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「戦災も震災にも遭わなかったから、後はもうけものさ」。こんなせりふの場面があった。映画「蜜のあはれ」の再生画像(DVD)を見ていたら、金魚屋の兄さんと老作家「室生犀星」が、消息の分からなくなった、恋する「金魚の赤子」を心配する場面だった。

▼金沢生まれで、明治の3大文豪だった「鏡花・秋声」と「室生犀星」(1889〜1962/72歳没)は、1959年「蜜のあはれ」発刊後の、半世紀以上も経ってから映画化された。小説の舞台は東京で、映画化されたロケ地は北陸地方(金沢・富山・大聖寺など)だった。特に昭和初期の設定地80%が加賀市の片山津や橋立に大聖寺での撮影が行われた。

▼この映画の企画当初から関わった、NPO法人「歴町センター大聖寺」の瀬戸さんの傍にいた関係上、人生初体験の映画出演(エキストラー)や大聖寺地区での撮影風景や、撮影収録後の撮影スタッフや監督も交えての懇親会。後日の撮影地選択の現場視察やプロデュサーの苦労話など、映画撮影の裏話を知るご縁に触れた。

▼「この城下町は、戦災や震災にも遭っていないから、江戸時代の城下町の町割りの道幅や細い迷路の道。城下町特有の職人が住んでいた町名がそのまま残っている」。そして、戦後の町中には企業進出などで再開発されなかった。と、観光案内所に初めて訪れる県外観光客に伝えている。

▼数年前には、加賀市は「海の橋立・船主集落」「山の東谷・山村集落」の2ケ所が「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれている。これに、「江戸時代の町大聖寺・城下町」が保存地区として加わると、日本でも類を見ない画期的な歴史保存地として「加賀市」が、「日本の縮図地区」として証明される。

▼現存する歴史的建造物は、新しく再現できない。残して行く勇気が必要だ。誰かが手を上げ、声を掛けながら辛抱強くやらねばならぬ。30年前からこの運動に動き出した男が大聖寺にはいる。縁あってその仲間に加わっていることに、不思議さを感じている。

今から30年ほど前、地元で生まれ育った彼女がまだ中学生のころ、「五徳庵」の前を登下校で行き来していた。住人のいない雑草で鬱蒼とした屋敷前を、足早に耳を塞いで通ったという。伝承のウワサは「簪(カンザシ)を刺した蛇のお化け」が出るということだった。そんなお化け屋敷の住人になって、もう五〜六年が経ったが、相変わらずの雑草に生い茂った屋敷には、簪をつけた蛇に代わって「白髪蛇」の爺さんが出入りしている。

▼先日、「山口玄蕃首塚碑小公園」に、新しく畳一帖の大きさを横にした「大聖寺城の戦いと山口玄蕃」の顕彰看板がつくられた。毎年8月8日には、地元の有志らによって「首塚供養祭」が行われている。新しく設置された顕彰碑に、「簪を刺した蛇」の由来が記されてあった。

▼玄蕃は豊臣秀吉に才を認められ、小早川秀秋の筆頭家老として仕えた。慶長5年(1600)の関が原の戦いで、秀秋は西軍から東軍に寝返ったが、玄蕃は豊臣家の恩に応え、大聖寺城で1200の兵を率いて徳川方の前田利長の2万5000人の大軍と戦った。玄蕃は同年8月8日、現在の大聖寺新町で自決した。

▼少くない兵士で大軍と戦った城中には、「カンザシ」に戦いの白鉢巻をつけ、城内にとどまった女性たちも戦いに加わって、最期は自決した。その後、城山に月の明かりがさす頃になると、「かんざしを刺した蛇」が出てきたという。

▼大聖寺城「鐘ケ丸」の麓にある、料亭「滝川」(五徳庵)の庭には、老木の大樹に大きな穴がある。その穴には、古くから蛇の棲家になっていたという。この屋敷の住人だった藩医の「竹内家」の子孫「谷渡(たに・わたる)氏」は、『自分史 穴虫の生活』で、地名に相応して裏庭で遊んでいた蛇をよく見かけたという。

▼今年は「巳年」。戸籍は「午年・1942年1月1日生」だが、巳年の「十月十日」母の胎内にいたわが身は、「蛇年生まれ」のつもりで生きてきた。だが、蛇は苦手である。

夕べも宵のうちから、夜空には織姫「ベガ」と彦星「アルタイ」に白鳥座の「デネブ」を結ぶ,「夏の大三角形」が、この時期まだ見えていた。春から秋のころに、星が見える夜。近所の三叉路に歩いて差し掛かると、いつも夜空を見上げる場所がある。そこには、光を好む虫の屍骸が、街燈のカバーの内側に溜まったままの状態で、黒ずんでいる暗い街燈がある。

