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「余所者が大聖寺の目玉を見つけました。私が加賀大聖寺観光案内所を尋ねたのは八月九日だと思います?(台風通過の雨降り)・・・・・男性は自称、市役所でトイレ掃除人と語っていました?・・・・一番の印象は、北陸銀行北側の国道三〇五号線で、余所者から見るとあれは凄いですね。雪が降る為であろうか、お金が掛かってますね。石をひとつづつ並べ、健康足裏マッサージーの様でした。・・・・あれはすごいです。朝日テレビ「ナニコレ珍百景」になりますよ? メディアの力を借りて大々的にアピールすれば、JR西日本、大聖寺駅の乗降率も上昇?街に活気?イベントで国道を歩く?」。

27日の当番日に、こんな手紙が案内所に郵送されていた。「・・・トイレ人・・」だから、わたし宛だと思い、「すごい!健康道路」をあらためて視察に行った。旧大聖寺警察署跡地と北陸銀行にはさまれた、国道305線のコンクリート道路の数百メートルの一部は、たしかに径5センチの丸い石が混ざって並んでいた。言われてみれば「足裏健康道路」だった。

▼わたしも余所者だから、いつ頃、つくられた道路か分かりませんが。専門的に分析すれば、石を一つずつ並べた道路ではありません。昭和39年に国道8号線が開通しております。当時はアスファルト舗装道路でなく、コンクリート舗装でした。大型工事現場には、コンクリート製造プラントを仮設して、生コンクリートを製造していました。

▼そんな時期に街中の道路も舗装されたのではないかと考えられる。当時は砕石工場もなく、海岸で採集された砂や砂利を利用したコンクリートでした。骨材の石は自然石を用いていたから丸い小石でした。

▼半世紀?も経過すると、それまで表面に露出していなかった小石が表面に現れて「足裏健康道」になったということです。わたしも「余所者の着眼点」の立場で、城下町「大聖寺」に残っている遺産を後世に伝えるという活動に、ボランティアとしての参加している。浜松から、「お遍路」で知り合った大聖寺の人を訪ねて来た人からの手紙を見ながら、豊かな発想の着眼点へ、住民の一人として原点に戻り、心をあらたにした。

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