大聖寺観光案内所スタッフblog 2025年12月03日T00:55:31Z tag:blog.livedoor.jp,2014:dkastaff dkastaff livedoor Blog Copyright (c) 2025, dkastaff 「発信元、変更届」 2016年12月20日T22:27:34Z 2016年12月21日T07:00:17+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67930068 「老兵は死なず、消えるのみ」。と言って、休んだふりをしていたが、実は「大聖寺観光案内所」の隣りでオープンしていた「活性化サロン」で、元気に生きていた。余生を気ままに生きる老人のワガママを見逃していただきたい。▼「加賀・江沼人物講座」第12回の講師は、... 「吾亦交」雑感 ▼「加賀・江沼人物講座」第12回の講師は、加賀市の教育委員でもある「篠原隆一」氏。そして、「大聖寺観光案内所の所長でもある。11月19日に行われた講座は、「道官咲子・辻政信」だった。東谷重伝地区の「今立町」出身の辻政信も、終戦直後、ビルマの原野を逃げ延びて、戦後のある日突如して姿を現し、国会議員に当選した。
▼そして、また、消えた。「秀才・策士・神様・英雄・・・」などの称号のなか、謎の人物として、後世に伝えられる郷土の偉人でもある。当方には、そんな才能はないが、隣りの「活性化サロン」のセンター長を指名された立場から、活動の報告を兼ねた発信者としての義務感で、仲間の支援を貰いながら12月6日から発信している。
▼このコーナーを訪ねられた方で、好奇心のある方がいたならば、是非、「若手起業家支援センター」の「活性化サロン・スタッフブログ」をのぞいて頂けたら幸甚です。お知らせが遅れましたが、よろしくお願いいたします。
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「老兵は死なず、ただ消えるのみ」 2016年11月29日T22:00:27Z 2016年11月30日T07:00:33+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67410137 11月30日(いい時去れ)。2014年7月16日から、スタートした大聖寺観光案内所のホームページに、併設された「スタッフブログ」の担当を、本日を持って降板します。2016年11月30日までの延べ780日余り。ブログ発信は、557回も続けることができました。長... 「吾亦交」雑感 11月30日(いい時去れ)。2014年7月16日から、スタートした大聖寺観光案内所のホームページに、併設された「スタッフブログ」の担当を、本日を持って降板します。2016年11月30日までの延べ780日余り。ブログ発信は、557回も続けることができました。長くて短い2年余りだったが、継続することの苦しさも味わい、また、楽しく「健康な老人日記」を書くことができました。この日までの「つぶやき」を、見ていただいた多くの方々や、サポートしてくれた仲間に、心より感謝いたします。

▼2014年6月に、NPO団体の「大聖寺観光案内所」がオープンした。大聖寺駅が通勤・通学専用駅になって久しい。1987年に「JR・加賀温泉駅」に特急が止まるようになってから、気がつけば29年前のことだった。その頃から、大聖寺駅前は寂びれ、構内にあった売店もなくなってしまった。レンタルロッカーも廃止され、観光案内の窓口もなくなった。

▼案内所開設当時は、大聖寺駅を降りた観光客は、「大聖寺」はどこですか。という、遠来客の質問も時々あった。今では、そんな質問で訪れる人はいない。みな、目的地へ、特急を乗り継ぎ大聖寺駅で降りる。「スマホ」からの情報には、観光ボランティアの知識を超える情報量がある。だが、「匠のかくれ里・加賀」の玄関口として、貴重な観光案内所としての存在感は、これから注目されるはずだと期待している。

▼「スタッフブログ」には、「大聖寺雑感」、「吾亦交」雑感、「五徳庵雑感」の3のカテゴリーに分けて発信してきが、まもなく75歳になる老人の、独断専行の「つぶやき」であった。「余生とは、余禄の人生だと」と、著名な放送作家だった「藤本義一」がラジオ番組でつぶやいていた。小生も、身の丈にあった余生を楽しみたいと思う。

