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まだ、野菜の高値が続く。大根1本が190円台になったことを確認して、「ブリ大根」に挑戦したが2度失敗した。やっぱり、レシピ通りに作っても初心者には、分からない奥深い料理の「コツ」があるのかもしれない。試作には失敗したが、大根がもっと安くなれば再度挑戦してみたい。そして、得意な料理の一つにしたいものだ。

▼2度とも、圧力鍋を使っての料理だった。レシピに従って、「ぶりアラ」に塩する。魚臭さを取って、大根を皮むき、3センチの輪切りして「半月」の面取りをした。味付けの「だし汁・酒・醤油・みりん・砂糖・ショウガ」を用意した。塩抜きした「ぶりアラ」と大根の半月に、味付け出汁と一緒に圧力鍋で12分加熱する。

▼失敗は、レシピを最後まで読まず、火を止めた後、自然冷却をしなかった。圧力蓋の圧力「2」から噴射する蒸気にあわてて、レバーを排出口に移動した。それからが大変だった。吹きこぼれる出汁で、IHレンジが汚れた。あわててタオル2枚分を使ってふき取った。

▼2度目は、レシピ通りにやったが、出汁の分量を適当にして、仕上がった大根が焦げ茶色になっていた。そして味が濃く煮えあがっていた。十数年前までは、濃い味付けでも慣れていたが、塩分取りすぎに注意してから、クドイ味付けには、身体が受けつけなかった。

▼「庶民の野菜」でもある大根の高値に驚いたが、大根の姿にも違和感を覚えた。むかしの「大根脚」と呼ばれていたスタイルが、スマートな現代風の大根になっていた。考えてみると、価格に合わせた細身の大根だったかもしれない。

▼最初に失敗した時は、浸み込む出汁が吹きこぼれ、わが口にはちょうど合っていた味が、大根が半煮えで、別な鍋に移し替え、落とし蓋をして何とか食べられるようになった。11月9日は、語呂合わせで「いい句の日」と勝手に作った。「うまく煮たブリ大根も独り鍋 吾亦交」。

先日の寒い日曜日。中国人らしき富裕層の夫婦連れに、通訳ができる人と大聖寺観光案内所を訪れた。中国語で書かれた加賀地域のことが分かる観光案内書がないかという。行政が発行した英語での加賀地区の観光案内書はあったが、中国語のものは、まだ準備できていなかった。確かに、北陸新幹線の金沢開業あたりから、大聖寺を訪れる台湾人が多くなってきている。そんな、台湾国の都市と友好関係を結んだ加賀市は、観光客の対応にまだ遅れている。

▼台湾からの観光客と判断できたのは、旅行用の大きな「8輪キャスター付き」の「フルスペック」を、案内所に持ち込めず歩道に置いていたからだ。短時間ではあったが、無防備に旅行カバンを置き去りにして、用件を尋ねている知的な風貌態度が印象的だった。

▼日本人観光客が外国で、盗難に遭う典型的な「置き引き」スタイル。日本が治安や盗難に安全だと知っている旅なれた旅行者かもしれない。もしかしたら、友好関係を結んだ加賀市への観光客を誘致する機関や旅行会社の人だったかもしれない。

▼加賀市の玄関口になった「加賀温泉駅」には、加賀市が「旅・まちネット」を開設して、観光旅行者へのサービスを行っている。だが、「大聖寺駅構内」は、無人駅に等しい。駅員も隣接する「アパホテル」も、大聖寺観光案内所が、「レンタルロッカー」と「レンターサイクル」に、観光案内人が常駐していると周知している。

▼だが、NPO団体のボランティア活動で、水曜日が休業だとは余り知られていない。そんな定休日に、大聖寺観光案内所を訪れた観光客が、苦情を含めて市役所の案内カウターに来る旅行者がいる。遭遇した場合には、レンタル事業は無理だが、清掃員から観光案内人に変身して一役をかっている。

▼明日の水曜日に、定休日とは知らずに訪れた観光客は、何人もいるだろうが、誰も分からない。大きな目標に向かっている場合に、忘れがちな「ちょっとした」ことの積み重ねが、命取りになることもある。

秋の日替わり天気の昨日は、寒い風が吹く日になった。国道305号が通る関町の街路樹の「プラタナス(鈴掛の木)」が両側に植樹されている。夏には強い日差しから木陰をつくり、道行く人の目によい風景である。だが、秋の落葉時期には、野球のグローブのような葉が、風に吹かれて道路一面を埋めつくす。

▼「落葉広葉樹」を、この時期、国道に面した家人が、毎朝、歩道の落葉拾いをする大変な姿を見かけている。日本の緑化計画で全国いたる所に、植樹されている国家事業だというが、住民の「街を美しく」と掛け声とは、反比例している厄介物だと思っていた。

▼「街路樹の歴史」を読むと、中国では2500年前から。日本では8世紀の聖武天皇の時代。平城京時代にはタチバナやヤナギの木が奈良の都に植樹された。古い頃より天皇を中心した日本的民主主義が基になって、現在は、都市景観の向上・保全・防風・・・と、定義に基ずく国の事業で、簡単には伐採は不可能だという。

