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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

梅ヶ枝(うめがえ)餅

太宰府名物「梅ヶ枝餅」。家族がお土産で持ってきてくれました。なつかしい私の郷里の味です。

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太宰府天満宮の参道には「梅ヶ枝餅」のお店がいくつもあって、イメージとしては、鯛焼きのように店頭で焼かれていました。焼き餅の中には黒いあんこが入っていて、この餅がのびてモチモチするのがたまりません!

かつては「焼きたてで柔らかいのが絶対おいしい」と思っていました。
でも今は、時間がたって少し堅くなったのも、これはこれでおいしいと思います。


梅ヶ枝餅の由来は、次のように書かれていました。「菅公が南館(榎社)で不遇な生活を送って居られた折、老女(浄明尼)が、公の境遇に同情し、時折餅を持参して、公の無聊を慰めたという。(─以下略。)」
(太宰府天満宮参道「かさの家」パンフレットより)

「菅公」とは、菅原道真(845-903)のこと。平安時代、一時は右大臣の地位までのぼりつめましたが、左遷され、大宰府の地で没します。
道真公が愛した梅は、京から大宰府まで飛んできた「飛び梅伝承」として伝わっていますが、その契機となった道真公の歌がこちら。

道真公
流され侍ける時、家の梅の花を見侍て

東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな

(もし東風が吹いたなら、私にも届くように咲いて匂いを送っておくれ。
家の主人がいないからといって花咲く春を忘れるな。)

(新日本古典文学大系『拾遺和歌集』雑春・1006 *表記は一部改めました)

太宰府天満宮は、現在たくさんの人で賑わっていますが、実際に道真公が過ごした南館跡は、ひっそりとしていたのを覚えています。お餅に同封されていた「かさの家」のパンフレットには、この館を絵画化している対馬の八幡宮神社蔵「天満宮縁起絵巻」(江戸時代)が掲載されています(最初の写真)。

衣冠束帯の立派な道真公の姿と周りの鄙びた情景との落差が印象的です(よく見るとお餅が献上されているところのようです)。

太宰府に行かれた際は、ぜひご賞味あれ〜(「グレーテルのかまど」風に)。

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