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2015年11月

「サンデー毎日」という老舗の週刊誌がある。定年後の多くのサラリーマンだった人は、毎日が日曜日となる。それを、モジって「毎日サンデー」と言っていたことがあった。小生も、また、ミニ現役に戻った。「週3日」の労働者で、「毎日サンデー」ではない身分である。ありがたいことに、健康だからこその「サンキュー毎日」でもある。

23日は「勤労感謝の日」。勤労者として、祝ってもらうというより、自分に「ご褒美の日」だ。勤務のローテーションで、20日から24日までの5連休でもある。「ご褒美」といえば、19日に「ジョボレ・ヌーボー」解禁。「松茸」、「コウバコ・ガニ」と、まだ、初喰いもしていない山海の味覚に、ヨダレが出る季節でもある。

▼本来は、収穫物に感謝する「新嘗祭」という宮中の行事であった。しかし、戦後、GHQの圧力で宮中行事を祝日にすることが禁止されて、「勤労感謝の日」になった。いまでも、全国で選ばれた農事者の「献穀田」で収穫された「献上米」を、宮中に奉納する大事な宗教行事でもある。

▼「五穀豊穣」という、古代より人類が生きるために1番大切な「収穫祭」として、八百万の神々に感謝する日でもあった。飽食の現代、忘れがちな食物への感謝する習慣は、千年前から続けられていたことを、いま一度、再認識のために、復活してもいいのではないかと思う。

▼「初物」を食べる時には、日が昇る「東を向いて笑え」。とか、日常食べられない初物を食べると「75日長生きする」など、食物を育てる太陽や経済的に余裕のある環境に感謝することが、日常生活でも、当たり前なことであった時代を想い出す。

▼昨今、「ご当地B級グルメ」などとアピールして、地域興しブームである。観光客向けのご当地の、九谷焼と山中漆器に盛り付けられた香箱ガニの、おもてなし膳の「加賀カニごはん」を、まずは地元民が食べるブームにしたいものだ。取りあえず、感謝を込めて食べてみたい。

晩秋の3連休の初日は、寒い風が吹く土曜日になった。紅く色づいていた紅葉葉が、道路上に舞い落ちている。まもなく、落葉樹の木々は、葉を落とし、寒い時期を迎える準備に入る。そして、寒い時期の主役である「椿」には、もう、赤い花が咲いている。

▼大相撲中継が始まる前に、故「北の湖理事長」の遺体を自宅に乗せて帰る寝台車は、11月場所の福岡体育館前で、見送りする協会関係者やファンに、お別れをして東京に向かった。

▼きのうも、開催場所に姿を見せていたが、途中から体調が悪くなり急遽入院して帰らぬ人となったと、郷土、北海道の先輩である大横綱を破って、横綱になった九重親方(元千代の富士)が解説していた。強い横綱を如何にして破るかが、上を目指す力士たちの大きな目標であったと、想いで話しをしていた。

▼遠藤はきょうも敗れた。踏ん張れないほど足腰に違和感がある。力士にはケガがつきもの、きょうになって体調の悪い三力士が、怪我で休場になった。1横綱1大関2関脇を破ったご当地力士の嘉風が大関豪栄道も破って勝ち越した。若々しい取り組みで、来場所期待される。好きな力士稼業を楽しんでいると、インタビューに答えていた。

▼きのう全勝で来た、白鵬を破った日馬富士は、鶴竜に勝った。そして、白鵬は、きのうに続き日馬富士の弟力士の照ノ富士に負けた。伊勢浜部屋の兄弟力士の連携プレイに負けた感じでもあった。おもしろくなって来た今場所の行方は、誰が勝つか。

▼きょうのブログは、大相撲の実況記事になってしまったが、人生の縮図を見るような土俵の取り組だった。相撲で勝っても、勝負に負ける取り組もあった。「猫ダマシ」という奇襲作戦で勝った横綱を非難した理事長は、もうこの世にいない。そんな評価を聞いた横綱は、「変な質問」と横綱の品格に似合わない応対だった。「相撲道」を理解させるには、やっぱり外人には無理である。

先日のテレビ番組で見た、「古館伊知郎」が司会するニュース番組に、小池龍之介氏がゲスト出演した縁で、「古代のインド仏教・・・」とは、とそこまで言ったら即、「法句経(ほっくぎょう)」のことだね。という御仁に会った。その固有名詞を知らない者からすると、10歳以上も年下の彼を、尊敬の顔で見てしまった。

▼僧侶に教わったのなら当然だが、休憩時間の喫煙室で、いつも顔見知りの愛煙家。地方公務員の彼は、実家がお寺でもないという。若いころから仏教に関心があって、勉強してきたのだろうが、平常そんな素振りもしないから、雑学では、先輩の老人もビックリした。