▼「老兵は死なず、ただ消えるのみ」。日本の戦後占領期の統治者として、新しい日本をつくった。あの「ダグラス・マッカサー元帥」の言葉だった。「スタッフブログ」を継続する後進の若手メンバーにつなげる時であろう。また、どこかで、「つぶやき爺さん」が元気だと思ってもらうこともあります。ありがとうございました。

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「加賀海岸が、世界遺産に・・・」 2016年11月24日T22:00:24Z 2016年11月25日T07:00:23+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67329253 11月20日の北国新聞に、加賀海岸は「文化的価値が高い」という記事が載っていた。文化功労者に選ばれた国際日本文化研究センター(京都市)の小松和彦所長(民俗学)が19日、加賀市の加賀海岸を視察し、江戸時代から人の手で進められてきた砂防植林は、「技術者の苦労が感... 大聖寺雑感 11月20日の北国新聞に、加賀海岸は「文化的価値が高い」という記事が載っていた。文化功労者に選ばれた国際日本文化研究センター(京都市)の小松和彦所長(民俗学)が19日、加賀市の加賀海岸を視察し、江戸時代から人の手で進められてきた砂防植林は、「技術者の苦労が感じられる」という記事の内容だった。

▼そして、22日の加賀ケーブルテレビは、小松先生が米・ジョージア大学のエルジーン・ボックス教授と横浜市立大学院の藤原一繪教授(植物学者)を伴って、加賀海岸を案内する番組だった。加賀海岸の人工的に植樹した防風林が、自然と共存して、現在までその役目を維持しているケースは、世界的にも類を見ないという。賞賛を伝えていた。

小塚秀得(こづか-ひでのり1785ー1859)。江戸時代後期の武士植林家。天明5年生まれ。加賀(石川県)大聖寺藩士。藩に植林の重要性を説き,文政7(1842)植物方奉行に任命される。領内の日本海海岸に39年間で約35万本の松を植え,防風林をつくった。安政612月死去。75歳。本姓は山本。通称は藤十郎。号は清風。「加賀江沼志稿」抜粋。

▼小生が担当する「大聖寺観光案内所・スタッフブログ」。「老人のつぶやき」は、2014年9月1日にスタートしている。時折、案内所でのことをネタにした失敗談を発信している。2015年10月7日には、「加賀海岸は『白砂青松』に選ばれている」と題していた。

▼観光案内所の当番役は、加賀海岸が「白砂青松」の日本百選に選ばれていることを知らなかった。「塩屋と片野海岸」へ行きたいが、その場所を示す看板があるところを知りたいと、案内所に来た朝日新聞の記者が、納得する場所を案内できなかった。

▼新聞記者は、取材した記事を2016年1月に特集で掲載するという。地元民も知らない「加賀海岸の記事は、加賀市の宣伝になるよ」。と、言い残して案内所からタクシーに乗り込んだ。「世界遺産」という宝物が、加賀市に!?。

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「先は長い。中学生」 2016年11月23日T22:00:25Z 2016年11月24日T07:00:37+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67343127 「きょうは、ありがとうございました。皆さん方は、心から加賀市を愛していることが分かりました」。と、錦城中学の校長は謝辞の言葉を結んだ。会場は、昭和26年に製造された電車の中だった。山中温泉と大聖寺駅を走っていた電車は、現在も大聖寺八間道の「流し舟」乗船... 大聖寺雑感 「きょうは、ありがとうございました。皆さん方は、心から加賀市を愛していることが分かりました」。と、錦城中学の校長は謝辞の言葉を結んだ。会場は、昭和26年に製造された電車の中だった。山中温泉と大聖寺駅を走っていた電車は、現在も大聖寺八間道の「流し舟」乗船場の待合室として、65年経った今も活躍している。

▼「モハ3751」の電車は、定員110人で、窓側に長い座席定員は52人。シートはまだ当時のクッションのままで、吊革も痛んでいない。リタイヤした電車には、「流し舟」に招待された中学生15名が、行儀よくシートに座っていた。

