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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

平安貴族のイクメンといえば......

そういえば、先日、家族からこんなチラシをもらっていました。絵の方は、源氏物語絵巻「柏木」の一場面で、不義の子・薫を抱く光源氏の姿です。
イクメン?
チラシには「イクメン(育児する男性)!?」の見出しがあります。この場面では、正妻・女三宮と柏木との密通の末に生まれた薫の五十日のお祝いの日に、光源氏が複雑な思いで薫を抱いています。

あはれ、残り少なき世に生ひ出づべき人にこそ」とて、抱きとりたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。大将(夕霧)などの児生ひほのかに思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、父帝の御方ざまに、王気づきて気高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。この君、いとあてなるに添へて愛敬づき、まみのかをりて、笑がちなるなどをいとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほいとやうおぼえたりかし。ただ今ながら、まなこゐののどかに、恥づかしきさまもやう離れて、かをりをかしき顔ざまなり。宮は、さしも思しわかず、人、はたさらに知らぬことなれば、ただ一ところの御心の中にのみぞ、あはれ、はかなかりける人の契りかなと見たまふに、おほかたの世の定めなさも思しつづけられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は事忌みすべき日をとおし拭ひ隠したまふ。

本文には「あはれ」の語がくり返し出てきます。まず、源氏は自分の命も残り少ないと感じる頃(当時40歳過ぎ)に生まれた子への不憫さを述べ、次いで我が子・夕霧には似ておらず、明石女御方の宮たち、また伯父である今上帝方のような気高さはあるけれど、その優美さや目元の様子などが愛おしく、死んだ実父・柏木によく似ていることへの感慨、最後に母である宮も、周囲の人たちも、そのようなことは全く思いもよらず、源氏のみが柏木のはかない運命を気の毒に思っていることなどが記されます。微笑みかける薫を見ながら涙をこぼす光源氏の姿は、なんともいえずアイロニカルです。さらに横笛巻でも源氏は薫を抱き、次のように話しています。

かき抱きたまひて、「この君のまみのいとけしきあるかな。小さきほどの児をあまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどはただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはひことなるこそわづらはしけれ。女宮ものしたまふめるあたりにかかる人生ひ出でて、心苦しきこと誰がためにもありなむかし。あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてむとすらむやは。花の盛りはありなめど。」と、うちまもり聞こえたまふ。

光源氏は、薫が幼子ながら目元が美しく、他の子供とは違う雰囲気をもっていて、女宮(源氏の孫)がいらっしゃる近くにこのような美しい人が生まれて大丈夫だろうか?と心配します。つまり、この子が父・柏木のような色恋沙汰を起こさないか、源氏は不安に思うのです。でも最後は、それぞれが成長していった先を、自分はもう見届けることができないだろうと、自らの「老い」をよりいっそう自覚していきます。

つまり、「これからバリバリ育児をやるぞ!」といったような気持ちとは、むしろ正反対の心境と言えます。「イクメン!?」の「?」の意味は、ここにあるのでしょう。

それでは、平安時代に「イクメン」はいないかというと、そうでもありません。私が「イクメン」と聞いて思い起こすのは、『源氏物語』より少し前に書かれた『うつほ物語』の仲忠です。
女一宮と仲忠
仲忠は、女一宮(帝の娘)との間に生まれた娘を真っ先に抱いています。当時の産屋は穢れを忌むべく白に統一され、男性も近づけなかったはずですが、仲忠はその産屋をのぞき、生まれた後は、御帳台に体を入れて我が子を抱いています。

中納言(仲忠)、御帳のもとに寄りて、つい居て、「まづ賜へや」(まず私に抱かせてください)と聞こえたまふ。尚侍のおとど(仲忠の母)、「あなさがなや(まあ無茶なことを)。いかでか外には(どうして外に出せましょう)」とのたまへば、帷子を引きかづきて、土居のもとにて抱き取りたれば、いと大きに、首も居ぬべきほどにて、玉光り輝くやうにて、いみじくうつくしげなり。いと大きなるものかな。かかればこそ、久しく悩みたまひつるにやあらむ、と思ひて、懐にさし入れつ。(「蔵開上」)

父に抱かれた娘・犬宮は、大変大きく首も据わりそうで、さらに玉が光り輝くような可愛らしさでした。仲忠は「このように大きかったから、お産も長く苦しまれていたのだ」と、妻である女一宮の苦労を思い、さらに娘を離しません。

この後も、仲忠は、産後間もない妻の横で添い寝をして実母に叱られたりしますが、どこ吹く風。他の子と違っているようなことについても「見たまへ放たねば、さもあらむ」(私がつきっきりでお世話しているからそうなのでしょう」とまさにイクメン(!?)発言。

その後、こんなこともあります。仲忠は、内裏にもほとんど行かず(育休?)、娘である犬宮をとにかく抱いて離さないので、着物も娘のお漏らしで濡れがち。見かねた熟練の女官が、犬宮にお湯を使わせようと申し出て、それを仲忠が受け入れた矢先。

......父君に尿ふさにしかけつ。宮に、「これ抱きたまへ」とてさし奉りたまへば、「あなむつかし」とて押し出でて、うち後方向きたまひぬ。君、「頼もしげなの人の親や」。典侍にさし取らせて、拭はせたまふ。宮、「いかに香臭からむ。あなむつかしや」とてむつかりたまふ。

仲忠は、犬宮に尿をたくさんかけられ、思わず妻である宮に「この子をお抱きなさい」と渡そうとします。女一宮は「まあいやなこと」といって後ろを向いてしまうので、「頼りない親だ」と仲忠に言われます。そこで女官に娘を任せますが、宮は「どんなに臭いことでしょう。ああいやだ」とまだ不機嫌です。

当時、このような子供の世話は乳母が中心に行い、母親は関与しなかったと思われますが、父である仲忠が育児に積極的なので、宮も巻き込まれている感じです。犬宮は、曾祖父・清原俊蔭を祖とする琴の一族に連なり、後に祖母である俊蔭女(仲忠母)から秘琴の伝授を受けますが、仲忠の可愛がりようは、そのような琴の一族の血が関係しているのかもしれません。

それにしても、真のイクメンは光源氏にあらず、藤原仲忠だと、わたしは思います。

(参考文献)
新編日本古典文学全集『源氏物語』
新編日本古典文学全集『うつほ物語』*本文はこちら。現代語訳もついています。
室城秀之校注『うつほ物語』(おうふう)
日本古典文学大系『宇津保物語』(岩波書店)


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