愛読している北国新聞コラム「時鐘」に、大聖寺に生まれ育った「岩原謙三(いわはらけんぞう)」の業績の一部が掲載されていた。今では歴史上の人物になっている岩原謙三の名前が新聞記事に出るとうれしくなる。まるで親戚の叔父さんのことが出ているのと同じくらいに、3回読み直した。
▼国宝や重要文化財を長らく保存してきた各地の大名家から、維新後の明治期になって日本の美術品が大量に散逸したという。それを救ったのが新興経済人であったという。成金趣味でなく、日本文化の崩壊を食い止める自負からだという。そんな立派なことをした経済人には、三井財閥の益田鈍翁(ますだどんのう)や東芝会長やNHK初代会長を勤めた岩原謙三(加賀市出身)らが知られる。
▼岩原家の菩提寺である「蓮光寺」の伝わる「大茶盛り」にも、「茶人・岩原謙三」が関与していたことが住職の話の中にうかがえる。NHKテレビの番組に、出演依頼をよく引き受ける「瀬戸達(せとさとる)氏が、岩原謙三の生誕150年に当たる昨年、「顕彰碑」を建立するに当たり、地元金沢NHKとの窓口になっていた。
▼このことを知った当時の金沢支局長も「実はわたしも『岩原謙三基金?』を受けて大学を卒業できた」という。「顕彰碑」建立で、岩原基金の存在と個人情報も知ることが出来た。と瀬戸氏はいう。今度は「ふるさとの偉人」のなかで誰の顕彰碑を建立するのか。
▼もう決まっているみたい。「篠原籐平(明治6年〜昭和3年)」 大聖寺の絹織物商人。織物利権を独占することなく仲間に開放して、地域産業発展に寄与した。しかし、史実はここで終わらない、苦境に落ちたとき、業界の多くの人が彼の恩に報いるために、倒産した会社をよみがえらせるという美談は、まだ、続いた。若くして病魔に逝った「篠原籐平」の功績碑を建立した。しかし・・・・。
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