▼乗船する前には、招待した「NPO法人・大聖寺歴町センター」の「若手起業家支援センター・活性化サロン」が準備した、エキシビジョン的な「健康ストレッチ」と「カイロプラクティック」を体験してもらった。そして、定住促進用の、15分間サイレント映画「匠のかくれ里・大聖寺」の鑑賞会もあった。

▼15人の生徒も、引率した先生も、用意した「流し舟」などの体験は、初めてだったろうが、揺れる舟や運動前のストレッチと、肩こり治療法には、素直な感嘆の声が聞こえていた。だが、初めて見る映画写真から、加賀市の素晴らしい山並みや日本海の夕日の景色。見慣れた祭りや町並みの老舗の店に、伝統工芸の歴史。そして、幼きころに体験した保育所での取り組みや元気な老人会の行事を黙って見ていた。

▼11月の初雪が東京に降るという。紅葉に映えた時期も終わった大聖寺川は、いつものようにゆっくりの流れだった。この生徒たちを招待した瀬戸事務長は、開会の言葉として「生まれ育った加賀市には、古代から多くの人々が住んでいた歴史の跡がある。そして、これらの伝統を引き継いだ素晴らしい先人のおかげで、今の私たちがいる。どうぞこの体験を思い出して、勉学に励んでほしい」と、お願いした。解散の折、「舟で食べたケーキはどーやった」と、聞いた。返事は「ありがとう」。

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「温故知新」 2016年11月22日T22:07:32Z 2016年11月23日T07:00:19+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67318324 8月から始めた「ぐるっと廻る・活性化サロン」の歴史探歩は4回目。「山の重伝建」東谷地区大土町の二枚田家が昼食会場だった。以前に、何度か「オエ(民家の上がり口の間)」の囲炉裏端で、昼食を頂いたことがあった。昔からの、地元の食材具を煮込んだ味噌汁と、炭火で... 五徳庵情報 8月から始めた「ぐるっと廻る・活性化サロン」の歴史探歩は4回目。「山の重伝建」東谷地区大土町の二枚田家が昼食会場だった。以前に、何度か「オエ(民家の上がり口の間)」の囲炉裏端で、昼食を頂いたことがあった。昔からの、地元の食材具を煮込んだ味噌汁と、炭火で焼かれたおにぎりの味が旨かった。

昔から、山奥の農家に宿泊した旅人には、「善意」の食事提供は当たり前だった。今回も、それを期待していたが、用意が出来なくなったという。仕方なく、市中の「ほっかほっか・豪華弁当」を持参して、山奥の古民家で食べることになった。だが、善意の「なめこ汁」がふるまわれた。

今は、過疎地になっているが、この地に生まれ育った二枚田さんは、定年まで市内の住宅地にいたが、住民票と一緒に生まれた家に帰ってきた。そして、過疎地で体験学習をする国内外の学生らが、自炊する宿舎として開放しているこれまで18ヶ国の学生が、山奥の体験生活をしたという。

源平合戦の「篠原の戦」で、平家の残党が逃げた「平家落人の里」の歴史がある。昭和12年に全村が大火で消失したが、その後、炭焼きなどをして近年まで10家族が住んでいた。そして、誰もいなくなった山村集落が、「重要伝統的建造物群保存地区の『加賀東谷』は4つの集落で構成されています。大土はその最奥の集落です」。と、紹介されている。

「温故知新」は、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と、訓読する。中学生時代に覚えた四字熟語を懐かしく思い出した。800年前に落人が住みついた、大土の暮らしには違和感はない。便利社会に慣れて、ストレスを溜め込み、高齢社会を生きている我が身だが、直ぐにでも溶け込める自然体の生活環境である。

数年来より、独居生活を楽しんでいる。夏は涼しく、冬は寒い風が吹き込む古民家は、我が「五徳庵」と似ている。そして、いつの日か、五徳庵から自然に旅立つことを願っている。何故ならば、「介護施設」からの旅路へは、毎日、強制される辛くて長い時間が続くという。

