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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

稲荷神社のお祭り

先日、家族で稲荷神社のお祭りに参加しました。「お稲荷さん」といえば、京都の伏見稲荷大社が有名です。たくさんの赤い鳥居をくぐるとそこは異世界に通じているような感覚になります。
お面
(↑神社の境内で売っていた狐のお面。稲荷神社では神様の使いとされています)
KIMG0293

2枚目の写真は、その伏見稲荷が発行している「朱」(あけ)という雑誌の表紙です。この中には、稲荷信仰に関する様々な研究論文が載っています。ちなみにこの号で、私は「平安文学に見る稲荷詣で─「縁結び祈願」をめぐって─」(2009)と題し、一篇書きました。この雑誌の表紙は、稲荷山にある稲荷神社の様子を示しています。平安時代の稲荷詣では、この絵の通り、まさに稲荷山を登って参詣する三社参りでした。

九月になりて、世の中をかしからむ、ものへ詣でせばや、かうものはかなき身の上も申さむ、などさだめて、いと忍び、あるところにものしたり。ひとはさみの御幣に、かう書きつけたりけり。まづ下の御社に、
いちしるき山口ならばここながらかみのけしきを見せよとぞ思ふ

中のに、
稲荷山おほくの年ぞ越えにける祈るしるしの杉を頼みて

果てのに、
かみがみと上り下りはわぶれどもまださかゆかぬここちこそすれ

(新編日本古典文学全集『蜻蛉日記』上巻、149・150頁)

『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母は、稲荷詣での途中、三社それぞれに歌を奉納しています。山の入り口から稲荷山を越えて、頂上では「わぶれども」とその道のりの辛さを詠みながら、願っていたことは何か──「かうものはかなき身の上も申さむ」(このようなはかない身の上をお祈りしよう)とありますのでおそらく夫・兼家との夫婦仲についてのことだったでしょう。

稲荷参詣では、道中、男女の出会いがよく語られますが、それは女性側がそのような縁結びの「願い」をもって参詣していることと関わっていたのかもしれません。女性たちにとっては、辛い山登りをしてでも、叶えたい強い願いだったのです。


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