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koudansyou-古典と現代

主に平安文学・文化についてのつれづれ書き(画き)

急に朝晩涼しくなってきました。ようやく秋めいてきた感じです。

さて、先月、京都からの大阪行き、帰りはしっかり台風に見舞われました。
その際、京都で何をしたのか書きませんでしたので、遅まきながら書いておきたいと
思います。

まず、行ったのが雲林院。
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『源氏物語』賢木巻では、父院の死後、后の藤壺に言い寄って拒まれた光源氏が籠る寺として出てきます。また『大鏡』では、この寺の菩提講に集まった人々の間で歴史語りが始まります。今では、一部を残すのみですが、この辺りがモデルねえ〜、と楽しむことができます。
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(表の門のあたりはこんな感じ。通りから一礼して行く地元の方も見かけました)
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(説明が書いてある木札を撮影。拡大すると読めます)
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(こちらは「源氏物語ゆかりの地」として説明。二人の墓についても言及。)

その後、歩いて、例のお墓へ。
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なんと、紫式部のお墓(左)です。小野篁のお墓(右)も横に建てられています。
後世の人が建てたものですが、中世以降、紫式部は「狂言綺語の罪」で地獄に
堕ちたと言われていましたから、説話では「冥土の官人」も務めていたという
篁に救ってもらうべく、隣同士に建てたのでしょうね。

実は、ここを訪れたのは約20年ぶり。20年前は、ムラサキシキブもいまほど
生い茂ってはいませんでした。
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(およそ20年前。手にはムラサキシキブをつかんでいます。)

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(現在の様子。ムラサキシキブが繁茂しています)

いや、20年前のわたし、若いね。今回も自分を入れて撮りましたけど、
とても載せられません(笑)。

この後、金閣寺の方が近いのに、なぜか銀閣寺に行き、庭に生えるたくさんの
きのこに大興奮する家族とともに、京都駅へ向かいました。

駅では、こんな感じのプロジェクションマッピングが投影されていました。
思わず足を止め、時間がたつのも忘れて見入ってしまいました(音量注意)。

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(竹?)
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(禅?)
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(おこしやす)

しばらくこの後も京都の風景や名物が続いていきます。楽しいでしょ?

ちなみに私にとって、この駅は、何度訪れても映画「ガメラ3」(1999年)の
聖地です。
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(ここでガメラとイリスが向かい合って戦います。当時はまだ新しくなって
間もない京都駅がガラガラと崩れていきました)

今では、自分が主人公の少女と同じ歳くらいの子(親子そろってガメラ好き)を
連れて訪れ、歌舞伎座では、その少女がすっかり中村屋のおかみさんになって
いることに(この前見かけた)、時の流れを感じます。

当時の私は、髪の毛をちょっと緑にして映画を見に行ったな〜(一人で。イタイ客だ)。
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(その京都駅構内にあった昭和ガメラシリーズのポスターガチャポン。
平成版では、ギャオスの変異体がイリスという設定でした)

そろそろ授業が始まりますねえ。みなさんは、どんな夏休みを過ごしたのでしょう。





またまた月末最終日。8月31日です。8月は、出雲、尼崎、京都、大阪と、これまたたくさん旅してきました。出雲は、私の両親の金婚式で家族旅行。尼崎は、夫の姪っ子のバレエ鑑賞。大阪・京都は......これから書きます。

実は、29日から1泊2日で、京都・大阪に行ってきました。「台風が来るよ〜。」と夫に警告されはしましたが、ノロノロ気味の台風だったので「何とかなるかな」と少し甘く見積もり、昨日の帰京は大変な目に遭いました(なんせ名古屋ー東京間は新幹線不通)。

帰りは、長野まわりで(名古屋―松本は、特急しなの、松本─立川は、特急あずさ、です)、名古屋から6時間かかって帰宅(通常は2時間半)。大阪から敦賀まわりも考えましたが、指定席全満席(みな考えることは一緒)。名古屋からの2時間は、デッキに立ちっぱなしでしたが、まあ、先月もそんな経験をしたばかりなので、あまり苦にならず。初めての木曽路列車に心は踊りました(上流の荒々しい川やダムなど、山道〜という感じです)。しかし揺れる揺れる。。。。

そこまでして、なぜ台風の最中、大阪に向かったのか。理由は、これです。

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幽霊博物館のパンフレット。大阪の大念佛寺で行われ、年に1回(3日間)開催されます。
幽霊博物館 | 行事・法要 | 融通念佛宗総本山 大念佛寺 -大阪市平野区- (dainenbutsuji.com)


