[フレーム]

先日のテレビ番組で見た、「古館伊知郎」が司会するニュース番組に、小池龍之介氏がゲスト出演した縁で、「古代のインド仏教・・・」とは、とそこまで言ったら即、「法句経(ほっくぎょう)」のことだね。という御仁に会った。その固有名詞を知らない者からすると、10歳以上も年下の彼を、尊敬の顔で見てしまった。

▼僧侶に教わったのなら当然だが、休憩時間の喫煙室で、いつも顔見知りの愛煙家。地方公務員の彼は、実家がお寺でもないという。若いころから仏教に関心があって、勉強してきたのだろうが、平常そんな素振りもしないから、雑学では、先輩の老人もビックリした。

▼例えの経文の一部を教わった。1車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように」。 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。

2「影がそのからだから離れないように」。 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。

彼の短い説法から、聞き流しをしないで、専門書の一部を引用して書き残した。BC500年ごろ「ブッダ」が悟りを得てから、100年後に設立された仏教教団は、修行僧が中心の「小乗仏教」と、大衆仏教を目指すグループに分裂し、インドから南へ北へと伝来していった。日本には、538年に伝来して聖徳太子によって広められた。

▼そんな仏教は、現在に至っているが、宗教活動の中で、民を心の苦しみから救うというより、ご当地の仏教寺の一部は、「葬式仏教」になってきている。ご寄進によるお寺の運営や、高額金で買い求める衣装で、信者のランク付けを行っているという噂も聞く。

▼そんな世相の中で、初めて知った「法句経」は、新鮮な言葉として沁みこんだ。合掌。

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット

↑このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /