大阪・関西万博を振り返って 国連パビリオンは何を伝えたのか
国連も出展した2025年大阪・関西万博は、半年の会期を経て10月13日に閉幕しました。国連パビリオンの広報担当、寺井浩介が184日間を振り返ります。
【略歴】1989年兵庫県生まれ。東大大学院修了後、経済紙記者として国際ニュースや産業ニュースを担当。2021年1月からジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)としてニューヨークの国連本部に派遣され、グローバル・コミュニケーション局にて高等教育機関とのパートナーシップを推進した。22年末から国際自然保護連合(IUCN)アジア地域事務所の上級渉外・広報官として、バンコクを拠点に各国政府や非政府組織(NGO)との折衝や広報を統括。25年2月から大阪・関西万博国連パビリオンの広報担当としてPR活動全般を担った。
【United for a Better Future(人類は団結したとき最も強くなる。)】
この理念のもと、国連パビリオンは大阪・関西万博の184日間で、35の国連機関と15の国連事務局部局の活動を紹介しました。国連創設80周年の節目を迎える年に、国連が推進してきた多国間主義の歴史、世界中における幅広い活動、そして持続可能な未来への希望を来場者と共有しました。
展示の中心には三つの常設エリアがありました。
「タイムライン・ウォール」では、国連創設から今日までの歩みを紹介。
「オーブの部屋」には、各国連機関の活動を象徴するオブジェが壁に埋め込まれ、世界を支える"見えない努力"を表現しました。
そして「イマーシブ・シアター」では、アントニオ・グテーレス事務総長のメッセージとともに、持続可能な未来を立体的に体験できる映像作品を上映しました。
こうした展示にとどまらず、パビリオン内外で50以上のイベントに参画しました。そうしたイベントは各国政府や民間企業、大学、非政府組織(NGO)、若者など多様な方々と連携を強める機会となりました。
メディア関係者の皆さまにも半年間にわたってご注目をいただき、テレビ、新聞、ラジオ、ウェブ、ソーシャルメディアを含めて、250件以上ご紹介いただきました。メディアでの報道をきっかけに国連パビリオンを訪問くださる方も多く、広報効果の大きさを実感しました。ジェットコースターのようにテーマが次々と入れ替わる展示やイベントに根気強くお付き合いくださったメディアの皆さまに、心より感謝申し上げます。
天皇・皇后両陛下をはじめ皇室の方々のほか、大統領・首相や大臣、著名人なども多くお迎えすることができたことは、本当に光栄なことでした。日本政府や2025年日本国際博覧会 協会の方々に国連の役割を知っていただけたことは、日本の万博にて国連パビリオンを出展した大きな成果であったと感じます。国連からもスペシャルデーに参加したグテーレス事務総長のほか、世界中から多くの幹部や職員が足を運びました。
.@antonioguterres 国連事務総長は先週22日、#大阪・関西万博 @expo2025_japan を訪れ、
— 国連広報センター (@UNIC_Tokyo) 2025年8月25日
国連スペシャルデーのスピーチを行いました。
「国連が紡いできた物語の教訓はシンプルです。
『人類は団結したとき最も強くなる。』」#UnitedForABetterFuture pic.twitter.com/3NPFNLwi7k
【舞台裏で支えたチームの力】
国連パビリオンは、朝9時半から夜9時まで、一日も欠かすことなく開館しました。大きなトラブルもなく閉幕を迎えられたのは、現場を支えてくださったアテンダント、ギフトショップ、警備、清掃スタッフ、オペレーションチームの皆さまのおかげです。
アテンダントはまさに国連の「顔」として来場者を迎え、時には私たちでも説明に苦労する内容を分かりやすく伝えてくれました。特に特別展示エリアでは、週に一度のペースで展示テーマが変わるなか、各国連機関・部局の活動を毎回新たに学び、自信を持って来場者に紹介してくれました。平和、人権、環境、衛生、教育、開発...。様々なテーマを積極的に学んでいくその姿勢には、本当に頭が下がる思いでした。