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「久弥も白山を見て育った」 2016年11月21日T22:00:29Z 2016年11月22日T07:00:27+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67276247 晩秋の晴れた日になると、必ず白山を見る。幼きころから身についた習慣だろうが、頂上の白くなった部分が、だんだん増えてくるのを待っている。「白山は白くなきゃ、白山じゃない」の、自説を曲げていない。▼観光案内所で、当番役をしていたら、レンタルロッカーを利用... 大聖寺雑感 晩秋の晴れた日になると、必ず白山を見る。幼きころから身についた習慣だろうが、頂上の白くなった部分が、だんだん増えてくるのを待っている。「白山は白くなきゃ、白山じゃない」の、自説を曲げていない。

▼観光案内所で、当番役をしていたら、レンタルロッカーを利用する同世代が訪れた。ロッカーの利用時間は午後4時までだということを告げると、4時ごろの電車で帰るから、それまで「山の文化館」へ行ってくるという。

▼これまで登った山の数は幾つですか、と投げかけると、「50ぐらいかな」。と、重い答えが返ってきた。それはたいしたものです、「時間と金と健康」の3拍子がそろわないと登れないから・・・と応えたが・・・。「若い時分で、いまは低い山歩き・・・」。「生家は、今も商売しているのかね」には、やっていますと応える。

▼「本光寺で墓参りもしたい」から、地図がほしいという。深田久弥が眠る菩提寺をコースに入れている、若い頃山登りだった遠来者は、初めての大聖寺のことをかなり知っていた。そして「今日は富士ヶ岳は見えるかね」には、高いところに登れば姿は見えると応えたが、この夏、錦城山に建った「百名山発刊50年周年記念の石碑」のことは案内しなかった。

▼久弥のことに詳しく、今でも山歩きをする元気な高齢者に、暗号を覚えて施錠するロッカーは、番号を忘れる場合があるから、解除の時に開かないと伝えたが、土産袋を預ける老人が「カッチン」ときた表情は、手に取るように分かる。そんな同世代に出逢って、わが身を写す鏡を見ているようだった。

▼我輩だって、大聖寺から見える「白山、富士写ヶ岳、鞍掛山」は登っている。百名山の「岩手山、八幡平、蔵王山、磐梯山、妙高山、穂高岳、乗鞍岳、御嶽山、八ヶ岳、富士山、荒島岳、伊吹山、開聞岳・・・」の、「百名山」の20ヶ所ぐらいの麓までは行っている「山好き」だが、本格的な登山家からすると、眺めるだけじゃダメだということも知っている。

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「老人には、席を譲らない。」 2016年11月20日T22:00:25Z 2016年11月21日T07:00:15+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67202812 アクセルとブレーキの踏みまちがいで、老後の人生が「こわされ」た自動車事故が多発している。全国で、これまでの事故件数が5830件は、語呂合わせで「5830(こわされ)」たというらしい。報告されただけでも、1日16件もあるというから他人事ではない。運転歴半世... 「吾亦交」雑感 アクセルとブレーキの踏みまちがいで、老後の人生が「こわされ」た自動車事故が多発している。全国で、これまでの事故件数が5830件は、語呂合わせで「5830(こわされ)」たというらしい。報告されただけでも、1日16件もあるというから他人事ではない。運転歴半世紀以上もあるからと、自慢にもならない。

▼踏みまちがいではなかったが、「うっかりミス」で車体に残っている傷跡を見るたびに、これまで無かった身体機能の老化を意識する。先日の高齢者運転免許書証更新前に受けた講習会での項目を再確認してみた。

▼1交差点安全進行義務違反、2脇見運転、3安全不確認、4一時不停車、5漫然運転、6運転操作不適、7信号無視、8動静不注意(相手の動きをよく見ていない)。自己分析すると、5漫然運転と8動静不注意が原因で接触事故につながっていた。

▼横断歩道を渡る歩行者は、左右確認してから渡ろう。と、教えられている。運転者にも視野を広くハンドル操作で、安全運転を義務付けられている。だが、昨今の足元の操作を間違えて、事故につながるとは思いもしなかった。

