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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

続・中古文学会シンポジウム(HP公開)の感想

「線路は続くよ〜どこまでも〜」という歌がありますが、最近は「(授業)準備は続くよ〜どこまでも〜」という気分です。一日15時間パソコンの前に座っている、という先生の話も聞きました。「野を越え山越え〜谷越えて〜」という部分、本当に共感します(家にいるのに)。

さて、先日の中古文学会シンポジウム、早くも中古文学会HPで公開されております。

中古文学会特別企画(オンラインシンポジウム)YouTube公開のお知らせhttps://chukobungakukai.org/archives/722

とにかく「早い!」という印象です。すごい。1週間たってませんから。本当にありがたい
ことです。

まだ確認作業(もう一度聞きたい部分を集中的に)で、通して見たわけではないのですが、
初の試みで、まだぎこちなかった部分、最後なんとなくブチっと終わってしまったところなど、
上手に編集されておりました(野中先生の気になるTシャツの文字なども)。

リアルタイム配信を選ぶか、録画配信(編集済み)を選ぶか、ここにも選択が生まれて面白いと
思いました。

リアルタイム配信では、それこそほぼ「生の情報」が得られます。情報の「早さ」というだけ
なら、1週間以内の差ですから、それほど録画以上に優位とはいえません。でも、発表者それぞれの
「意図」がほぼそのまま受け取れます。これは対面式に限りなく近い形です。

でも「配信」ならではのノイズもあって、「聞こえてますか?」とか「マイク入ってませんよ〜。」
といった、発表には直接関わらないやりとりも聞かなくてはなりません。「芸能人」のコンサート
であれば、それが「特別感」に変わる可能性もありますが、忙しい人が多い現代では、自分の
好きな時間に好きな場所で余計な時間をとられずに(ノイズカットされた内容で)視聴できる、
録画配信は利点が多いと思いました。

その一方で、やはりきれいに整理された内容を見ると、ある大御所先生の話を思い出します。

「この前、雑誌の企画で対談があったんだけど、遅れてくる先生はいるし、内容もイマイチだった
のに、雑誌の誌面ではきれいになっててびっくりしたよ。」と。

中古文学会シンポジウムの録画は、リアル配信とそこまでの違いはありませんし、むしろ編集された
方が見やすいのは確かです。でも、「リアル配信」がないようなものの場合、編集でどうなって
いるかわからない、というのが実態かもしれません(最近もテレビの編集で様々な事が問題になって
いましたよね)。

やはり、できる限り、直接情報を得る、というのは、「オンライン」時代になっても大事だな、と
改めて感じました。

それこそ、野中先生のお話にあった「YouTube」図書館時代の到来は、情報の選別、フェイクニュース
との格闘になるのではないかと思いました。その見極め方について教えるのも教員の仕事になるのでしょうか。大変なことです。

あと学校の「古典」の授業テキストは、それこそ「写本」を一次情報とすると、何段階も手が入ることで、文字面では「近代文学」や「現代文学」と変わらない形で読むことになります。もちろん「読みやすいように」という配慮だったわけですが、それでは実態(作者の原本などない。本文も定まっていない)は伝わりませんし、むしろ今では、他の作品のようには「読めない」「わからない」「むずかしい」という第一印象を持ってしまうようにも感じました。内容を重視するなら、まずは現代語訳で読んでしまう方が、苦手意識はなくなるのかもしれません。
それから、今回のシンポジウムの内容は、かなり上級者向けの「古典教育」実践例だ、という声もあったようですが、私はモード界の「パリコレ」のように考えています。

「パリコレ」では、服の今年の流行、最先端が示され、その「要素」を取り入れた服が世の中に出回りますが、学会シンポジウムの提言も、そこから各自で「要素」を抽出して、「応用」していくことが求められているのでしょう。

とにかく様々な事を考えさせてくれる、ありがたいシンポジウムでした。

KIMG0635
(五島美術館の庭園にて。またゼミの皆さんと一緒に見学できますように)










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