とはいえ半年間の会期中、ずっと順風満帆というわけにはいきません。思い出されるのは、開幕を2日後に控えた4月11日のことです。
「パビリオンが水浸しです!」
筆者が最終準備のために国連パビリオンに向かっていた矢先、スタッフのグループチャットに同僚から突然の書き込みがありました。すぐに現場に駆けつけると、水浸しになった展示スペースからモップで懸命に水をかき出すアテンダントたちの姿がありました。配管から想定外の量の水があふれ出し、電気系統にも影響が出ていました。普段はライトアップされている展示の多くも真っ暗なままで、「明後日までに復旧できるのか?」と絶望的な気持ちになりそうでした。
幸い、アテンダントやオペレーションチームの迅速な対応が功を奏し、その日の夜にはほぼ復旧することができました。2日後の開幕を自信を持って迎えられたのは、現場の皆さんのおかげでした。
こうしたトラブルに直面しつつも国連パビリオンが半年間にわたりスムーズに運営できたのは、こうした方々の献身的な支えがあってこそ。彼女・彼らの努力と誇りが、パビリオンを訪れたすべての人の笑顔や学びにつながっていたことを、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思います。
【国連パビリオンは成功だったのか?】
「国連パビリオンは成功でしたか?」
閉幕を目前にしたインタビューで、国連パビリオンのマーヘル・ナセル代表は記者からこう問われました。
「数字が結果を物語っています。約40パーセントの来場者が回答したアンケートでは、96パーセントが『国連への理解が深まった』『より良い未来のために行動したいと思った』と答えてくれました」
数字の得意なナセル代表だけあって、裏付けの説明はお手の物。ですが、代表が続けた言葉こそ、真の成果を伝えているように思います。
「多くの人々が映像を観て涙を流したり、拍手をしたりしてくれました。国連パビリオンのメッセージが人々に届いた瞬間を目の当たりにできたことが、何より嬉しかったです」
筆者も同じ思いです。スマートフォンでどんな情報も簡単に手に入る時代だからこそ、リアルな体験を通じて心を動かすことに意味があると感じました。日本各地、さらには海外からも多くの方が足を運んでくださいました。皆さまに心に残る何かを届けられたのなら、それこそが成功と言えるのではないでしょうか。
【若い世代との交流】
半年間で国連パビリオンを訪れた来場者は40万6828人。海外からの旅行客、通期パスで20回以上来場した熱心なファンなど、さまざまな出会いがありました。なかでも印象深かったのは、若い世代との交流です。
小学生から高校生まで多くの子どもたちが訪れ、持続可能な開発目標(SDGs )を学校で学んだ経験をきっかけに国連に関心を持ってくれました。中には、習いたての英語で勇気を出してナセル代表に話しかける子も。はにかみながら話す姿に、次の世代への希望を感じました。
特に心に残っているのが、春ごろに初めて来場した小学生の女の子との交流です。
訪問後に手書きのお手紙を送ってくれた彼女に、ナセル代表名義で返信したことをきっかけに「文通」が始まりました。何度もパビリオンを再訪してくれましたが、なかなか直接会うことは叶いませんでした。
そして閉幕2日前の10月11日。
「XXちゃんが今、入口に来ています!」
アテンダントからの一報を受け、私たちは駆け足で出迎えました。ようやく対面できた彼女は少し恥ずかしそうに、それでもまっすぐ目を見て感謝の言葉を伝えてくれました。
最後に、その彼女から届いたお手紙の一節を紹介して締めくくりたいと思います。
「国連パビリオンのみなさまへ
すずしい季節になりました。お元気ですか。
私はこのパビリオンのおかげで国連について知ることができました。また、国連についてきょう味をもつことができました。本当にありがとうございました。」
この短い手紙の中に、私たちの活動の意味がすべて詰まっているように思います。
国連パビリオンをきっかけに、国連や世界の課題に関心を持つ若い世代が一人でも増えてくれたなら、これに勝る喜びはありません。