にしたい』

東京にもこのような化粧地蔵や白粉地蔵などありますが、どうも私にはキモくて馴染めません

右:不動尊(道標) 13:22 「四谷不動」とも言うそうです

右手に剣をかまえた不動明王が道しるべとして立っています
この顔は威厳に溢れていて圧倒されてしまいました

『お堂の前に「是よ里 右大山みち」と刻まれた石碑は、万治4年 (1661年)に江戸浅草蔵前の講中が建てたものです。当時は大山信仰を持っ た江戸の講の人たちがこのような道しるべを競って作ったようです』

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左・右:松並木 13:44 15:31
上の不動尊のところでまた1号線と合流しますが、合流してから松並木を見ることが多くなりました

東海道=松並木 というイメージがありますが、何故なのでしょう

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左:茅ヶ崎一里塚 16:34
昨日通った「品濃一里塚」のような貫禄?はありませんが、茅ヶ崎市の中心部の国道にこれだけしっかりとした一里塚を見ると、何となく嬉しくなってしまいます

右:十月さくら? 15:57
意味のない写真ですが、さくら だと思うのですが珍しかったので パチリ

このまま国道1号線を西に進むと相模川を渡り、今夜の宿「平塚」に入ります

戸塚スタート 8:30頃
平塚の宿着 17:00頃
歩行距離 23.3キロ(36200歩)

【これで「戸塚から平塚まで」を終わります】

2012年11月30日 (金) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
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