大相撲初場所も終わった。期待していた二人の郷土力士を、来場所、幕内取組みで見られないのは、私だけではないと思うが、たいへん残念である。人気力士で場内放送が掛かると一段と拍手が多かった「遠藤」や初入幕で期待された「輝」には、来場所には頑張ってほしいと願う。そして、また幕内取組みで「石川県出身・・・」のアナウンスを聞きたい。
▼相撲によらずスポーツ選手の一番のファンは、どこに住んでいても郷土出身選手を応援する。プロ野球では国民的人気があった「松井秀喜」と根上町を同郷に持つ、都内での営業マン。自己紹介には、必ず「松井選手と同郷です」と自慢していたという。
▼プロ野球が日本に発足したのは、大正9年(1920)。この年の9月に「関東大震災」があった。日本初プロ野球創設には「河野安通志(こうのあつし)」が関わったが、大震災復興でスタートは頓挫した。
▼学生野球の投手として当時ナンバー1であった河野は、昭和期になってからも戦前、戦後のプロ野球の基礎を築いた。1936(昭和11)年にプロ野球リーグが結成されて、名古屋軍の総監督に迎えられたが、理想の球団を目指しイーグルスを創設する。
▼今日のプロ野球が繁栄している創世期時代に、功績があったことで、1960(昭和35)年。「野球殿堂」入りをした。当の河野は既に1946(昭和21)年、61歳で没していた。
▼「プロ野球の生みの親」の称号が与えられた「河野安通志」は、1884年(明治17年3月31日)に加賀市大聖寺町で、大聖寺藩士河野通理の子息で誕生した。河野家は二代藩主利明から仕える儒学学者の家系ではないかと推察されるが、明治30年。一家は横浜へ転居し、野球に親しむようになった。
▼「河野安通志」が大聖寺出身だと知ったのは、2年前の「ふるさと人物講座」だった。「日本プロ野球界の生みの親」という肩書きにも驚いたが、そんな人物がいたことも知らなかった。地元の歴史的人物を公開したこの講座の効果が、この秋に加賀市が「集客」につながるイベントを開催することに、行政が動き出すのではないかと思う。
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