▼ところが、大聖寺駅から真直ぐ延びる県道にも、数年前まで「鈴掛の木」が並んでいたが、今はすっかり取り払われている。道路との境目には花壇が歩道に残り、「沿道の美化活動に取り組んでいます。地域連盟沿道環境創出事業」の看板まで立っていた。

▼大聖寺の歴史を後世に残す活動家が、地域の美観を損なう「鈴掛の木」撤去に動き出したのは、7年ほど前だという。県道の街路樹は「県土木」が管轄していて、最初は門前払いで、相手にもしてくれなかったという。

▼だが、こんなことでヘコタレル瀬戸区長ではなかった。住人数十人と歴史の観光地「鎌倉、奈良、京都・・・」の街路樹の現状を調査して、「沿道の美化運動・・・」を立ち上げる許可を得た。そして、歴史的美観にそぐわない、街路樹の撤去までの活動を続けたという。

▼落葉拾いをする関町住人の姿を見て、隣接の南町に来ると、道路には落葉が見当たらない不思議な光景は、この先何十年も続く大聖寺の風物詩になるだろう。

きのうは、さやかな秋の空が終日保たれていた。北国新聞の一面に、「流し舟から 秋景色」と題した旧大聖寺川を遊覧する流し舟と、色づく秋の風景写真が掲載されていた。毎日待っていた、白山の初冠雪も3日前に確認できた。短い秋を楽しむ日々も、あとわずかであろう。

▼そんな新聞記事を見た金沢の老夫婦が、初めて大聖寺の「流し舟」に乗りたいが、どこのインターから行けば近いか。そんな道案内の電話を11時ごろ、「大聖寺観光案内所」当番役の当方が電話をとった。

▼「13時30分出航」の流し舟乗船予約を受けて、「加賀IC」を指示して電話を切った。13時40分に、現在位置「分校小学校前」との電話があった。大聖寺の町を通り過ぎたところで、迷子になったという。ナビを信じていたが、調子が悪いらしい。

▼JR大聖寺駅近くの案内所に着いた時には、運転する当方より少し年配者は、2時間ほど迷子になりながらの運転に疲れた様子だった。昼食前だと言うから、昼食時間締め切りの「ソバ屋」へ確認電話したら、閉店準備に入ったという。当方も利用する顔なじみ店主に、暖簾を下ろしを延長してもらった。

▼流し舟の乗船時間も、15時出航に切り替えて、ゆっくり「ソバ定食」を楽しんでもらった。初めての土地を訪れる旅には、予定外がある。旅とはそんなものですと、本家筋にあたる「金沢藩」から見えた老夫婦をもてなした。

▼支藩「大聖寺藩」の、当然のもてなしが気に入ってもらえたのか、流し舟に向かう前に立ち寄った案内所に、「幸西まんじゅう」の紙袋を置いていかれた。大聖寺の「流し舟」に乗りたいと言い出したのは、奥さんらしい。流し舟が昔ながらの土手のある旧大聖寺川を、運航している風景が気に入ったという。「蜜のあわれ」で、夜桜の大聖寺川を、ロケーションに選んだ映画スタッフが、消え行く日本の風景が、まだ大聖寺に残っているという言葉を思いだした。

10月2日に、起業家を支援する「活性化サロン」に、小生宛に届けられた「吾亦紅」と、可憐なコスモスの白い花が交ざった花束の贈り主に、やっと出会った。探していた贈り人は、間近な公共施設に勤めるコスモスの花のような女性だった。奇しくも1ヵ月前に届けられた午後の時刻だった。

▼届けられた日には、職業訓練の実習生として初めて実務に就いた女性が、花束を受け取った。翌日立ち寄った時に、届け人の名前を確認すると、容姿と名前を教えられたが、該当者が思い当たらない。支援活動にスタートしたことへの「祝物」にと、「吾亦紅」の花を、わざわざ届けてくれた人は誰だろう。

▼だが、伝言された名前は、苗字でない「マリコ」という名前だったから悩んだ。青い車に乗った、長髪の「マリコさん」だったという。研修生に「届け人の名前」を再確認したが、間違いないという。再就職のための実務経験の訓練生は、取引先からの伝言も正確に伝えなければならない。実社会の経験もある、彼女の伝言を信じていたが・・・。

▼1ヵ月ぶりに、次回のセミナーで担当する、歴史を調べるために訪れた施設で、「吾亦紅を受け取っていただきましたか?」と、言う、顔見知りの職員と出会った。探していた贈り人は、貴女でしたかと言ってお礼を述べたのが、贈られてから31日目だった。

▼「お礼」が遅くなった事情を確認すると、苗字を言ったが、青い車でなく「青いブラウス」でクリーム色の車だったという。いい加減な伝言を残した実習生はもういないが、遅くてもなっても探していた贈り主と出会ってよかった。

▼耳と目の機能が怪しい実習生の再就職先が、身障者の介護職だという。そんな伝言を聞いた我が身も「物忘れ」が頻繁にある。そんなふたりの様子を見ながら、サロンの片隅で2週間も咲いていた、「吾亦紅」の名前の由来を思いだした。「吾も亦(また)紅くなりたい」。

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