▼若いころより夜空を見上げて、見つけ出せたのは、北斗七星やオリオン座と夏の三角形ぐらいである。星座のことをプラネタリュームで知った程度の門外漢の一人でもある。10数年前に、東北旅行の際、花巻の「宮沢賢治記念館」へ行った。その時にも、「星めぐりの歌」を意識しなかった、が。

▼4年前に観た、高倉健主演の最後の映画「あなたへ」で、田中裕子が歌う「星めぐりの歌」が病みつきになり、好きな歌の一つになった。「あかいめだまのさそり ひろげた鷲のつばさ 青いめだまの子犬 ひかりの蛇のとぐろ・・・」。

▼今朝も、夜明け前から寝床を出て、「YouTube」の「星めぐりの歌」を聞きながら、晩婚の建さんが、早く逝った妻との思いで場所を巡るシーンを思い出しながら 、独り身を重ね合わせている。

▼虫の仲間にも、光を好む虫もいる。人間にも夜の空を見上げて、好きな星を見上げる者もいる・・・。と、書き出したら。「虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ! 人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!」。と、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で、坂本竜馬のセリフが蘇った。

▼それぞれの人生は、「オリジナル」。今日一日を楽しく過ごそうと、気を取り直して朝食に準備に取り掛かった。今夜も星空が見えるといいな!。オリオンを探そう。

「桜紅葉(さくらもみじ)」は秋の季語。桜は他の木より早く色づき、散るのも早い。「日々の歳時記」の「今日の言葉」に目を通し、五徳庵の桜の古木を見上げた。かろうじて残っている数枚の古葉が快晴の秋空に見えた。これまでは、玄関先に散る「桜紅葉」を掃除していたが、今日からはその手間が省ける。

▼年末には、5年ぶりの「運転免許証」更新ができる。昨日は「認知機能検査」や視力検査など、事前に行う「運転適正検査」も合格できた。久しぶりに、昭和34年11月28日に交付された運転免許証を感慨の思いで眺めた。

▼この免許証とは、長年肌身離さず57年間も共に過ごして来た「わが人生」の生き証人でもある。250ccのバイクは、東京神楽坂で道路脇から飛び出した幼児を怪我させた。靖国神社の九段坂で、雨にぬれた都電のレールに乗りあげ転倒し、痛い思いの青春時代も知っている。

▼帰郷してから、普通免許を取得するが、出張試験場で2回目に合格した。家業の中古トラックを乗り回し、金沢の歓楽街を往復した。新車の「スカイライン」で家族を乗せての「大阪万博」。今は鬼籍にいる友人と、九州や四国に東北を巡るドライブ旅行の思い出もよぎる。

▼定年後は、中古車を乗り換えての今日に至っているが、雨露を凌ぐ程度の老体車を大事にしている。最近は駐車場での軽度の接触事故はあったが、運転違反の無い優良運転者。いずれは免許返却になるだろうが、ゴールド免許証を我が身に置き換えて、少しでも長く一緒に過ごしたい。

▼春の桜満開から花吹雪が散る。夏の葉陰で涼しさを満喫して、秋の風で散る桜紅葉。そして、来春までガイコツのような枝が冬空に耐える。古民家の庭に生きる老樹を、我が身の一生に例える一年でもある。「しわ顔の ゴールド免許に 秋の風 吾亦交」。

運転免許証の更新期間(概ね4か月後)が近づいてきました。免許更新期間中に75歳以上になられる方は、「講習予備検査」(認知機能検査)と「高齢者講習」を受けていないと更新手続きができません。このはがきをお読みになり、講習の予約をしてください。

▼予約していた、きのうの正午過ぎに、このはがきを「加賀自動車学校」の受付に差し出した。過去にも、十数回「免許更新」時に感じなかったが、今回は、緊張する時でもあった。これまでの自信に満ちた更新とは違う、「認知機能検査」テストを受けなければならない。

▼予約した同年代の受験者は、わが身も含めた6人の老男女だった。気になっていた「認知機能検査」は、4つの検査項目の最初にあった。風のウワサで聞いていた生年月日と、今日の西暦・和暦の年月日を記入する。

×ばつ4コマ=16画像を記憶する。そして、別のテストを消化した後に、記憶する名詞を記入するテストだった。「動物」「家具」「乗り物」「草花」「果物」などの身の回りにある物を、10分後に何個、記憶しているかの検査だった。

▼当方は、まぐれの12個記憶していて合格だったが、合格点は4個らしい。だが、過去のテストでは16個全部の正解者がいたという。しかし、1000人中で一人だったらしい。逆に不合格になった受験者はいないというから、「加賀自動車学校」は高齢の受講者には、優しい指導を心がけているとも言える。

▼高齢者が日常茶飯事に体験している「もの忘れ」。そんな検査を国家機関で実施されると、日ごろの「もの忘れ」が具現化される。だから、受講者は「びびる」。「走る凶器」とまで言われている自動車を運転する高齢者には、特に意識してほしいという「お上」のご指導だと、素直に受け入れた一日だった。

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