朝7時から、翌日の夕方5時までの34時間。テレビやパソコンを見ることが出来なかった。ガラ系携帯は身に着けていたが、電池不足で遮断状態。緊急入院とか別件の隔離状態ではない。市内の有識者が参加した、一泊二日のバス旅行に、記録係りとして便乗した。
▼旅行名は、明日の大聖寺を語る「復元された古城と能舞台を巡る旅」。参加者は15名。バスガイドは加賀市の職員が兼ねる「視察旅行」だった。しかし、宿泊ホテルには、テレビが各部屋やロビーにはあるだろうと思っていたが、なかった。また、加賀市の職員が運転する中型バスにも、マイク以外の音響設備もなかった。
▼宿泊先の山の上には、平成10年に廃校だった小学校舎を改装した「ユース・ホステル」。そこには、利用目的が研修のための施設だから、商業ベースでは当然あるテレビも必要なかった。
▼文句を言っているのではない。雑音が遮断された貴重な体験だった。寝床は宿泊客がセットする。食事は用意されていたが、配膳と片付けは自分たちで行う、カウンターまでのセルフサービス。話には聞いていたが、参加者には特別なことではなかった。自宅での、日常茶飯事の作業をしながら、一夜を共に枕並べて寝て、食卓を囲む初対面同士が、自己紹介を兼ねた豊富な話題に、花が咲いた時間でもあった。
▼巡ったコースは、高低さのある新旧時代に栄えた町や山村。企業都市「トヨタの豊田市営の能舞台」や、山村の標高300メートルにそびえる「足助城」。戦国時代に原型が形成され、「重伝建・足助の町並み」に、徳川家康のルーツでもある国指定の「松平氏遺跡」。戦国武将今川義元が、「桶狭間合戦」で敗れる直前に、軍議をした「沓掛城址跡」。この合戦で織田軍の「築田政綱」が沓掛城主になり、天正3年(1575)に『加賀国大聖寺城主』に赴任した。そして、「彦根城に復元された能舞台」を視察して、帰路に着いた。
▼世界のトップを走る「トヨタ」を育てた豊田市の施設を見て、歴史をさかのぼり、高低差のある起伏にとんだ地形を登り下りした旅だった。
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