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2015年10月

「無くて七癖(くせ)、有って四十八癖」。人には多かれ少なかれ癖がある。という。他人の癖には、敏感に感じるが、わが身の癖には、他から云われないと、気がつかないのも事実である。しかし、そんな癖を告げる人は、ごく身近な人でも、云わないのも常識である。

▼笑いを取る「ものまね芸人」の表現で、有名人の仕草やコトバの独特な合間のクセを、モノマネの「芸」として、表現する時に使うが、それ以外、他人の変なクセを表現することはタブーとされている。

▼むかし、総理大臣の演説なかに、出だしの「アウー、・・・」を何回云ったかを数えたことがあった。数は忘れたが、それもクセ。「弁舌さわやかな」政治家でなかったが、リーダーとしての実力があったらしい。その政治家を「アウーの人」で、通用していた記憶がある。

▼他人事ではないが。私にも、中学生のころ、「六発君(ロッパツくん)」というアダナが付いていた。授業中の質問や答える時に、「アノー・・・・」が6回あったという。それを数える同級生が、1発、2発・・・と、カウントする小声の情景を思い出した。「社会の時間」だった。

▼教科書に、戦前の政治体制のことが書かれていた。国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれていた。その「専制政治」のことを、質問した。戦後9年目のことだった。先生からの答えは、「そんな事は、どうでもよい」。

▼先日、出身県が違う人と、長時間一緒に過ごすことがあった。初対面だったから、これまでの人生の中からの世間話に花が咲いた。方言遣いのイントネーションで、固有名詞が解かりづらいのか、彼から何度もオウム返しに聞かれる。

▼私の方言混じりのコトバは、他県者が聞こえるクセ言葉。分からないもの理解できる。しかし、いちいち、オウム返しに問いただすのも「クセ」でなかろうか。

今年の第3回「加賀ふるさと検定」は、1129日に行われる。それに先立ち予習を兼ねた講義が3回行われる。先日も2度目の受験に備えて受講した。今度は「上級」を目指している。昨年勉強したテキストを最初から読み直しているが、13,000年前の旧石器時代、人類痕跡が発見された宮地町の「琵琶ケ池」近くで見つかった「宮地向山遺跡」のところから、検定には直接関係のない、地球の歴史をさかのぼっている。

▼13,000年前の当時はどんなことをして、人類は生きていたのだろうか。空想や妄想が入り交じって、前に進まず楽しんでいる。宮地町に棲みついた人たちは、どこから来たのか。なぜその場所だったのか。何を食べて生きていたのか。

▼考古学の門外漢は、素人的発想で考えた。現在の柴山潟を含めて、作見地内の松ヶ丘当たりまで、日本海とつながっていたと思われる。その地続きの宮地町の琵琶ケ池付近も海岸だったと思う。

▼日本列島に住み着いていた人たちは、消滅した「ムー大陸」から、大陸棚に移り住んだ原住民だったかもしれない。13,000年前と言えば、幻の「アトランティス大陸」が、地盤沈下で水没した説と符合する。

▼2億5千年前の大陸移動説があった。「パンゲア大陸」から始まった大陸移動の末、「ムー大陸」の一部に今の日本列島も含まれていたかもしれない。そんな頃にあった「アトランティス大陸」は、高度文明で繁栄していたという。「クローン人間」がいて、「クリスタル工学」も発達し、いながらにして世界中を瞬時に移動できる装置もあったという。そして、労働者だった「人工人間」たちにも、自立する能力が生まれ、「レザー光線銃」で、造った人間に反抗する暴動が起きていたという。予言者の「はなし」を思い出した。

▼あれから、13,000年後の現代の地球環境と、何だか似ている。気象観測して初めて記録だという洪水が各地で頻発している。科学分野も頂点に近づいている。温暖化。海水面上昇。暴動。そして、「歴史は繰り返す」というコトバもある。

朝、東の空に「地震雲」と思しき雲を見た。一見、「飛行機雲」みたいな、横一線の長い雲だった。遠くに霞む、白山の頂に雪化粧した翌日のことだった。朝から晴れ渡った秋空に、くっきりした帯雲に伝説化された「地震雲」は、東海地方に「地震あり」を予知していた。その、4日後の昨夜、鳥取県で小さな地震発生。テレビ画面で速報していた。

▼いつ何時、日本列島に地震が起きてもおかしくない、今日この頃。起きては困ると思いながら、ついつい、そんな雲を発見したら、予言が当たるかもしれないという思いで、興奮を覚えてしまった。夕方、ネットのツイッターを見たら、各地で同時刻の雲を見て、「地震雲」だと発信した記事があった。しかし、雲の形が違う。縦型の短い雲であった。各地の見上げる場所での形が違うのは当然かもしれない。

▼そんな異様な雲を各地で「地震雲」と感じた発見者が意外に多かったことに、ちょっと「ジシン」を持った。しかし、即、当たらないことを願ってしまった。明日の天気予報の当たり確立は、いつもながら100%ではない。だが、そんな予想は、大昔から人類にとっては、生きるために、明日の天気は大事なことだった。

