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「鍛冶町(かじまち)」「鉄砲町(てっぽうまち)」「弓町(ゆみちょう)」は名前の通り、大聖寺藩の武具の修繕を行う「鍛冶屋」「弓屋」、鉄砲足軽らの居住地と言われ、職人などが多く居住したという。鍛冶町は主要地方道・橋立港線に面し世帯数は二十八軒。橋立港線から西側に向って一方通行を中に入ると肉屋、雑貨屋、衣料品店、製茶店と多くの店が軒を連ねる。

▼戦前までは、願成寺は七百年以上の歴史を持つ浄土真宗の寺で、四月の蓮如忌には吉崎御坊参りを終えた市民が同寺に立ち寄ってお参りし、鍛冶町の商店は息つく間もなく大繁盛したという。と、三代続く同町で衣料店の奥さんが当時を振り返った。平成2年に掲載された北國新聞のコラムより抜粋転記した。

▼そんな願成寺の前に「山田宗美生誕の地」の石碑が、末裔が住む玄間口に建っている。山田宗美は、明治4年大聖寺藩御用の家系に生まれた。父親に象嵌(ぞうがん)・鍛金(たんきん)を学び、20歳の時に苦心の末「鉄打出技法」を創案した。その技は誰もが奇跡としか映らなかったという。

▼「鉄打出(てつうちだし)」とは、一枚の薄い鉄板を、熱を加えながら金槌を使って打ちのばし、打ち絞ることによって立体的な造形をつくりだす技法。・・・技法の詳細を伝える資料は残されておらず、現在は誰も再現できない「幻の技法」だという。

▼「山田宗美」没後100年を記念して、「鉄に生命を吹き込んだ男」として、「加賀市美術館」で7/9から9/4まで開催されている。全国から集められた宗美の作品が50点、弟子宗世の作品18点。「百聞は一見に如かず」で、美意識に縁遠い者でも圧倒された。。

▼「鉄は熱いうちに打て」と言うが、銅や銀とは異なり、冷えると弾力性がなくなりたちまち硬い物質にかえってしまう。当方の老体も冷え切った鉄に例えられる。伝承技法は誰もが分からないというが、「打出の小槌」のように、打てば何でも自分の好きなものが出来るという。老体のハートにはいつまでも熱いものを感じていたい。

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