340,寄り道・手抜きの中山道 (日義から奈良井へ 1 )

11/4(水) 快晴

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きょうの行程は「日義」から「奈良井」までですが、奈良井の近くには難所といわれている「鳥居峠越え」が控えています。

今回この街道歩きを計画した時の裏話ですが、「木曽観光連盟」に資料送付依頼とこの峠越えについてメールしたところ、
「『馬籠峠越え』『鳥居峠越え』ともに京都方向からが容易と考える」
とのご返事を頂けたので敢えて京都スタートとした という経緯があるのです。(このアドバイスの結果については追ってここに書きます)

Dscn2479 朝、部屋の窓から外を見ると霜が降りていました。京都をスタートした時は汗まみれの毎日だったのに・・・

Photo_11 「原野・道の駅」には『中山道中間之地』が建っています。以前は旧中山道(下)の画像のような「掲示板」に所にあったようなのですが、道の駅が出来たので移設したのだそうです。

けれどもここがまだ中間地点、お江戸日本橋まではほど遠い。下諏訪までで上出来と思いましょう(苦笑)

Dscn2492 怖ろしい顔の石仏、何時の世も気に入らないことが多いのでしょう(苦笑)

Photo_12一方、 このような風景の中をたった一人で歩くというのは 何と贅沢なのでしょう。

Photo_13 ここは「巴淵」の少し手前にある「徳音寺」・・・仁安3年(1168)に義仲が病没した母小枝御前[さえだごぜん]を弔うために建立された一族の菩提寺。

左上が「鐘楼門」、説明によると・・・享保八年(1723)に建立されたものです。
弘化2年(1845)と、平成8年(1996)に修理はされているが、木曽における江戸時代中期の楼門建築を代表するものとして見事な姿をとどめています。

右上・・・境内には義仲の墓を中心に 右に小枝御前、左に巴御前の墓碑があります。(以上は日義村教育委の説明の抜粋です)

下は巴御前の彫像で、黒馬に跨って颯爽と と言いたいのですが、たまたま木陰になっていて馬だけが黒くなってしまいました。

Photo 「巴淵」・・・義仲の側室であり、ともに戦った女武者・巴御前はここに住む竜神の化身した姿だ とか、巴御前がここで髪を洗ったとかなど伝説として残っているとのこと。

ここも鉄道が直ぐ傍を走っていますから車窓から見えるかも知れません。

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巴淵の少し先にあるのが「山吹トンネル」、私はトンネルの中を歩くのが嫌いなので、トンネルが出来たため廃道になっているところを歩きました。

Photo_3 人里離れて見る紅葉もまた趣があります。

私は「落葉松」が好きで、芽生え時の淡いみどりや黄色くなった時が堪らなく良いもの と思っています。それと「白秋の落葉松」。

Photo_2 紅葉の見事さばかりではなくて、高い空もまた美しいものと知りました。

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国道の法面にに造られている「巨大壁画?」。この2枚の間には遠く「木曽御嶽山」があるのですが、これを撮るのを忘れてしまいました。

【続く】

2009年11月28日 (土) ★ 中山道(5,木曽福島〜下諏訪 ) | 固定リンク
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