その由来はこうです。

元和3年(1617)、箱根権現に参拝していた奥州出身の巡礼者が、山中で摂津住吉の社人・松太夫の妻の霊に出会い、平野大念佛寺の第三十六世道和(どうわ)上人に回向(えこう)を受けられるよう、夫への伝言を依頼されました。その証に亡女から「朽葉色の片袖と香盒(こうごう)」を手渡された、ということで、その片袖と香盒が、今もお寺に納められているのです。それは、年に1回だけ、この博物館で展示されます(幽霊の持ち物ですよ〜。痺れます!)。

また、それらと一緒に、多くの「幽霊掛け軸」(十二幅)と、今回、文化財指定を受けた「請雨経曼荼羅」(たくさんの龍女が描かれる)も展示されていて、とても見ごたえがありました。

幽霊掛け軸には、「菅公怨霊図」(菅原道真公)や「平知盛亡霊図」など、私の親しみのある方も。作者はわからないそうですが、部屋の中で、ぐるっと幽霊掛け軸に取り囲まれて、とても涼しく感じましたよ(外は猛暑でしたが)。

この博物館、家族がとても行きたがったので(いや私も)、無理は承知で行った感じです(笑)。なんせ1年の間に、3日間しかやっていないのです。こわーい講談「幽霊寄席」の方は、時間がなくて聞けなかったのですが、十分、「幽霊博物館」、満喫できました。

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8月31日の「うれしたのし祭り」は残念ながら中止になってしまったよう。明日はあるかしら。

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開館して2時間たっていましたが、台風のせいか、まだ設営途中でした。九相詩絵巻のパネル展示です。ちなみにこの絵の一つ「膨張相図」は、人気漫画『呪術廻戦』の呪霊(呪術師)の名前になっているとか(家族談)。

私はいま、『篁物語』に出てくる〈幽霊〉にはまっています(笑)。人が死に、肉体を失い、魂になって呼びかける、その一連の流れを書き留めた物語です。

ということで、次回は、この前日に行った京都の話(29日)を書きたいと思います(四半世紀ぶりに行ったあの場所についても)。

最後に「幽霊博物館」パンフレットの表紙に書かれていた言葉をば、ここに。

「華やかな人生もその終末は死 到達するのは無である」(死んだらみーんな一緒やね)

生きているうちにどこまで足掻けるか。いや、幽霊は語る。魂は永遠でした。あの世でも勉強しないと(笑)。

7月、最終日です。今月はなんやかんやで結局、着物を一度しか着られなかったのが悔やまれます。歌舞伎は3回(歌舞伎座昼の部、調布市グリーンホールの歌舞伎鑑賞教室、大阪松竹座)見に行けたのですが......。

とはいえ、大阪松竹座の歌舞伎は、例の保守車両の衝突事故があった、22日(月)に見に行ってしまい、新幹線こだまの各停から、在来線を乗り継いで名古屋にたどりつき、再び新幹線で新大阪へ向かうという過酷な旅になりました(こだまで立つこと2時間、計6時間は車内で過ごす)。
掛川のエヴァ
(これまで降りたことのなかった掛川駅。ここから在来線に乗りました。向こうのホームにはなぜかエヴァ号)

「旅」と言えば、先日、大学院の授業で読んでいた土肥経平の「深山桜」(岡山から有馬温泉を目指す)の旅が、いよいよ佳境に入り(有馬温泉に着きそう)、船で兵庫津から出航、難波の澪標を見た後、道頓堀に着くところを、私が説明したのでした。

ですので、今回、道頓堀の近くにある大阪松竹座の歌舞伎、とても楽しみにしていました(特に義経千本桜の「すし屋」)。でも、見られず〜。残念です。最後の演目「八重桐廓噺」(やえぎりくるわばなし)だけ間に合いました。とても華やかな演目で、あきらめずに見に来た甲斐があってよかったです。
実はへろへろ
(キャリーバックは劇場で預かってもらえました。最後に筋書〔パンフレット〕も買えました)

大阪まで新幹線で2時間半、が当たり前になっていましたので、普段どんなに便利な生活をしているか、思い知らされました。

この後、少し、道頓堀を散策。
ネオンが眩しく
(ギラギラのネオンがまぶしい「道頓堀」の文字。容量があれば、動画でも撮りたかったです)

道頓堀川
(阪神ファンが飛び込むことで有名な例の川。経平の時とはだいぶ様相が変わっているはず)

やっぱりこれ
(そして大阪といえばこれでしょう。アツアツふわふわを美味しくいただきました)

この後は、神戸に宿泊しましたが、短い時間でも大阪に滞在できてよかったです。
大阪松竹座、いつかリベンジしたいと思っています。


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