▼昨日のブログの続編になるが、「ためしてガッテン」の「耳石(じせき)」障害が原因ではないかと老人は考えた。宇宙から帰還した飛行士が、地上に降りるときに足元が定まらず、介護されながら検査施設へ送られる。1時間も運転していると、若者でも正常に足元が定まらないという。運動不足の高齢者は、1時間座っていると22分も命が短くなる。

▼老人が電車に乗ってきたら、席を譲るマナーが「老人に優しい」日本の美徳とされてきた。だが、運動不足の老人は、電車に乗った時ぐらいは、立ったままの姿勢で運動しよう。と、いうような「老人には長生きしてもらいたい」という標語が、車内にぶら下がる日も来るかもしれない。

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「月待ちのかくれ里には光る星」 2016年11月19日T08:42:24Z 2016年11月20日T07:00:35+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67246443 雨で見損なった36年ぶりの「スーパームーン」を見ておきたいと思った。先日は小春日の穏やかな日だった。今夜の「十八夜月」は見えるだろうと、昼から待っていた。暗くなってから、今か今かと待っていたが、なかなか月は昇ってこなかった。結局10時まで待って、あきらめた... 大聖寺雑感 雨で見損なった36年ぶりの「スーパームーン」を見ておきたいと思った。先日は小春日の穏やかな日だった。今夜の「十八夜月」は見えるだろうと、昼から待っていた。暗くなってから、今か今かと待っていたが、なかなか月は昇ってこなかった。結局10時まで待って、あきらめた。十八夜月は「居待月」という。居は「座る」の意味で、立って待つには長すぎるので「座って月の出を待つ月」。座ってても疲れるかも。と、辞書にもあった。

▼月の出を待つ時間帯に、待っていました!。「遠藤」の金星相撲を見ることができた。怪我から復帰して、その実力を先場所に残した。今場所は、連日対戦した三大関を倒した結果に驚いていたが、まさかの白鵬からの金星だった。たいしたものだ、拍手である。

▼夕食の用意をしながら。もう一つ、完成を待っていた映画「匠のかくれ里・加賀市」が、「YouTube」でも見られると言うから、大相撲と同時にスイッチオンしていた。

▼「匠のかくれ里・加賀市」の18分映画を感慨深く見入った。企画から、映像資料集めや原画チェックなどの編集会合に、初めて関わった数ヶ月だった。制作したのは、「NPO法人歴町センター大聖寺」。プロデューサーの瀬戸事務長は、これまでの地域の活性化活動に尽力してきた「まちづくりの匠」のようだった。

▼独自のアイディアを駆使した「まちづくり」。誰もが真似のできない「匠の技」は絶品である。出来上がったこれまでの「一里塚・赤瓦セミナー・時鐘堂など」の作品は、企画から完成まで行政に頼らず、「この指とまれ」のアピールに、正義を感じた多くの人が集まってくる。不思議な魅力を感じさせる匠である。

▼そして今夜の、3部作は「自然を造った神々の匠」から、「歴史をつないだ匠」に、「今を生きる匠」たちの作品で、今も多くの市民が恩恵を受けている「匠のかくれ里」の映画だった。スムーズに一句できた。「月待ちのかくれ里には光る星 吾亦交」。

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「木の葉を頭に載せる」 2016年11月18日T22:00:34Z 2016年11月19日T07:00:58+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67198162 宇宙飛行士が、帰還したときに、ふらついて自立できない様子をテレビで見たことがある。そんな、「NSA(米航空宇宙局)」の研究報告から分かった。人間は1時間座り続けると、寿命が22分短くなるという。「ためしてガッテン」を見た。「耳石(じせき)」の動きが正常で... 「吾亦交」雑感 宇宙飛行士が、帰還したときに、ふらついて自立できない様子をテレビで見たことがある。そんな、「NSA(米航空宇宙局)」の研究報告から分かった。人間は1時間座り続けると、寿命が22分短くなるという。「ためしてガッテン」を見た。「耳石(じせき)」の動きが正常でないと成人病などになる原因だという。30分に1回立ち上がると長生きできる。そうなんや!、「ガッテン」と、テーブルを叩いて椅子から立ち上がり、テレビを見ていた。

