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「梅は咲いたか、桜はまだかいな・・・・」から始まる「江戸端唄」。この続きはあまり知られていない。「梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳ゃ なよなよな風次第 山吹や浮気で 色ばっかり ションガイナ・・・・」。歌詞にある、梅、桜、柳、山吹は花柳界の「源氏名」の芸妓のことである。梅の花は若い芸妓、桜は、梅より先輩の姐さんのこと。柳は「よなよな」とした移り気、山吹は「実を結ばない」浮気性であることを詠んだ意味である。

明治時代の大聖寺には、織物業の繁栄と北前船主の財力家が料亭の客だった。庶民には無縁の世界。当時、北陸地方一番の料亭「鯉昇楼(りしょうろう)」の滝川家は2000坪の屋敷で芸者1520名が常勤していた。場所は、穴虫(錦町)の「五徳庵」の東側一帯。他には、魚町の「清仁(せいに)」の清水屋家。「千歳(ちとせ)」の堀家。「公均(こうきん)」の紺谷家の一部は、江沼神社の「公均の間」に移設されている。「桂花楼(けっかろう)」の桂田家は敷地にあった。

▼2012年1124日。「史跡と文化財」をテーマーで、大聖寺が繁栄していた頃の話があった。大聖寺町史編纂委員の見附裕史(ゆうじ)先生の講演での一部を抜粋する。

▼「都々逸」という口語調の『七・七・七・五」の定型詩歌があった。男女の恋愛情歌で酒宴をしんみり盛り上げた。「えエ、そとは月、 酔いがまわると もうこれからは『ドンブバチャ ウイタウイタ ステテコシャンシャン』 主さんの手出しを待つばかり」。「色が黒くて お嫁に行けない 山のカラスは『ドンブバチャ ウイタウイタ ステテコシャンシャン』 後家ばかり」。

▼4日前に、庭の桜の枝を折り、ストーブのある居間に活けた。うまく水が揚がって、3日前には満開。そんな桜を見ながら、ふと、むかし覚えた「都々逸」の一節を口ずさむ。ふるき、よき時代のひとときを懐かしく思い出している。

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