▼天気予想は、占いでは難しいから、空の雲の動きや気温に風が基本になっていた「観天望気」が気象台の代わりをしていた。「朝焼けの雨」「夕焼けは晴れ」「山が遠くに山が見えれば晴れ」「山が近くになれば明日は雨」「朝の虹は雨、夕虹は晴れ」「飛行機雲が、すぐに消えるは晴れ。消えないは雨になる」「朝の北風と、夕南西風は晴れる」「カエルが鳴くと雨」「ネコが顔を洗うと雨」・・・・など。各地で天気を予知する多くの知識が昔からあって、テレビの天気予報と今でも十分勝負できる。

▼しかし、いつになっても難しいのは、「人間観察」である。Aさんの評価は、観る人によってまちまち。20年前の職制で、「人事考課」に悩んだ事を、「日本晴れ」の空を見て思い出してしまった。

「皆さんをお迎えして、1番楽しかったのは『わたしです』」。と、3日間の研修旅行を終え、加賀温泉駅へ送り届ける、千葉大学院生を乗せた加賀市役所のバスの中で、ガイド役をしていた「歴町センター事務局長の瀬戸達(さとる)が、締めの言葉を云った。つかさず「2番目は、私です」と、2日間の行動記録をビデオに撮り続けた私も、つぶやいた。

▼9月27日から3日間の「文化合宿」。全行程の記録画像を、初日は3時間50分。2日目を1時間31分。最終日を3時間40分に編集した3枚のDVDを、白山に初冠雪の日だった15日に届いた。

▼そのDVDを、秋晴れの土曜日に、自宅で一挙に見てしまった。まだ、記憶に新しい半月前が再現された。画像からは、「文化合宿」を運営した瀬戸氏と、その活動にボランティアで、取り巻く加賀市を愛する同士が、「阿吽の呼吸」で「おもてなす」記録でもあった。

▼大聖寺の「文化合宿」への要請から、企画や段取りに、関係者との打ち合わせに奔走して、学生たちを感動させた過密巣スケジュール。「すぐにやる」。「瀬戸イズム」。が、引率の大学院教授や、学生にも1番強く印象付けられた3日間であった。

▼歴史ある北陸の小都市。大聖寺の城下町を、後世に残す活動が、「この指止まれ」から始まっての20年間を、行政に頼らない活動を通して、現実化してきた「瀬戸達」の生き方と、「後継者は育てるものではない。誰かが出てくる。」を、あらためて感動しながら見直した。

▼今回の研修後にあるレポート提出。記録画像が大学院生に役立つ様にと、企画段階からの「気働(きばたら)き」だった。「事の成り行きに応じて即座に心がはたらくこと」「気の利くこと」「気転」。「瀬戸イズム」の原点が随所で見られた。

▼バスが、温泉駅に近づくころ、引率先生も、「お礼の言葉」として、「瀬戸イズム」から学んだことを、社会人になって巣立つ学生たちに強く印象づけていた。

秋の季節は、流れがはやい。気候が安定する10月は、早起きが身についたものからすると、早朝には暖が必要になる。今朝も、クラッシク「名曲のサビ」を聞きながら、夜明けのコーヒーをひとり楽しむ。

▼むかし「夜明けのコーヒーを一緒に飲みましょう」。と、キザな言葉が流行った。とうとう、その言葉を言うチャンスには出遭えなかった。「爆睡(ばくすい)」には、体力がいる。と、いう都市伝説にも、仲間に入れてもらえず、「早寝早起き」が習慣になって来た。

▼「忘却とは、忘れ去ることなり」。の、ラジオドラマ「君の名は」が始まると、その時間帯の女湯の銭湯がガラガラになった時代もあった。菊田一夫原作。春樹。真知子。銀座・数寄屋橋。などのコトバが、子どもだった頃の耳にも残っている。

▼昨今のテレビからは、認知症。介護。安保法案。新・三本の矢。TPP。と時代を象徴するコトバが毎日聞こえてくる。世代間の違いで、聞こえてくるコトバは違うだろうが、関心事以外でも、時間が経つと、当時のコトバが記憶されているハズだ。

▼「記憶遺産」で争っている報道を知った。70年前の戦争中?・直後?にあった虐待事件を、後世に残す「記憶遺産」。戦争とは、勝つために「殺し合う」こと。「喰うか喰われるか」は、自然界の日常的なこと。戦争とは、勝つための軍事行為でもある。だが、「・・・遺産争い」は、なかなか折り合いがつかない面倒な争いでもある。

▼子どもらが夢中になっている「テレビゲーム」。アスリートが活躍する「オリンピック」や格闘技の「ラグビー」でアメリカに勝った試合に、国民が歓喜の声を上げている。すべて勝つことに意義を持って日々訓練している。

▼NHKのスペシャル番組で、自身も東大野球部で選手だった大越元キャスターが、アメリカで活躍している「ゴジラ松井」とのキャッチボールをしていた。そして、アメリカでここまで根付いた野球の魅力が分かったと言う。相手が受けやすい胸の位置に、投げるキャッチボールは「おもいやりの精神を養う」こと、だったことを。

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