▼老後の体調管理も含めて、清掃作業員として、ランダムに隔日ペースに勤めるビル掃除の仕事には、床や階段の掃除、トイレ掃除、ガラス窓拭きや、一般ゴミの回収などの他に、この時季、敷地内の落葉掃除もある。

▼実働6時間勤務は、長い廊下を歩く。立ったり、座ったり、屈み込むなどの作業である。携帯「万歩計」は、平均7〜8000歩を示している。そんな作業に従事して7年目を迎えているが、「快眠・快食・快便」と体調は極めて良い。

▼落葉が舞うある日のこと。ゴミ袋をいっぱいにした落葉を持って、施設内の銀行業務の窓口で、「これを、両替してほしい」と真顔で頼んだ。窓口の女性も真顔で、「すぐにはできませんが、自宅に帰ってから、狸の頭に載せた葉っぱをくるりと回しながら考えてみます」。

▼3時の閉店前に、もう一度、窓口で「若い女性に、似たような問いかけをしたら、変なおじさんという顔をされた」。この報告を聞いた彼女は、しばらく笑いこけながら「しまった!。わたしも、そんな応対をすればよかった・・・」と言って、シャッターを閉めた。

▼「なまけものは、人間のクズや」と、昔から耳から聞かされていた。地球に人類が誕生した200万年まえから、「生きる」ことを知っていた人類の祖先に対して脱帽だ。たまには、木の葉を頭に載せてみるのも一考かもしれない。

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「面白いことは人にやらせない」 2016年11月17日T22:00:16Z 2016年11月18日T07:00:01+09:00 tag:blog.livedoor.jp,2016:dkastaff.67165565 「人生一寸先は闇である」。ふと、そんな言葉を思いだした。日曜日に放映した、アニメーターの「宮崎駿」の「終わらない人・・・」と、題した「NHKスペシャル」のDVD録画を、仲間に依頼してまで観たかった。録画は、「活性化サロン」の大型テレビで見ることができた... 「吾亦交」雑感 「人生一寸先は闇である」。ふと、そんな言葉を思いだした。日曜日に放映した、アニメーターの「宮崎駿」の「終わらない人・・・」と、題した「NHKスペシャル」のDVD録画を、仲間に依頼してまで観たかった。録画は、「活性化サロン」の大型テレビで見ることができた。予告編の感動は間違っていなかった。

▼2013年に引退した宮崎駿は、引退していなかった。誰もいなくなったジブリで、手書きの漫画をインターネットの画像処理を駆使して長編映画の制作を模索していたという。引退後の700日間は、悠々自適の生活でなく。次なる制作にスタッフを集めてCG画像の制作をスタートしていた。

▼長年温めていた幻の映画、「毛虫のボロ」のCG制作に取りかっていた。230万本の毛が、コンピュータの自動計算で書き上げるという時代になってきている。手書きの絵コンテから、CGで仕上がる別世界の制作現場の様子を見た。

▼残された時間をどう生きるか。同世代の彼とわが身を重ねる。住む世界は違うけれど、見習うことがある。若いスタッフから、「眼力が違うから、元気に見える」と勇気づけられたが、「後期高齢者だよ」と照れていた。友人が先に死んでゆく現実に会いながらも、もどかしながら目標に向かっている。

▼手書きの絵コンテが、コンピュータ画像処理でうまく描けない。「生まれた」毛虫のボロを表現したいが、いまいち表現できない事で悩んでいた。「30代とか40代の沸き立つような気持ちになんて持ちようがない」。同感である。彼を動かす原動力はなんだろう。「何もしないことがつまらない」という。同感である。

▼「面白いことは人にやらせない」。「生き物の気配がない」、「夜の魚を描く」。悩んでいたことを見つけた。それから、来る日も、来る日も毛虫の大群を描きつづけていた。「何処へたどり着きたいのですか」。だから、「生きることは映画を作ることです」。生きる世界は違っても、余生のわが身と、相通ずることを確認した。

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