出筆業を生業(なりわい)にしていると、時には筆が走り出す前に、何を焦点にして書けばいいのか途方にくれることがあるという。そんなとき先輩の一言を思い出し、便所へ行くという。「無我の境地」になって気張ると、ヒントが出てくる。
▼わたしの先輩格でもあるコラム「時鐘」に載っていた。そう言えば、御用納め日の休憩時間に、「喫煙室」で第2の職場へ移動してきた顔見知りの元教職員と、寒い話の流れで、むかしのトイレの話になった。彼の生まれ育った家は、田舎の農家。子どもの頃の冬はいやだったという。便所は母屋から離れた別小屋にある。
▼「どうけ」という軟質石材をくりぬいた「便つぼ」を地面に埋めた。そんなところに足を乗せる二枚板がある。板に座って用を足す。通称「寒所(かんしょ)」とも言っていた。人糞は農家の畑の肥やしにもなっていたから、母屋から離れた外小屋からの人糞くみ取りには便利だった。夏には母屋に匂わないが、冬は寒く思い出すだけでも辛かった。
▼でも、そんな便所に「ワラ束」が用意されている家もあったという。使い方の知らない彼が友人宅で習った「お尻拭き」を見事に演じてくれた。電気は通じていたが、「裸電球」だけの時代でもあった。
▼「厠(かわや)」も、同義語でもあるが、もっと昔には「川の上に掛けて作った便所の意」で、便所を囲う家の側の屋の意味だともいう。私も知らない時代のことで、辞典を調べた。
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