343,寄り道・手抜きの中山道 (奈良井から塩尻へ )
きょうの行程は「奈良井から塩尻まで」で、事前に調べた距離は、今回の街道歩きではこの区間が一番長くなっています。
このルート図に二つの小学校が出ていますが、これについては画像の中でお話ししします。
Photo_6今日も例のように「早朝散歩」です。
Dscn2699 奈良井を出ると直ぐにあるのがこの「楢川(ナラカワ)小学校」で、木造の素晴らしく見事な校舎です。
画像が前後しますが、この先には「贄川(ニエカワ)小学校」(下)があり、この校舎も美しい木造校舎です。そして今、この二つの学校は合併して「楢川小学校」になっています。
この贄川小学校校舎は、現在「信州リハビリテーション専門学校」として活用されています。
Dscn2727「贄川関所跡」説明によると・・・尾張藩の領地最後の宿場。
宿外には福島関の補助的な関所が置かれ、特に檜、杉などの木材の持ち出しを禁じた「白木改め」や「女改め」を厳しく行った となっています。
それにしても巧い具合に電車が来てくれました(笑)
Photo_10上の画像は関所陸橋?の上から撮ったのですが、この橋の「欄干模様」です。
Dscn2750「是より南 木曽路」の石碑。この時12時25分。
これで二度と来ることが出来ない「木曽路」ともお別れかと思うと なぜか感無量
Dscn2752この碑の裏面には全面は見えませんが
『歌ニ繪ニ其ノ名ヲ知ラレタル 木曽路ハコノ櫻沢ノ地ヨリ神坂ニ至ル南24里ナリ』
と彫られています。
Dscn2774歩く両側に迫っていた峰々もいつの間にか拡がり、行く先の視界が拡がってきているのに気が付きました。
「平出遺跡」・・・解説によると、日本三大遺跡に数えられる大きな遺跡。
縄文時代から平安時代にかけての大集落で、1950年(昭和25)から発掘調査が続けられていて、現在まで199軒の住居が発見され、土器・石器など約2万点の出土している とのことです。
Dscn2789 4時過ぎになってしまいましたが、塩尻駅近くから眺めた「穂高連峰」です。
【明日へ続く】
江戸時代尾張藩の北の番所となっており、木曾桧材をはじめ、漆器など藩の重要産物の他藩への持ち出しを厳重に取り締まる役目を果たしていた。
2009年11月28日 (土) ★ 中山道(5,木曽福島〜下諏訪 ) | 固定リンク
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