▼例えの経文の一部を教わった。1車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように」。 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。

2「影がそのからだから離れないように」。 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。 もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。

彼の短い説法から、聞き流しをしないで、専門書の一部を引用して書き残した。BC500年ごろ「ブッダ」が悟りを得てから、100年後に設立された仏教教団は、修行僧が中心の「小乗仏教」と、大衆仏教を目指すグループに分裂し、インドから南へ北へと伝来していった。日本には、538年に伝来して聖徳太子によって広められた。

▼そんな仏教は、現在に至っているが、宗教活動の中で、民を心の苦しみから救うというより、ご当地の仏教寺の一部は、「葬式仏教」になってきている。ご寄進によるお寺の運営や、高額金で買い求める衣装で、信者のランク付けを行っているという噂も聞く。

▼そんな世相の中で、初めて知った「法句経」は、新鮮な言葉として沁みこんだ。合掌。

「不便だけど、不幸じゃない」という。「ヘレン・ケラー」のキャッチコピーを提唱しながら全国での講演回数が100回以上だという。61歳のアルツハイマー型認知症の男性は、ひとり暮らし。佐藤雅彦氏は、中学校の数学教師からコンピューターシステムエンジニァーとして勤務していた。ところが、43歳のころから物忘れがひどくなり、技術職務から配達業務に配置換えをしていたが、外出先から会社へ戻る道も分からなくなり51歳で退職した。

▼そんなテレビ番組を偶然に見てしまった。もちろん「認知症」にはなりたくないという思いが強かった。そして、「転ばぬ先の杖」的な、予防策があるのかという期待の方もあった。

▼ドキュメント画像は、認知症を患ってからの活き方、考え方を同病で苦しむ仲間に、「介護されるより、助けられて、独りでも生活できる」事を広く伝えるために「日本認知症ワーキンググループ」の共同代表として、全国を講演している内容だった。

▼「あすはわが身かもしれない」という恐怖観念は持ち合わせていないが、やっぱり気になる。彼と似たような生活環境だからでもある。アルツハイマー病の発病要因はまだ、分からないらしいが、生活習慣病(糖尿病)の予備軍に属して、喫煙常習者でもある。

▼酷(ひど)く汚れていることを、「こきたない」とご当地の古い方言がある。下手な駄洒落で、「古希(こき)たない、老人にはならない」と、若いころから意識していた。最悪状態は、「着物の前をはだけたボケ老人が、うろつく姿にはなりたくない」。

▼海に落ちたら、もがかずに力を抜いて、浮かぶことが一番だと聞いている。生来、「金槌(かなづち)」だから、海では生きられないが、地上ではしっかりと大地に根を張り、肩の力を抜いて「生き抜く」ことも知っているから、最悪の姿に成るまで、しばらくの時間はあるだろうと思っている。

時間が経ったら、呪われた13日の金曜日。「フランス・パリ同時多発テロ事件」と、名付けられるのかもしれない。IS(イスラエル国)武装グループが、1月のパリ新聞社襲撃に続いて、また、パリの街中で同時テロ事件を起こした。テロでの死者129名という、多数の一般市民が犠牲になった。この事件は今後、どんな風に発展して行くのか、警戒するしかない。結果と原因の因果関係は、後日の歴史が証明してくれるだろうが、いやな世界情勢になったものだと思うしかない。

▼これは、戦争でもある。だが、2国間の利害から起こる従来の戦争とは、様子が違って見える。対立する国同士が見えない。見えない集団との戦争でもある。「イスラム国」と名乗っているが、仮想の国。何が目的で戦争を仕掛けているのか、分からない。おかしな戦争でもある。

▼「テロ」とは、「テロリズム」の略。何らかの政治目的のために、暴力やそのほかの脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義。と、辞書にあるが。狂った集団が、無抵抗の市民に対しての「無差別殺人」であることに間違いない。

▼世界の「歴史家」は、歴史結果を精査して、今後に起こるであろうという悲劇を予知してきたが、何度、学習しても戦争の悲劇回避という成果につながっていない。愚かなる人類の歴史でもあった。

▼人間は、おのれの存在感を認めて欲しいという欲望がある。それが、「生きがい」にもなっているが、そんな自己主張が貪欲になると、「心が貧する」という。テロ集団は、「殉教的な自爆」と「操作された自爆」があるというが、「神風特攻隊」で多くの若い兵士が、自爆した悲しい戦争記憶も想い起こされる。

▼先日テレビ出演していた僧侶「小池龍之介」は語った。彼の古代インド仏教を伝える著書「しない生活」が気になる。宗教は戦争も起こし、また、世界平和も叫ぶ。そして、心の悩みにも答える。不可思議な思想でもある。

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