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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

朝顔の姫君

最近、猛暑が続いています。ようやく咲きだした家の朝顔も、1日2回(朝・夕方)の水やりでは追いつかないようです。気づくと葉が萎れてしまっていることも。でもここのところ毎日咲いてくれるので、朝のちょっとした楽しみになっています。

さて、源氏物語では、花のイメージで語られている女性たちが多く登場します。中でも「朝顔」といえば、光源氏に最後までなびくことのない式部卿宮の姫君の呼び名です。彼女は、前斎院(賀茂神社の巫女)ということもあってか、独身を通します。反対に、夕方に咲く夕顔と呼ばれる女君が、頭中将の元恋人でありながら源氏とも通じることを考えると、二人のイメージは対照的ですね(そういえば少し前に「昼顔」というドラマもありましたが......)。
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平安時代の朝顔は、元々薬用として渡来したものが後に観賞用になったと言われていて、現在の朝顔と同様の花です(上代の「アサガオ」はムクゲやキキョウなど)。

ちなみに「朝顔」の姫君の由来となる本文はこちら。

「枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれに這ひまつはれてあるかなきかに咲きて、にほひ(色)もことに変れるを折らせたまひて奉れたまふ。
(源氏)「けざやかなりし(他人行儀な)御もてなしに、人わろき心地しはべりて、後手(私の後ろ姿)もいとどいかがご覧じけむと、ねたく。されど、
見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん
(昔お目にかかった時から全く忘れることのできない盛りの朝顔の花のようだったあなたの美しさも今はもう盛りを過ぎてしまったのでしょうか)

年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは」など聞こえたまへり。
おとなびたる御文の心ばへに、おぼつかなからむも見知らぬやうにやと思し、人々も御硯とりまかなひて聞こゆれば、
(朝顔)「秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔
(秋も過ぎ果て霧たつ垣根にまつわりついてあるかなきかの姿で色のうつろっている朝顔は確かに私です)
似つかはしき御よそへ(この身にふさわしい朝顔の御たとえ)につけても、露けく」とのみあるは、何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。」(朝顔巻より)

姫君は、父の死により斎院を辞し、叔母である女五の宮のもとに住まいを移していました。光源氏は、自分にとっても叔母(父院の妹)である年老いた五の宮を見舞うついでに、姫君の元を尋ねます。しかし御簾内での対面は許されず、互いに歌を詠み交わしただけ(姫君は源氏の恋情を拒否)で源氏は退出します。その対面を恨んでか、帰邸後に詠み贈ったのが上記の歌で、その返歌を周囲に促されて、姫君も歌を返します。歌とともに贈られた「色が変わってしまった朝顔」とは枯れる寸前の最後の美しさを保った花で、まさに朝顔その人のたとえとなっていました。源氏の歌は、冷たくあしらわれたからなのか、皮肉にも感じられる詠みぶりです。その歌をそのまま受け入れる朝顔の姫君の対応からして、二人がすでに時期を逸してしまった(恋人にはなれない)関係にあることを示しているようです。
そういえば、六条御息所の庭にも朝顔は咲いていました。また紫式部には、朝顔を詠んだ歌もあるので、朝顔の花には何かこだわりがあったのかもしれません。
最後に我が家の朝顔の写真です。
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〈参考文献〉
新編日本古典文学全集『源氏物語』(小学館)ほか

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