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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

深山桜(みやまざくら)の旅1

入試関連の業務がようやく落ち着いてきました。今年度の傾向としては、入試改革を行なった大学が、かなりの割合で受験者数を減らしたということでした。幸い勤務先は数%減で済んだようですが、何十%と減った大学は大変なことになっているはずです(首都圏の有名大学も例外なく)。

ただ「大学共通テスト」への変更に合わせ、また文科省の要請を受けて、このタイミングで改革を行なったのは自然なことだったはずです。このように社会全体が突然、閉塞的な状況になるとは誰も予想できなかったわけですから、本当に「サバイバル時代」だなと感じます。

さて、話は変わって、表題の「深山桜」(宝暦六年/1756)。こちらは、江戸中期の有職故実家、岡山藩士・土肥経平(1707-1782)が、郷里の岡山から京都へ向かい、帰りに有馬に遊んだ時のことを記した紀行文です。経平は道中、歌枕や文学・歴史にまつわる地をたずね、遠く「古代」に思いを馳せ、和歌を詠みながら旅をしていきます。経平はこの時数えで50歳です。

大学院では、今年度、この「深山桜」を輪読していました。次年度も続けて行なう予定ですが、緊急事態宣言が出る前の年末に、この「深山桜」に出てくる地を尋ねました。その時の写真を少しご紹介します。

まずは神戸で見たピンクの新幹線。↓
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はい。キティちゃんラッピングの新幹線でした。

続いて姫路城。

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令和元年5月にも訪れていましたが、そのときは天守閣に上れなかったので、今回はそのリベンジ。また「深山桜」にも次のような記述があります。

「川をわたりてほどなく姫路の町に出る。ここにはわが先君のはやう住せ給ひし所ぞかし。
とをつ親も御下にまとひ居し其むかしを思ひしのびながらに行過て、」


「わが先君」とありますが、土肥家が仕えていた池田家では、池田輝政(1565-1613)が最初に姫路城の藩主となり、お城を現在の形に大改修しています。また孫の池田光政(1609-1682)は、幼少期に姫路藩主となり、後に鳥取藩主を経て、岡山藩主となります。

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現在の天守閣内にある城下町の模型。圧巻です。経平もこの城下町を通ったのでしょうか。


[画像:KIMG1331]

[画像:CIMG6069]
武器をかけておく場所だそうです。

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内部は意外と広いです。時期的に足裏が冷たくて仕方なかった......。
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高くてクラクラします。

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最上階には、姫路長壁大神と播磨富姫神が祭られています。

姫路城の次は、曽根天満宮へ向かいます。お楽しみに!


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